有名なフェミニストを真剣に批判するスレ Part4

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504ロニー
二セックスとジェンダーのずれ
内容
(内分泌の次元で見ると)肉体的性における男女は胎児は最初は常に女性であり
胎児の一時期での男性ホルモンのバランスが多いと肉体的な男性と移行する。
男性ホルモンと女性ホルモンのバランスによって男女の違いは決定されるのであり
男女の違いとはこのホルモンのバランスの違いに過ぎない。
(ホルモンの連続性から言えば)「より男性的なホルモンをもった個体」と「より女性的なホルモンをもった個体」しか存在しない。
男女に明確な区別は存在せず程度論(more or less)である、これがセックスによる性である。

当然ながらこのようなセックスには中間が存在する。、外性器の矮小化した男児、外性器が肥大化した女児、半陰陽
対して文化的性は「男」と「女」の2つしか用意されてない。
これがセックスとジェンダーのズレである。
全ての人間は「男」か「女」に区別されてしまうのである。
二セックスとジェンダーのずれ、
内容、続き
さらにマネーとタッカーは性診療の外来で、ジェンダーによる育成と肉体的なものとのズレから性転換を望む者が多く
その解決法として(例えば女性として育てられたが肉体は男に近かった)
セックスにジェンダーを合わせる(今日から君は男として生きなさいとカウンセリングする)よりも
ジェンダーにセックスを合わせる(男性器を切除する)方が問題なく解決できた。
これによって生き方を決定するのは肉体ではなく文化であると言える(本文では明言されていない)
そして肉体と文化は連続ではなく切断されている
506ロニー:03/01/03 04:29 ID:HYB2q3lH
二セックスとジェンダーのずれ
批判
まずものと文化のズレだが、これは性に限らない
カテゴリーはものに属さない先験的な投影であり、それの正しさは確かめようがない(カント)
このようなズレは性に限らず、交通の右側通行、左側通行でも同じ例を取ることができる
(もちろん上野もこれが差別であるとは一言も語ってない)


>X遺伝子とY遺伝子との二項的な組み合わせからなる遺伝子上の性差でさえ二種類以上の性差による連続体を構成している
上野はXXXなどの超女性と呼ばれる例を挙げることで遺伝子の連続性を指摘しているがこれは不十分である
例えば血液型のABO遺伝子において
AOとAAは異なる遺伝子であるが同じ遺伝発現と遺伝子情報から読み取られる
遺伝子を見るならばXYとXXではなく、X遺伝子とY遺伝子との見方をすべきである
これをせず個体という枠組みの中でのみ遺伝子について語るならば「遺伝子的にも連続している」の言明は顛末である
上野はただ自らのイデオロギー言明の保持のために「遺伝子の連続性」を無理やり作り出したに過ぎない
(ちなみにこの批判はくだらないあげあしとり)

2マネーとタッカーの例において
>幼児の時から男児は空間能力にすぐれ、女児は言語能力にすぐれているといった調査結果があるが(マネーとタッカーへの反証例?)
>マネーとタッカーによれば被験者が調査に応じられるようになるまでには「性自認」は形成されてしまっていることになる(言明A)
言明Aは科学的言明ではない(反証逃れに過ぎない)、これを科学的言明とするには「性自認」がいつまでに形成されるかを答える必要がある。
また、言明Aが正しいならば文化すなわち周辺の言語による影響によって、空間能力や言語能力に変化をもたらすことになる。
言語によって言語能力が優れるという結果が出るのは理解しやすいが
対して言語によって空間能力が優れるという結果が出るというのは理解に苦しむ。
この言語と空間能力形成との関係が明確にされていない状況においては
言明Aとそれと対になるであろう言明「幼児期においては肉体的性差によって能力の分化が見られる」(言明A’)
では言明A’の方がより合理的である。
(もっとも上野はマネーとタッカーの主張を説明をしているだけで本人はそこに言及していない)