嗚呼、ジェンダーフリーの愚かさよ

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この板でいわれている男女共同参画やジェンダーフリーの正体を、優れた洞察力でわかりやすくまとめている
サイトがありました。(管理人は有名な方のようです。)

抜粋して紹介しますが、ぜひとも全文を読んでみてください。
http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/sign/sign64.html

なお、投稿者名欄は私が勝手につけたものなので無視してください。


全共闘運動の中で、女性闘士達が「これでは女性の解放は実現できないのではないか」と疑問を持ったところから、
ウーマンリブやフェミニズムに流れた人たちもかなりいたはずだ(上野千鶴子はこの世代だろう)。だがそれは、
彼女達が社会主義を見限ったということではない。せいぜい、自分たちがそれまで属していたセクトを見限ったに
過ぎず、その後に彼女達がやったことといえば、社会主義思想に何か(女性の解放のための)を付け足そうとした
くらいである。そんな中に、性差の否定を主張する系統のフェミニズムもいくつもあったことは、周知の事実のはずである。
だから実際にはその流れの中で、単に「ジェンダーフリー」という和製英語が後から作られたというに過ぎない。(つづく)
578性の否定と家族の否定が目的:03/04/11 18:54 ID:Isp3kWvD
1.性差否定
 ジェンダーフリーは男女共同参画のキーワードにもなっているが、東大教授の大沢真理はこの男女共同参画について、
「ジェンダーそのものの解消を志向する」趣旨まで確認されたと証言している(ちなみに大沢は男女共同参画審議会の
委員だった)。T's におけるジェンダーフリー支持者の中には、それは「行き過ぎたジェンダーフリー」であって
正しいジェンダーフリー理解ではないと主張する人もいるかも知れない。しかし、ここに書いたことは社会施策として
国政および自治体レベルで検討されている方針であり、今となってはこれと異なる「ジェンダーフリー理解」の方が
傍流であると考えざるを得ない。

2.専業主婦潰しの「働けイデオロギー」
 男女共同参画では性別にこだわらない生き方の選択ができるよう、社会の制度や慣行を中立にするといっているが、
そこで検討されている具体的な内容は、まったく「中立」とはいえないものになっている。例えば、専業主婦の税制、年金、
健康保険上の制度を改め、事実上の専業主婦の廃止を狙っている。「性別にこだわらない生き方の選択」も、
選択肢が増える方向ならば結構だが、これは逆に社会主義そのものの「働けイデオロギー」に他ならない。

3.「家族」制度の否定
 男女共同参画審議会の答申(平成12年・森内閣当時)では一応「男女共同参画社会は個人を尊重する社会であって、
もとより家族を否定するものではない」と述べられている。しかしこれは言葉のマジックであって、この答申にいう「家族」は
「多様な家族」を意味し、決して従来の家族観を守ろうとするものではない。

4.誇大な効能書き
 一例を挙げると、ジェンダーフリーが実現すれば女性に対する暴力が根絶できるとしているなどがこれに当たる。
タテマエがどうあれ「女性解放」のフェミニズムを背景に置いた答申だから、男女共同参画社会が(つまりはジェンダーフリーが)
実現してもDVはなくなりません、とはいい難かったのかもしれない。だがもし仮にこのような政策が実現し、それでも女性に
対する暴力が起こった場合はどうするのか。断言してもよいが、男女共同参画審議会の委員の誰一人として責任を取ろうなどとは
言い出さないだろう。それくらい無責任な誇大広告つきの案件であることを指摘しておきたい。 (つづく)
579「男女共同参画」は共産主義思想:03/04/11 18:55 ID:Isp3kWvD
 実はこれらは目新しい構想でもなんでもなく、19世紀に『家族・私有財産・国家の起源』(岩波文庫)の中でエンゲルスが
述べていることがほとんどなのである


一夫一婦制とは夫婦の階級対立・階級闘争である。夫は家族のなかでブルジョアであり、妻はプロレタリアートを代表する。

近代「家族」において女性(主婦)の仕事(家計・家事)は非社会的な私的奉仕である。
女性(主婦)は外に働きに出ることと家事とを両立することができない状況に置かれている。

稼ぎ手・扶養者たる夫は、経済的優位によって(=法的な特権によらず)家庭の支配者の地位を手に入れる。
この経済的要因による不平等は、男女の法的な平等の達成によって
(=法的不平等という要因が排除された場合に)、誰の目にも明らかになる。

したがって、女性の解放は公的産業に復帰することを第一の前提条件とし、そのためには「家族」が社会の経済単位であること
(夫の給与で家族が生活すること)の廃止を必要とする。
さらにそのためには、残された子供達は親に代わって社会が面倒を見る必要がある。
 こうしてみると、現在の男女共同参画と同じことをいっているのが一目瞭然である。つまり「働けイデオロギー」と「育児の社会化」で、
後者は具体的には保育所の完備、特に0歳児保育・夜間保育・休日保育等の要求という形をとっている。(つづく)
実はソ連では、ロシア革命直後に女性解放のための政策も実施している。その内容は、もちろんマルクス&エンゲルスのそれだ。
そして、見事に失敗した。堕胎と離婚の急増、出産率の急減、少年非行の急増。そしてなによりも、性の自由化がもたらしたのは
生活を破壊された女性と、両親の揃わない子供達の急増であった。もちろんソ連政府は(というべきか、ソビエト共産党は、
というべきか)政策を180度転換することになる。

 もうひとつの失敗例はスウェーデンで、ここでもフェミニズム=ジェンダーフリー思想による「育児の社会化」政策が勧められた。
その結果として生じたのは、親の国家への精神的依存体質と、やはり少年非行の急増だった。このスウェーデンの失敗政策も、
現在では不況と財政赤字も手伝って方向転換している。

 はたしてフェミニスト=ジェンダーフリー論者は、これらの失敗例について無知なのか、それとも知っていて口を拭っているのか、
興味のあるところだ。少なくとも、過去の海外の失敗例を踏まえた改善策などはまったく見られないのだから、「かれらはやり方が
拙かったのだ」といういいわけも出来ないだろう。もしそう主張するのであれば、彼らの失敗の原因が那辺にあり、それについて
どのような対策を考えているのかという、具体的で説得力のある説明ができなくてはならないだろう。しかしそれが不可能なことは、
少し考えれば誰にでもわかることなのではないか。社会主義と同様、成功例が存在しないのだから話にならないのだ。(つづく)
581実は女性性が憎い?:03/04/11 18:58 ID:Isp3kWvD
現にジェンダーフリーが目論んでいることの一つは「専業主婦潰し」であり、選択肢の限定である。もちろん私は「男性は外、
女性は内」という固定した観念を持っているわけではないから、外に出て働きたいと思う女性が存在することそれ自体には、異論はない。
というよりも、それは私が賛成したり反対したりするようなことではなく、「好きにしてくれ」としか言いようがないことなのだ。
だが、「外に出て働きたい女性」が(まさか、そのすべてがというわけではあるまいが)、自分たちだけに都合のよいように
社会制度を変えようとするのは不当だ、といいたいのである。現在のフェミニズム=ジェンダーフリーの主張は、せいぜい
「外に出て働きたい女性」にとっての解放に過ぎず、間違っても「すべての女性」の解放とはなり得ない。
自分たちの要求を主張するのはよいが、それを全女性の意見であるかのような形で主張するならば、「一部女性の特殊意思」を
「全女性の一般意思」にすりかえる欺罔である。