>>554 >「性蔑視」が存在した結果、「専用・選択権・メリット」の差となって表れている。
>性蔑視がなくても「専用〜」の差がある場合もあろうし、
>性蔑視があっても目に見える差が表れない場合もあろう。
だからそれが無意味なトートロジー。
『「専用・選択権・メリット」の差があるから、「性蔑視」が存在するとわかる』
『「性蔑視」が存在するから、「専用・選択権・メリット」の差がある』
「専用・選択権・メリット」の差は目に見えることだから誰でもそれとわかる。確認できる。否定できない。
しかし「性蔑視が存在する」ことはなにも証明も説明されてないし、根拠も示されてない。
>誤読している。
>性蔑視が原因で選択権がないとは限らない。
>しかしモスのトイレの例は性蔑視が原因だと思われる。
誤読のしようがない。
無意味なトートロジーだと、こ ち ら が説明しているのだから。
しかも、何故かここにきて「選択権」の有無で「性蔑視」の有無を判断できない、と言っているのが奇妙。
そんな前提を置いてしまった上で「モスのトイレの例は性蔑視が原因だと思われる」などと言ってしまっては、
上記無意味なトートロジーどころか、「とにかく俺はそんな気がする!だからそうだ!」と言っているにすぎない。
>>555 >ずいぶん勝手な前提を定義してくれるじゃないか。
えええ?
「男女別」の場合、どんなに女性(男性)トイレが混雑しても、
女性(男性)が(空いている)男性(女性)トイレを使用することを、否定、拒否するってことか?
もしそうなら、君はこの話を 前 提 か ら 全く理解できていない。
>もし、緊急時それを認める場合(それは男女平等に認められなければならないが)、
>『被害者意識』や『加害者意識』があって当然だ。
>言い換えると異性のトイレに入るのに遠慮があるのが当然だ。
>女性が遠慮なく男性のトイレに入れること自体が男性蔑視だ。
よ く 読 め 。
その通りのことを、こちらは言っているのだよ。