131 :
北斎漫画 ◆XoZX4w02Ig :
「行き過ぎたジェンダーフリーに惑わされるな」
那智 文江(民衆法廷陪審員 58歳 東京都)
先日、バスに乗っていた時のことである。後方の座席から、学生と
思しき数名の男女の会話が聞こえてきた。どうやら女性の社会進出に
関する話題のようで、男女共同参画を推進するぺきこれからの社会を
担う若者たちが、そのような問題に高い関心と意識を持っている様子
が頼もしく感じられ、日本の将来に明るい展望を抱くことができた。
ところが、そのうちに会話が奇妙な方向へ進み始めた。男子学生の
側が「女性の責任」や「女性の義務」と言い出したのだ。私は違和感
を覚えた。これまで「女性の権利」や「女性の自由」は、私も何度と
無く口にしたし耳にもしてきたが、「女性の責任」や「女性の義務」
といった言葉は、ついぞ聞いたことも無い。さらには、「男の権利」
や「男の自由」という言葉まで聞こえてきた。これもまた妙な話で、
「男の責務」や「男の責任」という言葉はあったが、「男の権利」や
「男の自由」という言葉は無かった筈である。
これが暫く前に言われていた「行き過ぎたジェンダーフリー教育」
の結果だと、私にも理解することができた。男女平等とは男女が何も
かも一緒になるということではない。自由には責任が伴い、権利には
義務が伴う。つまり、自由と責任は等価であり、権利と義務も等価の
ものである。「二兎を追う者は一兎をも得ず」と言うように、自由と
責任を同時に得ることはできないし、権利と義務を同時に手に入れる
こともできない。男性は責任と義務を、女性は自由と権利を、互いに
異なるが同じ価値のものを各々が担って全うすることが、これまでの
社会の正しいあり方であったし、これからの男女共同参画社会でも、
それは変わらないのである。
いまは混乱している男子学生も、社会の一員となって様々な経験を
積んでゆけば、自分に与えられた物の素晴らしい価値に気づくことが
できるだろう。若者たちの未来に幸あれ! 私は強くそう願った。