由美子さん、フェミニストの侵略基地につらつらと駄文を書いたので讀んで下され。。
それとロニーさん、シャアマニズムに着きましてはまた何れ。。
894 :
名無しさん 〜君の性差〜:02/12/08 18:55 ID:PLvX9tQj
895 :
名無しさん 〜君の性差〜:02/12/08 19:29 ID:kx4Jpc8M
フェミニスト=ファシスト
語呂が合っているだけにやり方も似ている。
897 :
名無しさん 〜君の性差〜:02/12/08 20:03 ID:2y+vf+wf
あの、田嶋以外で今時自称フェミニストっているんですか?
田嶋先生だって実際の肩書きは教授だし
898 :
名無しさん 〜君の性差〜:02/12/08 20:14 ID:/0GoXBem
ログが長いのでロクに読んでいないのだが、
ちょっと根本的なところを伺いたい。
フェミに論破するような論なんてあるの?
>>854 たとえ目の醒めるような美貌の持ち主でも
フェミだったら、ちょっと躊躇するだろうなあ。
家父長制マンセーまでいかんでもいいが
むむ程度なら美女よりそっちを選ぶ。
901 :
594:02/12/09 00:37 ID:ANgqWivX
>>889 「好きです」にはアイロニーではなくユーモアが感じられますね。
自分は正直なんだか感銘を受けてしまいました。
902 :
ロニー:02/12/09 19:46 ID:eJyWI7Z1
>>874 >「女性の理科離れが男性差別?」
は「女性の理科離れが女性差別?」の誤りです、全然意味合いが違ってしまいますね
>>878 そうですね、経験科学は(全てとは言えないまでも)探求にあたって問題を解決するモデルとなる方法ですね
規範として経験科学の方法を参考にすることは理論の進化、より良き発展につながります
逆に経験によって排除できる可能性の無い理論は、(決して偽であることを意味しませんが)
問題−解決の図式において何の解決ももたらさない理論であると言えるでしょうね
議論においては反証可能性のより低い理論を却下せねば我々は前に進むことができませんので
>>880 >フェミヘイター氏
あなたの言うことはもっともですが、僕の意図したところは理解していただいたと思います
ボクシングは適当に思いついた例なので別になんでもよかったのですが
バァーリトゥードというあなたの表現はおもしろいです
あなたの方法、女性差別という意見を逆手にとって男性差別を主張する方法は
確かにバァーリトゥードという表現が似合っているように思います
ポパーも決して、経験科学的な議論以外は議論する価値が無い、とは言ってません
オカルト的なものでも議論しないよりは議論するほうがよい、と語ってます
しかしほどほどに、
やり過ぎは煽り合いと議論の放棄という結末の可能性を持っています
それはとても悲しいことだと僕は思います
903 :
ロニー:02/12/09 20:14 ID:eJyWI7Z1
>>882 >。言論における暴力、そして暴力によって
>言葉を奪われた人々にも目を向ける必要があると思うのですが、どうでしょうか。
確かにあなたの言うように、言論はそれだけで良いと言えるものではありません
しかしここでは「暴力」という言葉の二義性を払拭するためにも
言葉の定義をさせていただきます
身体的な面に限定される暴力→「暴力」
言論において口を封じる暴力→「野蛮」(以後、この表現を使用)
まず引用していただいた下りの説明をさせていただきます
>いかなる立場に立つことも(少なくとも脳で想像する限りは)自由に行える
>想像を(完全にではなくとも)言葉で表現し伝えることができる
>そして言語という非暴力的な方法は(非常に稀かもしれないが)現実をよりよく変化させることができる
(3つで1セットです)
これは僕なりに三世界論をまとめた文章です
無神論の徹底から人間意思を否定する唯物論、精神と肉体を分けて思考する心身並行論
精神だけの世界を表現する観念論、知覚の外に世界を設定する実在論
記述の徹底から実在論を導き出す独我論など、多くの物語の中で
最も異端であり(多元論なので)、かつ最も素晴らしいと僕が思う物語です
三世界論とは、脳(感覚)、言語(公共的現実)、もの(世界)の3つを分断する思考法で
次のように説明されます
・世界は言語を通して我々の脳(感覚)を形成し、我々の脳は言語を通して世界をより良くする(べきである)
僕の定義において「暴力」とは実在世界(と表現される世界)における生命の排除です
対して「言論」における暴力は言論世界における理論の排除であり僕はこれを「野蛮」と仮定します(今回の議論の中だけ)
さて野蛮な言論とはいかなるものか?
この問いに答える前に少し別の角度から探ってみようと思います
904 :
ロニー:02/12/09 20:50 ID:eJyWI7Z1
第二次世界大戦、20世紀の歴史の中で最も悲劇的な2つのできごとの一つであり
ドイツでは全体主義の名のもとにユダヤ人排斥運動が起きました
多くの著名なユダヤ人学者はヨーロッパを離れ、アメリカやイギリス、オーストラリアに亡命したのですが
このナチスとアウシュヴィッツの悲劇は多くのユダヤ人学者の心を痛ませそして様々な思想を生むきっかけとなりました
アドルノ、ベンヤミン、アレントらもそのような者の代表です
そしてアドルノはナチスの「悪」を次のような理論で説明しました
我々は自己形成の途上でさまざまな抑圧と克己を経ることで画一的な自己のあり方を見つける
その自分に「他」を同一化させようとするとき、すべての悪の根源としての「暴力」が始動する(現代思想の冒険者たちアドルノ参考)
そして同一性を批判し、非同一性の受け入れを主張しました
アドルノの語る「暴力」とは他者を排除する暴力であり
脳、言論、肉体の全てにおいて通用する暴力です
しかし僕は三世界論から次のように反論します
A肉体(世界)における排除は悲劇である、これには同意する
B脳(感覚世界)における排除は言論によっても不可能である(精神や心理はAに属する)
C肉体的暴力による言論の排除は世界にとって不利益である
D規律ある議論における言論の排除はむしろ世界の発展に貢献する
そして同一性と非同一性に関してハーバーマスと同じ批判をします
・同一性からの開放を求める行為はコミュニケーションの放棄という悲劇を招く
我々は同一性を少なくとも求めるものとして設定せねばならない
ではナチスの悲劇はいかにして起こったのか?
僕はアドルノの対論として次のようなモデルを提案します
・悲劇の原因は同一化という行動にあるのではない、自己同一性の維持にあるのだ
我々は自己非同一性を持つべきである
905 :
ロニー:02/12/09 21:18 ID:eJyWI7Z1
(注)
>>904 (上における精神、心理とはPTSDやトラウマと呼ばれるものです
それは身体世界における行為によって脳を傷つけるものと呼べるでしょう)
先のモデルの意味するものは次のように言うこともできるでしょう
・理論はその社会性と切り離されて考えられねばならない
理論が排除されることとその者が排除されることは全く無関係です
そして自由な討論はより適切でない理論をふるい落とすことができます
合理性の信仰は議論の持つ力の信仰です
公共性、他人との関わりにおいて両者にとってより良い結果が生じるだろうという肯定的な態度です
(議論における具体的な規律に関しては後述)
そして同一化、議論において完全な合意が得られなかった場合において
最も適切である理論を一時的に採択することは問題ないと考えます
これを押し付けや全体主義と呼ぶならば
反全体主義はアナーキーな無政府主義以外に存在しないことになります
フェミニズムのある一部においては、この反全体主義の発想から
マジョリティー(例えば国家)によるマイノリティー(例えば一市民)の意見の排除を悪、とする思考があります
僕はこれに対して次のような対論を提出します
・マジョリティーによるマイノリティーの意見の排除は認められる(ただし次の2点が認められねばならない)
A’誰もが一人の人間というマイノリティーであること
B’誰もが自由にマジョリティーの立場となって発言できること
我々が自らの社会性に自らの言論が支配されねばならないという発想
我々がその個人の名にかけて常に同じ思想を持たねばならないという発想
これらこそ不幸と誤りの要因であると僕は考えます
我々に求められる義務はより良き追求であり、決して取るに足らない整合性ではありません
ましてやそのような自己同一性に問題の解決や前進以上のものを求めるのは大いなる誤りであると思います
906 :
ロニー:02/12/09 21:40 ID:eJyWI7Z1
えー数時間で練り上げたため、飛躍や無意味な文がありますね、すみません
定義しときながらその表現を使用してないし(←何のための定義?)
あと、断りとして、ポパーはアドルノの理論に全く興味を示してません
これは僕個人の主張です、破綻していてもポパーのせいではありませんので
では、議論における規律に触れる前に
ポパーとその弟子バートリーとの論争によって出てきた「ほらふき男爵のトリレンマ」の説明をしたいと思います
仮にある理論Pが存在するとしてPの正当性を証明しようとするとPの正当性は次の3つのいずれかに行き着く
1、恣意的打ち切り(A→B→C、Cは絶対)
2、無限後退(A→A’→A’’→・・・・)
3、循環(A→B、B→A、)
このトリレンマの意味するところはいかなる理論もその正当性を証明することができないという事実です
それは逆に言えば、いかなる理論も批判可能であり議論可能であるという事実です
(あくまで一部の変人たちにとってであり、現実の社会には常識が存在しますので他の議論で使用するのは避けたほうがいいです)
そして、これが意味するところは
「私は絶対に正しい」とする態度は絶対に誤りである、ということです
これを基準にポパーは議論に臨む態度、学者の持つ職業意識を提案します
以下、学者の義務となる態度を引用します
907 :
ロニー:02/12/09 21:52 ID:eJyWI7Z1
まずはじめに3つの原則から
1、可謬性の原則
おそらくわたくしが間違っているのであって、おそらくあなたが正しいのであろう。
しかし、われわれ両方がともに間違っているのかもしれない。
2、合理的討論の原則
われわれは、ある特定の批判可能な理論に対する賛否それぞれの理由を、
可能な限り非個人的に比較検討しようと欲する。
3、真理への接近の原則
ことがらに即した討論を通じて、われわれはほとんどいつでも真理に接近しようとする。
そして、合意に達することができないときでも、よりよい理解には達する。
次のようにまとめられます
1、謙虚たれ、寛容たれ
2、相手を自分と同等として扱え
3、希望をもて
908 :
ロニー:02/12/09 22:07 ID:eJyWI7Z1
そして12の学者の職業意識
1、われわれの客観的な推測知は、いつでも一人の人間が修得できることをはるかに超え出ている。
それゆえ、いかなる権威も存在しない。このことは専門領域の内部においてもあてはまる。
2、すべての誤りを避けることは、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けることは、不可能である。
誤りは、あらゆる科学者によってたえず犯されている。
誤りは避けることができ、したがって避けることが義務であるという古い理念は修正されねばならない。
この理念自体が誤っている。
3、もちろん、可能な限り誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である。
しかしながら、まさに誤りを避けるためには、誤りをさけることがいかに難しいことであるか、
そして、なんぴとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。
4、もっともよく確証された理論のうちにさえ、誤りは潜んでいるかもしれない。
それゆえ、そうした誤りを探求することが科学者の特殊な課題となる。
よく確証された理論、あるいはよく利用されてきた実際的な手続きのうちにも誤りがあるという観察は、重要な発見である。
5、それゆえ、われわれは誤りに対する態度を変更しなければならない。
われわれの実際上の倫理改革が始まるのは、ここにおいてである。
なぜなら、古い職業倫理の態度は、われわれの誤りをもみ消し、隠蔽し、
できるだけ速やかに忘却させるものであるからである。
6、新しい原則は、学ぶためには、また、可能な限り誤りを避けるためには、
われわれはまさにみずからのあやまりから学ばねばならないということである。
それゆえ、誤りをもみ消すことは最大の知的犯罪である。
909 :
ロニー:02/12/09 22:22 ID:eJyWI7Z1
7、それゆえ、われわれはたえずわれわれの誤りを見張っていなければならない。
われわれは、誤りを見出したなら、それを心に刻まねばならない。
誤りの根本に達するために、誤りをあらゆる角度から分析しなければならない。
8、それゆえ、自己批判的な態度と誠実さが義務となる。
9、われわれは誤りから学ばねばならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせてくれたときには、
それを受け入れること、実際、感謝の念を持って受け入れることを学ばねばならない。
われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと同じような誤りを犯したことがあることをいつでも思い出すべきである。
もちろん、わたくしは、われわれの誤りは通常は許されると言っているのではない。
われわれは気をゆるめてはならないということである。
しかし、くりかえし誤りを犯すことは人間には避けがたい。
10、誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とするということ
とりわけ、異なった環境のもとで異なった理念の元で育った他の人間を必要とすることが自覚されねばならない。
これはまた、寛容に通じる。
11、われわれは、自己批判が最良の方法であること、しかし他者による批判が必要なことを学ばねばならない。
それは自己批判と同じくらい良いものである。
12、合理的な批判は、いつでも特定されたものでなければならない。
それは、なぜ特定の言明、特定の仮説が偽と思われるのか、
あるいは特定の論証が妥当でないのかについての特定された理由を述べるものでなければならない。
それは客観的な真理に接近するという理念によって導かれていなければならない。
このような意味において、合理的な批判は非個人的なものでなければならない
910 :
ロニー:02/12/09 22:45 ID:eJyWI7Z1
>対論の有無について
これは投票の原則として、たったひとつの提案しかなければ、
それがどんなに愚劣な提案であったとしてもその提案を採用しなければならない
という原則がありますので、
議論においてもそうですね
もっとも政治においては実行する/実行しないの二択が必然的に設定できますが
>愛について
実はポパーは愛は紛争解決の役に立たないという主張もしています
あるところにピアノを趣味とするポニーとバイオリンを趣味とするクライドがいる
ポニーの演奏会とクライドの演奏会が同じ日に行われるという悲劇があった
ポニーが、クライドへの愛のためにバイオリンの演奏会に応援に行きたいと願い
クライドが、ポニーへの愛のためにポニーにピアノの演奏会に出てもらいたいと願う時
二人の愛が強ければ強いほど、この問題は解決不能に陥る
ポパーとしては、紛争は自らの欲望では解決できないということを言いたかったのでしょうが
学者特有の変人ぷりを見せてますね
>マンガ狂氏
分かりました
楽しみに待ってます
911 :
ロニー:02/12/09 23:01 ID:eJyWI7Z1
>由美子氏への態度に関して
これはポパーとバートリーの論争の問題と言えますね
(ポパーの弟子はポパーを批判せねばならないのですが)
ポパーの理論のおそらく一番の欠点は、この合理主義の不合理性なのです
ポパーは「私は相手が議論をする限り誰とでも議論をする、しかしそれを否定する者とは議論しない」という態度です
バートリーは「私は、相手が議論を否定する者とでも議論する(私が議論しないのは傲慢である)」という態度です
そしてアーベル(ポパーの弟子の女性です)は
「議論を否定する者は、その否定を議論せずには主張不可能だから矛盾している、だから相手にしなくていい」という態度です
これはポパーをして、最も取るに足らない何の進展も無い議題と言わせた問題提起ですが
僕はバートリーにはなれません
やはりポパーと同じく、排除する側の人間であり、ポストモダニストには揶揄される人間です
ただ由美子氏に関しては対話暦が少ないだけなのかもしれませんね
912 :
名無しさん 〜君の性差〜:02/12/11 20:51 ID:L/KwTkSo
913 :
名無しさん 〜君の性差〜:02/12/11 21:33 ID:G1tAWHE8
>ロニー
職業は何ですか?w
914 :
名無しさん 〜君の性差〜:02/12/11 21:43 ID:u1zG3ohJ
>>913 師走におヒマな人に、きいちゃダメ。
つーか・・ロニーさん。。。
携帯電話、さわったことある(^^;?
915 :
名無しさん 〜君の性差〜:02/12/11 21:47 ID:omrUgjjK
916 :
名無しさん 〜君の性差〜:02/12/11 22:10 ID:OeUSQd2n
>>912 読んでいて頭が痛くなったなり・・・。「〜は社会的構築物である」という、例のフェミ論。
その報告にも出てくる、「生命学」をやっている森岡正博という人が、フェミとつるんで
トンデモなことをやったり言ったりしているので、いったい何者かと調べたところ、
まず、肩書きは大阪府立大学総合科学部人間科学科教授。
出身は文学部、専攻は倫理学。つまり医学系ではない。哲学や現代思想が守備範囲。社会学の分野で
論文や本を書いている人。
つまり、自然科学の専門知識もなくトンデモな科学論を語ったりする、カルスタ系のアホ学者でした。
917 :
名無しさん 〜君の性差〜:02/12/11 22:48 ID:L/KwTkSo
918 :
名無しさん 〜君の性差〜:02/12/12 00:03 ID:MGJCrhEy
919 :
名無しさん 〜君の性差〜:02/12/12 00:07 ID:wwMOqMA/
なんてことするんだ政府は!この少子化時代に、これじゃあ
誰も結婚しなくなるではないか!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021212-00000067-mai-bus_all 配偶者特別控除(最高38万円)は専業主婦などの世帯、特定扶養控除(63万円)は16〜22歳の子供がいる世帯に適用される。
両控除が廃止されると、所得税がかからない年収の水準を示す課税最低限(4人家族で384万円)が下がり、
これまで課税最低限を下回っていた所得層も新たに税負担を求められる。課税最低限を上回る年収の世帯でも増税となる。
与党内では、自民党税制調査会(相沢英之会長)が「多年度税収中立」を維持しながら一定の先行減税規模を確保するには、
配偶者特別控除の廃止などが不可欠と判断、与党内の調整を進めた。これに対し、公明党は支持基盤を直撃する控除廃止に反発、
「税負担が重くなるなら、見返りとして財政面での対応が必要」と、児童手当の拡充を強く求めていた。
920 :
八一八:02/12/12 14:54 ID:zKcdGTR6
>>916 >読んでいて頭が痛くなったなり・・・。「〜は社会的構築物である」という、例のフェミ論。
哲学思想系の友人が「最近、構築主義なるものに影響された卒論が多くて辟易して
るんだよ」と言ってましたね。まあ、私が教わった文学系の老教授によれば、
「60年代から70年代は『不条理』といえば済むと思ってるような卒論が多くて
辟易した」とのことですから、時代の流行というものなんでしょう。
ところで社会構築主義ってのは、反本質論であることを標榜しながら、実は
社会本質論であったり言語本質論であったりしますよね。やっぱり本質論から
免れるのは難しいのかな。
921 :
名無しさん 〜君の性差〜:02/12/12 22:31 ID:CV8xDNkl
哲学板で見つけた、現代思想にとりつかれた人間に向けた言葉
「 無 責 任 人 間 の 自 己 正 当 化 的 弁 明 」
922 :
名無しさん 〜君の性差〜:02/12/12 22:45 ID:CV8xDNkl
というわけで、
>>722 >フェミニズムがあんなものを産み出しているのですか?!
そういうものを生み出しているようです。
923 :
名無しさん 〜君の性差〜:02/12/13 18:40 ID:DLCj//PF
age
924 :
CSA:02/12/14 11:38 ID:LGaXXOiU
数週間ぶりに覗きにきました。
読むのが ツライ 。
925 :
ロニー:02/12/14 17:39 ID:J/z+Wfjw
>>913 2ちゃんでの公式プロフィールは以下
性別:不明
年齢:高校生
職業:ひきこもり2ちゃんねらー
最終学歴:おそらく中卒となるだろう
性暦:童貞
偏差値:ド低脳
趣味:猫殺し
血:朝鮮の血は入ってないのでご安心ください
僕はネットに議論の新しい可能性を見ています
それは社会性と切り離された議論をこの新しき第三世界に見出しているのです
ついでに付け加えるならば僕もまたマイノリティーと呼ばれる部類の人間ですよ
926 :
ロニー:02/12/14 17:46 ID:J/z+Wfjw
>>914 確かに税理士に厄介になっているわけではありませんね
>携帯電話、さわったことある(^^;?
質問の意図を特定できませんので2つの回答を用意しました
1さわったことはありますよ
2歴史に仕える者が芸術史に興味が無いのは悲劇です
>CSA氏
>>924 お久しぶりです
機会があればまた議論をしましょう
927 :
ロニー:02/12/14 18:16 ID:J/z+Wfjw
>八一八氏
>>920 >ところで社会構築主義ってのは、反本質論であることを標榜しながら、実は
>社会本質論であったり言語本質論であったりしますよね。やっぱり本質論から
>免れるのは難しいのかな。
我々が主張する際には何らかの理論(モデル)という形を借りる必要があります
モデルは対象の抽象化からの近似と言えますが、
抽象化という行為は(本質からの)抽出(エッセンス)と言えるので
どのように取り繕っても、理論は何らかの本質を示しているという態度を取らざるをえないということだと思います
近似≒本質的同一性
上野千鶴子の主張する本質主義批判はむしろウィトゲンシュタインとの関わりが強いと思います
それは言語世界の向こう(以降、説明しやすいのであえて三世界論で語ります)の実在世界における本質(もはや実在世界そのもの?)を否定する作業であると思われます
しかし、それは実在世界を存在しないとし言語世界のみを世界とする態度と変わらないと思います。
(その結果、上野は実在論から独在論に後戻りしている印象を受けます)
上野の完全な恣意的曲解でしょう
ウィトゲンシュタインですらその配慮は十二分に行ってます
・語りえぬものには沈黙せねばならない(沈黙すべきである)
この言葉を
・語りえぬものを語ることはできない、こう上野が解釈した(というのが僕の解釈)です
我々が言語に縛られる限り「本質」という言葉から逃れることはできないでしょう
しかし我々の精神の掲げる問題意識は言語に縛られない自由なものであると思います
「本質」という言葉は変化せずとも、(ウィトゲンシュタインの家族的類似も本質とすら言えてしまう)
我々の問題意識は自由に言語を超えて理解しあうことができると僕は思います
928 :
ロニー:02/12/14 18:50 ID:J/z+Wfjw
>八一八氏
少し、クダを撒かせてください
僕は前回、フェミニストに対してかなり挑戦的な、受け入れ難いようなモデルを提案したつもりでした
それで議論が起こればおもしろいと思ったのですがそれでも反論が無いというのは
とても残念なことであるとともに、とても悲しいことだと思いました
議論や論争が起きないということは、
新たな解決方法も、新たな問題意識も、そして新しき理解も得ることができないということです
僕の知的進歩はずっと止まったままなのです
最後に合理主義の不合理性でもって、罵倒して去ろうかとも思いましたが
あなたの真摯で誠実な態度で少し救われた想いです
構築主義やポストモダンを叩き斬るのをやめるかわりに少し述べさせてください
少し前に小林よしのりと林道義の対話のリンクが張ってありましたが、
(僕はこの手の話題は苦手で参加したくはないですし、また興味もないのですが)
その小林よしのりの言葉をひとつ挙げたいと思います
それは「戦争の反意語は何か」という問いだったと思います
そして彼はこう答えたそうです
「戦争の反対は平和ではない、平和とは状態をあらわす言葉だ、戦争とは手段をあらわす言葉だ
戦争の反意語は議論だ」(本を読んだことが無く友人の言葉からなので間違ってたすみません)
我々は理論を競争に投げ入れることでその優劣を知ることができます
そして理論の敗北とともに、その理論の持ち主を殺害したり本を焼いたりすることをせずに
理論を捨て去ることができます
それは我々がもつ言葉という道具の最もすばらしい側面であるように僕には思えます
929 :
ロニー:02/12/14 19:08 ID:J/z+Wfjw
>「不条理」について
サルトルの実存思想についてポパーは次のように言っていたと思います(うろ覚え)
私はサルトルの思想を間違っていると評そうとは思わない。
それどころか彼の思想はほんの些細なことに関してはむしろ正しいと思う。
しかし彼の思想は問題の解決に何の寄与もしないし、世界のほんの少しも説明していない。
ただ、「不条理である」と叫び、「我々の決断が全てだ」と言ってそれで終わるだけである。
930 :
名無しさん 〜君の性差〜:02/12/16 00:01 ID:Ua1sqayh
法律板でこんなのを発見。
法律にそわない変な理屈をこねる、電波発言を繰り返す人に対するレスのようだが、
フェミニズムとフェミニストにもあてはまるので転載。
>ちゃんと科学的思考が出来る人の語る哲学は、現実に裏打ちされた立派なものとなるけど、
>出来ないヤシの書いたものは、一見まともなことを書いているようで、実はとんちんかん
>なことの羅列な事が多い。
>でもって、おかしいことを指摘されても、オレはこう思うって言うだけでの独善的思考で
>観念的なことで反論するかそれさえも出来ずにキレルか。
>いずれにしても、まともな人間なら相手しようとは思わないわな。
>(キミもデンパ相手に論争しようと思わないでしょう?)
観念的なこと→非現実的、非科学的なフェミ論
それさえも出来ずにキレル→フェミニストの場合は詭弁で逃げるか、「フェミニズムを
理解できないのが悪い、勉強しなさい」と言って逃げる
http://www.semcoop.com/detail/0801487978 ここ10年のイリガライは、男女の間主観性がどうのこうのよりも、性的差異を
軸にして、個人対社会、西洋対東洋、多文化、グローバリズム等を考え直すとい
う方向性になってるみたいですね。ここまでくると、もうフェミでもなんでもな
くて、イリガライのいってることに格別目を引くほどのこともない、ということ
で邦訳されないのかな。(英語訳を読むしかない)
自然科学は女性差別の学問です。
物理学は女性差別の象徴です。
E=mc^2は女性差別の表現です。
934 :
八一八:02/12/16 13:56 ID:k7cCxQcU
ロニーさんはポパーに詳しいようなので、ポパーの著書でシロウトにお勧めのものがあったら
教えてください。
それからもう一つできたら教えてほしいのですが、ポパーというと科学論というイメージしか
ないんです。芸術については何か書いているのでしょうか。
というのも、ロニーさんが903以下で書いている文章を読んでなんか引っ掛かりを感じたのは
アドルノに触れた箇所なんです。
>我々は自己形成の途上でさまざまな抑圧と克己を経ることで画一的な自己のあり方を見つ
>けるその自分に「他」を同一化させようとするとき、すべての悪の根源としての「暴力」が
>始動する(現代思想の冒険者たちアドルノ参考)
>そして同一性を批判し、非同一性の受け入れを主張しました
言葉面としては間違ってるわけではないよな、と思ったのでコメントしなかったけど、アド
ルノをちょっとかじったことのある者からすると、どうも違和感のあるアドルノ紹介なの
のです。その違和感を言葉にしていくと長くなってしまうので今はやめときますが、
ここには「芸術」への関心・態度が関わっているような気がするので、今後のために
ひとまず上の質問をしておく次第です。
935 :
八一八:02/12/16 13:57 ID:k7cCxQcU
>上野千鶴子の主張する本質主義批判はむしろウィトゲンシュタインとの関わりが強いと思います
それはどうか分かりませんが、上野とヴィトゲンシュタインとは水と油というイメージです。
ヴィトゲンシュタインは社会変革なんかに興味を示しません。しかし、
>ウィトゲンシュタインですらその配慮は十二分に行ってます
>・語りえぬものには沈黙せねばならない(沈黙すべきである)
>この言葉を
>・語りえぬものを語ることはできない、こう上野が解釈した(というのが僕の解釈)です
もしロニーさんの解釈通りなら、上野の解釈は間違っていないと思います。というのも、
ヴィトの『論理哲学論考』は「ねばならない」(muessen)のオンパレードなのですが、
これはsollenの当為や命令を述べたものではなく、「かくあるしかない」という世界の
如何ともできない在り方を記述しようとしたものです。ただ言葉をだらだら垂れ流すことを
「語る」というのなら、「語りえぬもの」だっていくらでも語ることができるだろう。
が、世界と言葉との写像関係を考えていた当時のヴィトゲンシュタインにとって、
「語りえぬもの」に相関する言葉はありえなかったのです。「沈黙せねばならない」は
「有意味な語りは(原理的に)不可能」ということです。(もちろん私の解釈です)
936 :
八一八:02/12/16 14:05 ID:k7cCxQcU
>>いりがらいさん
>自然科学は女性差別の学問です。
>物理学は女性差別の象徴です。
>E=mc^2は女性差別の表現です。
イリガライって本当にそういうことを言ってるみたいね。
剛体の力学に比べて流体力学が遅れているのは物理学者が男だからだ、とか。
流体の「流れる」というイメージを直に「女性的」と結び付けて、女の
物理学者がいないから流体力学が発達しないというトンデモ説。
どうしてこういうのがフェミニズムの大御所として崇められているのか、
知ってる人はぜひ教えてください。
937 :
名無しさんの初恋:02/12/16 14:07 ID:7Cb/5Wkr
フェミニストを論破というか、議論をするのが難しい
彼女らに論理は存在しないのだから
938 :
ロニー:02/12/16 18:48 ID:4rYXrNrj
>八一八氏
>>934 >ポパーの著書でシロウトにお勧めのものがあったら教えてください。
個人的におすすめは『よりよき世界を求めて』と『フレームワークの神話』です
専門的な科学史の話題が少なく、どちらかというと社会科学批判、現代思想批判がメインであり
何よりも文章が読みやすいのがおすすめのポイントです
>アドルノ
確かに、アドルノは哲学者であると同時に音楽家でもあり、その2つは融合しているとはよく聞く話です
僕が想像する範囲では、ここの違和感は以下の理由ではないでしょうか?
1僕がアドルノの著作を読んだことがない
2アドルノの理論は僕の理論を出すための前置きに近いもの
3ポパーはアドルノを馬鹿にしている(ポパーはたいてい相手を立てるのですがアドルノとヘーゲルは例外の扱いです)
4ポパーは弁証法を忌み嫌ってる(弁証法は難解な表現で逃げるだけのものと批判しています)
5ポパーは弁証法が受け継ぐ歴史認識、歴史叙述を批判している
などではないでしょうか?
ポパーは芸術にもいくつか語ってますが、それは三世界論と結びつけて語ってます
確か『よりよき世界を求めて』にいくつか収録してあったと思います
しかし芸術の内容に触れるようなものではなく、あくまで芸術史としての観点なので
ニーチェなどと比較すると面白みに欠けるかなとも思います
939 :
ロニー:02/12/16 19:13 ID:4rYXrNrj
>>935 >それはどうか分かりませんが、上野とヴィトゲンシュタインとは水と油というイメージです。
>ヴィトゲンシュタインは社会変革なんかに興味を示しません。しかし、
うーん、上野の掲げる本質主義批判はウィトゲンシュタインの誤解と僕には思えます
それは、言語の向こうに問題は無く(「語れない」ではなく「無い」)言語にだけ問題がある、という態度だと言えます
ですから言語の向こうの世界を全く「無いもの」として扱ってしまったのが上野であると思います
対してウィトゲンシュタインは八一八氏が「示す」と言ったように、
あくまでその部分を意識した上で言葉を放ってる気がします
ウィトゲンシュタインは実在論であるが(求めたと表記した方が良いでしょうか?)
上野千鶴子は独在論である、
僕がこう表記したのはそういう理由からです
訂正された箇所もそのニュアンスをこめてのものなのですが
僕のウィトゲンシュタイン解釈はおかしいでしょうか?
もっともポパーにするならば有意味な語りはいくらでも可能(すべて誤りの可能性があるが)とする立場なので
ポパリアンがウィトゲンシュタインを語ろうとしている時点でとても難しい状況なのかもしれませんね
僕は積極的に語るべきだと思いますが(フレームワークの神話を排除するためにも)
940 :
ロニー:02/12/16 19:34 ID:4rYXrNrj
>>937 論理という言葉は危険ですので、合理性という言葉を使用しましょう
論理は意味をいっさい産み出さない関係です
「合理性が無い」という批判には上野は非合理主義ですから喜んで同意するでしょう
現在の流行は非合理主義ですから
>>八一八氏
追加で、(すべきである、については)倫理についての研究が必要となるでしょうね
僕はその点でサールとマッキーに興味を持って次の課題の焦点を当ててますが
上野もまたサールの言語行為論によって自らの理論の実践性を位置付けようとしている模様です
僕と上野では思想は両極端に異なるにも関わらず
そのアプローチが偶然にも重なるというのは何とも皮肉なことです
(あきらめて別のアプローチを探そうかなとも思ってますが、
ソクラテス、カントの流れだとポパーそのままなんで)
941 :
ロニー:02/12/16 19:44 ID:4rYXrNrj
>八一八氏
あと、僕の語りは視点が不安定に感じるかもしれません
それは(僕が思うに)、ポパーを知る前に傾倒していたマッハの影響が悪く作用しているのだと思います
ポパーとマッハは敵対関係にありましたが、僕にはそれはとても些細な部分においてであると思われ
マッハの著作を読むとポパーと通じる問題意識がはっきりと見てとれます(立場は180°逆なのですが)
読みにくい文章であることを陳謝します
942 :
932:
http://www.cas.usf.edu/JAC/163/irigaray.html わけわか以前に、ほとんど詩なものを普通、文字通りにとらないと思うが。「基
本的情念」に至っては、まえがき以外は読解不能なので読んでない(W。
どこが使えるかというと、たとえばここでは上野とかの「送り手」が顔を出すと、
我々は「受け手」という階層化された下の位置に置かれてしまうわけだが、これも
「送り手」と「受け手」=「ふたつ」である階層化されない関係
としてとらえるべきだ、という考え方に拡張可能(はずしてるかもしれんが)とい
ったところ。
第三期のイリガライの文章は読みやすいので、英語訳で読めば十分か。