そもそも、土屋知事が副知事に坂東を抜擢したのも、自分の人気取りのためだつた。二期目の知事選挙で女性票をあてこんで女性副知事
を公約に掲げ、選挙後、坂東真理子を迎へ入れたのだ。
土屋知事はフェミニズム問題に非常に熱心だつた。特に夫婦別姓問題には力を入れ、埼玉県庁では全国の自治体に先駆けて職員の旧姓
使用を認めたほどだ。これは市川桃子(長女)、土屋品子(次女、衆議院議員)といふ二人の娘の影響もあるだらう。
市川桃子は地元ではもつぱら結婚前の「土屋桃子」を使用し、夫婦別姓を実践してゐた。市川桃子は知事の威光と女であることを最大限に
利用して利権をあさる利権屋フェミで、父親が副知事に抜擢したフェミニストと親密の度を深めていつた。
坂東副知事は土屋親子の庇護よろしきを得てフェミニズム行政に腕を振るつた。
その最大のものが埼玉県男女共同参画条例制定である。
坂東副知事は男女共同参画条例研究会を発足させ、これが条例づくりの第一歩となり、ジェンダーフリー思想に彩られた埼玉県男女共同参画
推進条例は平成十二年に成立した。
条例が成立したのは副知事を退任した後だつたが、坂東副知事の置き土産である埼玉県男女共同参画推進条例は、その後各地で続々と
制定された過激なジェンダーフリー条例のモデルになつたことはよく知られてゐる。
自民党政権下におけるフェモクラットは「ヌエ」とでも表現できやうか。か
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