>>18-19についての私の見解
本村弥生の常軌を逸した傲慢さが妄想という形で現れた代表的な
例である。「ボビー」が本村洋に似ていると言うだけで「あの子が
私を呼んでる」、「私には聞こえるの。独りで可哀相」などと
ほざくのは、本村弥生の「自分は本村洋にとって絶対に必要であり、
本村洋は自分に見放されたら絶対に自分を保てない。」という傲慢さを
前提とした妄想が原因である。
「あの子が私を呼んでいる」という表現は一見すると比喩の一種のように
思えるが、実際は本村弥生が「自分は本村洋よりも優れている。」という
傲慢さに満ちた態度を、「自分の本村洋に対する優しさ」と
錯覚したものである。
よって、本村弥生のこの態度は、本村弥生の傲慢さが「自分の傲慢さを
優しさと錯覚する」という妄想という形で現れたことになる。
しかも、「神がかりのような表情」で泣きながら、これらの傲慢な
妄想的な発言を行ったから、本村弥生の感情のコントロールの悪さは
常軌を逸している。
さらに、「ぬいぐるみ買うと、口紅が買えなくなる」にも
かかわらず、本村弥生はどちらも買おうとしたので、本村弥生の
傲慢さは際立っている。