以前書いたように、「サンタ組合」周辺に垂れた糸をたどって上ると、「超☆雌子魚」がいる店のあたりにたどりつく。
言うまでもなく「様々な肉」が「様々な輩」に売られている店だ。当然俺が望めば、「超☆雌子魚」も食べることができる。望まなくても向こうから来る。
残念ながら・・今のところ俺の手元からそのあたりまで上ったわが卒業生はまだいないのだが。その近くまで行っている卒業生はいる。もちろん「食われまくりの毎日」だろう。
俺の手元にいた魚とは言え、よほど気に入らない限り、離れれば過保護にしてやるつもりはない。戻ってきた際食う代わりに小遣いを与える程度。
一時期よりも薄くなったが、それでも俺が現在でもこの店の周辺と最もつながりが深いのは昔から書いている通り。
「集団魚が住む魚店」で触れた「堀魚店」などは、それとは別に、「ある本屋の人間」を通じて昔から関係がある。
俺はこの本屋の関係者(西友の魚を持ち込む本屋の関係者とは別人)とは「俺自身が中くらいの子魚だった時代」から旧知で、大学時代「裏物の販売」で協力していたこともある。
その際「阿呆な雌」にチクられ「販売」が発覚してしまったのだが、彼が連行された際も、俺のことを一切話さなかった義理堅い男だった。まあ俺の親が誰か、というのもあっただろうが。
当然周囲からの信頼も厚く、この方との深い関わりのお蔭で、「海老」のごとく「金持ってるだけの偉そうなガキ」だった俺が「桃天・石鹸ちちでか子魚」という「売り出し中の上物子魚」を食わせてもらえたわけである。
まあ当時に比べれば、魚の価値など相当落ち、名のある魚だろうが少し工夫すれば貴殿らでも食える時代だ。特に集団魚など「月給20万弱の凡人」程度にさえどうぞとばらまかれている。
人間とは金があろうが一人では何もできぬ。自己愛に縛られ誰ともまともに話せず、孤独に耐え切れず、発狂した末に抱えてきた金や財・そして雌を奪われた心の弱い輩を、俺は幾人も見てきた。
ここまでこの糞文を読んだ暇な方々も、俺の妄想はともかく、「対話能力」の大切さをもう一度認識して欲しいものだ。それは「作文」では養えぬ。瞬発力が鍛えられないから。
それが一番平和池で欠けている。逆に言えば、それさえあれば金は稼げるし魚も食える。集団魚など楽勝だ。小魚も欲ボケ親さえ丸め込めば喜んで差し出してくれる。あとは小魚といかに仲良くなるか。
>>198 バッシングとは相手を叩くことだが、平和池の大半は攻めていると自分でも勘違いしているだけで、やっていることは「自衛」でしかない。
攻めず、何もせず、困ったら文句だけ喚きたてる。いかにも「おまかせ民主主義」の無責任平和ボケ魚らしくて微笑ましいが、どうせなら地上で空き缶や戦国やイチロウちゃん相手にでもやった方が格好良い。
俺相手などにやっていても失笑されるだけ。
しかもあの程度では同じ地下に篭る同類のような「防御力0」にしか効かぬ。相手がのび太くんでも呆れられてしまうだろう。腕白ジャイアンに言われているわけではない、口だけの屁垂れの自衛ゲロなど。
そもそも、我侭に生きているなら文句を言われて当然だろう。それを楽しみ、自信を持って我侭に生きればいい。
周囲の反応を恐れ嫌がるくらいなら脳味噌など捨ててロボットになればいい。
これは貴殿らを馬鹿にしているのではない。これを書くことで、「そういう怠け魚ばかりの世の中では、枕など当たり前だ・・」と、いちいち証拠がなくとも愉しい妄想の手助けができると思っている。
証拠などに執拗にこだわるから賢い悪人は逃げ切り、検事様は焦って嘘をつく。
疑わしきは黒!これでハッピー。
以上。これが今年最後になるかもしれぬ。良いお年を。
にゃっ!やっとねずみひっかかったっ!あばれてるっ!そのままぱくっ!これでへいわっ!あれっ?まだいるっ!