よく人殺しは絶対悪だという人がいますね。その論理の派生として
だから戦争は悪なんだ、というものが有ります。
「日常で人を殺すのは悪なのに、戦争では多くの人を殺すほど誉められる。これはおかしい。」
はい、おかしいのは君の頭です。確かに戦争では人殺しをします。でもそれは非日常あって、
平時の日常社会の人殺しとは状況が違うのです。状況が違えば同じ行為でも適用される倫理、法が異なるのです。
そういう異なる状況を無視して混同するのは幼稚な思考能力です。
「人殺しは悪」・・・これは平時の倫理
「戦争行為としての敵兵の殺傷は許容」・・・これは戦時の論理
そう、状況を無視して行為だけで善悪を判断してはいけないのです。
「構成要件の該当性」としては同じだが、社会通念上「違法性の有無」が異なるのです。
これと同じで人身売買も絶対悪と規定すると、前記のように社会生活上齟齬を生じることになるのです。
例えば「人の身体を傷つけてはいけない」という倫理が有りますね。
これをやると傷害罪の構成要件に該当します。
お医者さんという職業がありますよね。彼等もメスなどで人を傷つけます。
傷害罪の構成要件(何が罪となるか具体的に定めた条文のこと)には該当します。
しかし彼らは傷害罪として逮捕されません。彼らには「違法性」がないからです。
違法性というのは要するに社会常識で、良いか悪いか判断するという事です。
医者が人をメスなどで傷つけてはいけなかったら、外科医などは治療ができませんよね?
だから常識的に「違法性が無い」と判断され、傷害罪には問われないのです。
このように何が犯罪か否かは、その境界には結構曖昧な、「社会常識」というものがあります。
要するに皆が(または主権者が)「その行為は犯罪だ」と考えればそれは犯罪であり、
「その行為は犯罪ではない」と考えれば犯罪ではないのです。
昔、奴隷取引などの人身売買は犯罪ではありませんでした。人々、特にその社会で権力を握っている人達
が「犯罪ではない」と思っていたからです。単純にそれだけなのです。
>>75で郎どの形態には、賃労働でなければ、ほかに自営業しかないと書きましたが、
他にもあります。それは無償の奉仕、ボランティアです。これは奴隷労働も含みます。
×郎ど ○労働
賃労働と奴隷労働の差とは何でしょう?賃労働が低賃金率で、一日の拘束時間が長ければ
それは限りなく奴隷労働に近づきます。また現代の会社でも個人の人格は抑圧される傾向はあります。
奴隷労働でも、現金ではありませんが食事という報酬?ぐらいは出ます。
乱暴な論理ではありますがが、本質の多くの点で、程度の差でしかないといえるでしょう。
もっともその程度が大きくなれば、質が異なるとも言えるのですが。
{でも逆に程度の差が小さければ、本質は同じとも言えるということ)
もちろん決定的に違う点はあります。それは「自由意志」というものです。この話はいずれ。
先に賃労働が現代社会で許容されているのは、労働環境つまり待遇が改善されたからだと書きましたが、
それだけではないのです。こうした実際面だけでなく、
賃労働を正当化する思想によってこの制度は支えられているのです。
それが「自由意志の尊重」であり「自由意志による職業選択」という発想です。
例え低賃金で、実態は奴隷労働そのものでも、労働者が自分の意思でその仕事
を選んだなら、その意志を尊重して、その労働の在り方は認められるべきではないか
という発想のことです。
まして自分でその仕事を選びそのうえ待遇も良ければ、他者がとやかくいうこと
ではないと私は考えます。
もちろんそれは他害原則(危害原則)を犯すものではないことが最低条件なのは当然ですが。
私の考えを言うと、
「賃労働という労働形態が認められるなら、それと同じように
女自身の自由意志を尊重し、待遇を良くするなら、女の人身売買をしてもいいではないか」
というものです。
これは私にとって、現代社会の倫理との妥協点です。
本当は女の自由意志など尊重したくはありません。