>>705 >男の圧倒的支配下に置かれるetc‥‥というのは、女にとって本能的恐怖感であると同時に
>女が誰でも持ちうるマゾヒスティックな欲求なんではないかとも思います。
おれは男だけど、そういうマゾっぽい女性との交際歴があるのでわかっているつもりだ。
で、本能的恐怖感とマゾ的欲求というのは薄膜で隔てられた隣接関係にあると考えている。
おれが「躾」と書いたのは、本能的恐怖感をマゾ的欲求に癒着させず、
生産的方向(対等に愛し合い、結婚という手続きを経て性交して子を産む)に
昇華させていくという作業でもあるわけだ。
「私を圧倒的に支配した男の子を孕み、産みました」ではまずいもんね。
(昇華のプロセスを経てから性癖の一つとしてマゾヒズムの世界を愉しむのは別の話。)
幼少期・少女期に父親から強い抑圧を受けて育つとマゾ女になりやすいという
話を聞いたことがあり、実際、上述した交際女性もそういう過去を持っているのだが、
これは本能的恐怖感が昇華されることなくマゾ的欲求と癒着してしまい、
男性から苦痛を与えられることが快楽と化してしまった例なのではないかと思う。
>>715で書いた被抑圧女の例では、自己防衛意識など芽生えるはずもない。
それゆえに、マゾの世界に没入する前に何らかの要因で抑圧された欲望の堰が
切れてしまえば、後先考えない乱れた性交に突入する可能性は大いにあると思う。
考えてみれば、その結果傷つくのは自分なのだから、マゾと同じなのだが。
性に関する躾というのは難しいものだ。
特に「傷つけられる性」になりがちな女の子に対する場合はなおさら。
あまり厳しすぎて過度の抑圧になってしまっても、結局は自傷へと向かわせてしまう。