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フェミナチ車両を撲滅しろ【その五】
「婦人子供専用車」はなぜ廃止されたか?
女性客が逃げ出して混雑格差が拡大
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我が国の通勤列車に女性専用車両が登場したのは近年が初めてではない。昭和二十二年五月、中央線で婦人子供専用車の運転が開始されている。
そして、昭和二十四年九月には京浜東北線にも婦人子供専用車が登場した。
婦人子供専用車が走り始めた経緯について、交通博物館(さいたま市)ホームページは次のように説明する。
《終戦後の混乱期、混雑の激しい中央線では女性や子供が電車に乗ることは大変な困難だったようです。
そこで、女性や子供も鉄道を利用できるようにと、婦人子供専用車が運行されました》
殺人的混雑から女性と子供を守る。これが婦人子供専用車運行の目的だった。
当時の新聞を見ると、満員列車で女性客が圧死したなどという記事が載っている。
女子供という言葉を聞くと、今の病的フェミニストどもはヒステリーを起こすが、当時は女性は子供と同じように庇護されるべき存在であるという感覚が生きていた。
《当時の通勤ラッシュは乗車率(乗車人員/定員)が三〇〇%を越えることも多々ありました。
現在の東京地区の朝通勤ラッシュ時のJR線平均乗車率は二〇〇%を切っていますので、
現在の一・五倍以上の混雑だったことになります。まして、冷房などない時代でしたから、女性や子供にとっては大変な苦痛であったと思われます》
戦後の混乱がおさまった昭和三十二年六月、今度は「老幼優先車」が中央線と京浜東北線に走り始めた。しかしこちらは数年後に姿を消す。
《戦前の老朽車両を転用したことや、通勤ラッシュ時にお年寄りや幼児の数は少なく、
車両によって混雑率に大きな差が生じたことがその原因のようです》
「老幼優先車」はいつもガラガラで、一般車両と「混雑率に大きな差が生じた」ので、廃止されてしまった。
中央線の婦人子供専用車はその後も走り続けたものの、昭和四十八年に廃止されるに至る。廃止の理由は老幼優先車と同じだった。
運行最終日となった八月三十一日、朝日新聞夕刊はこのように伝えている。
《終戦直後の混乱期、力の弱い婦人や子供のために設けられた専用車。
最近は東京駅着午前八時二十一分から五十四分までの快速電車十七本の最前部につけられていた。
乗車率平均二二〇%と一般の車両より三〇%の余裕があった。一日の利用者五千人の九割は都心の会社に通勤する二十歳前後の女性という「OL専用車」で、
ギュウギュウ詰の男性客からは「過保護だ」とちょっぴり非難の声も出て、国鉄が中央線快速、特別快速に老人、
身障車両の「シルバーシート」を設けるとの入れ替えに運転中止となった》
なんと、婦人子供専用車に「一般の車両より三〇%の余裕」が出たとある。三〇%というと、大変な混雑格差である。
中央線の殺人的ラッシュが限界に達し(私も当時中央線快速を利用していたからよく分かる)、
一方で婦人子供専用車はガラガラ。当然のことながら「過保護」という批判が出てもきたし、国鉄にも悠長な婦人子供専用車を走らせる余裕がなくなったと思われる。
交通博物館もそのへんの事情について次のように書いている。
《他の車両より婦人子供専用車が空いているという指摘もあり、一九七三(昭和四十八)年の敬老の日のシルバーシートの誕生とほぼ同時に婦人子供専用車は姿を消しました》
やはり、婦人子供専用車は「空いて」いたのだ。
平成十二年の都議会定例会において、東京都営交通局長は「ラッシュ時における女性専用車両導入を検討すべきではないか」という都議の質問に対し次のように答えている。
《女性専用車両について、関東地方では、かつて、国鉄や一部の私鉄において、戦後から昭和四十八年まで婦人子供専用車を運行していた経緯があるが、
利用効率の低下や老人等弱者との均衡から、現在では実施している鉄道会社はない》
ここでも、婦人子供専用車の「利用効率の低下」を指摘している。
東京都営交通局長は、こうした過去の事例をふまえて、都営地下鉄への女性専用車の導入についても、
次のような理由から、現時点では導入困難と答弁している。
▼車両により空いている車両と混雑している車両が発生し、乗り切れない場合や乗降時間が長くなる場合があり、列車遅延の原因となるため、お客様に迷惑がかかる。
▼お客様は乗り降りに、より便利な車両を選ぶ傾向にあり、乗車場所を制限することは困難である。
▼他社と相互直通運転を行っているため、相直他社との調整が必要となる。
525 :
名無しさん 〜君の性差〜:2005/07/23(土) 17:28:35 ID:2u+j2xDy
婦人子供専用車の歴史が教えてくれることは二つある。
ひとつは、女性たちが婦人子供専用車を敬遠し始めたたという事実である。婦人子供専用車と一般車両の混雑格差が甚だしくなったのは、その結果である。
婦人子供専用車に、現在の女性専用車両並みの「恥態化」が進行していたかどうかは不明だが、女性客を嫌悪させる事態が女性専用車両に出来していたことは間違いあるまい。
面白いことに、女性専用車両導入を策動した勢力は、女性客は婦人子供専用車を逃げ出したという歴史的事実を懸命に隠そうとしている。
婦人子供専用車の歴史が教えてくれるふたつ目は、婦人子供専用車を開始した時も廃止した時も、「痴漢」のことなどまったく問題にならなかったということである。
婦人子供専用車が廃止された昭和四十八年というと、ウーマンリブやら中ピ連たちが騒いでいたころだが、急進的ウーマンリブたちも痴漢問題なんて話題にさえしていない。
当時の電車内には痴漢行為は存在しなかったのだろうか? そうではあるまい。ウーマンリブの闘士たちが「痴漢」を闘争テーマにしなかっただけの話である。
ではなぜ、近年、「痴漢」問題がとりざたされるようになったのだろうか?
(この項続く)
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