>>34についての私の見解
この内容で本村洋は本村弥生を「殺人事件の被害者」としてではなく
「賞賛に値する、本当に素晴らしい女性として世間に知って欲しい」と
いう態度を取っている。
さらに、本村洋は「私が本当に愛した人を、一人でも多くの
人達に知ってもらいたいと思うようになりました」という態度を取っている。
本村洋は本村弥生の存在を「世間から風化されるのが哀れなほどの
素晴らしい人物」という考えを抱いている。
本村洋が本村弥生をが 「世間から風化されるのが哀れなほどの
素晴らしい人物」という態度を取ったので、本村洋が本村弥生を
「歴史上の人物」扱いすることを世間に要求したことをこのことは意味する。
このことを考慮すれば、少なくとも「本村洋が本村弥生を私人と
主張すること」は不合理である。
「世間から風化されないような人物」というものは「歴史上の
人物」しか該当せず、本村洋は本村弥生を「公人扱い」では済まないほどの
大きな扱いをするように世間に要求したことになる。
このことを考慮すれば、我々は本村弥生を「私人」と解釈する理由は
全く無い。
よって、「本村弥生を公然と非難すること」は「歴史上の人物の議論」に
あたり、「本村弥生への非難」を「私人中傷」と解釈することは、
全くの誤りである。