>708
情報をありがとうございます
>ロニーさん
遅いレスですが・・・
>529
>チキンリキン氏を批判するには、殺してよい人間が存在することを指摘することが妥当と思われます
>そして僕はその例として死刑囚を挙げます
「人間を殺してはならないこと」と「殺してよい人間がいること」、どちらを採用しても(両者をいっぺんに
採用しても)私自身の殺人に対するスタンスは変化しないようです
両者には状況や条件などの限定が付随するので棲み分けが可能になっているのだと思います
自分勝手に付随させている、と表現すべきですが
>709
>当事者どうしが認識の外にその判定基準を設定すると思います
>その設定は同一性である必要性はありません、ただお互いに設定するだけでことたりうる考えます
なるほど、それぞれが設定するということですね
>僕が、それを「真理への接近」と表現するのは、それを「真理への近似」と区別するためです
「真理への接近」と「真理への近似」という概念の差は理解しつつあります
以前説明があった「真理への接近」ですが、このような態度を合理的・非合理的の基準にすることに
異議はないのですが、未だに「真理」へのアレルギーがあるのでしょうかなかなか素直に肯定できません
「より良い(効果的な)○○○を求めて」と表現されるのであれば、問題を感じないのですが
>僕はタルスキは理解できませんでした、先生からは数学の素養が必要と言われました
では、タルスキは私にとって居ないも同じですw
とりあえず、読書リストの一番後ろに回しておきましょう
>いえ、そんなことはありません、それに自分だけの理論は客観的知識として無意味です
ゼミの先生が「難しく語ることは能力じゃない、能力の欠如だ」と言っていた事を思い出します