http://www.unicef.or.jp/special/0705/ 数年前のある日、インターネットでいわゆる児童ポルノ禁止法に関する記事を見かけたとき、私はあるとても不吉な予感に襲われました。
記事の内容は児童ポルノ禁止法の概略とそのねらい、児童ポルノの現状を紹介したものだったのですが、
その中に、かつては少女を被写体としたヌード写真が無修正で載った雑誌・写真集が売られていて、比較的簡単に入手できる状態だったとありました。
私を襲った予感とは、それらの中に私が写った写真が載っているものがあるのではないか、 という予感でした。
もちろんそんな写真を撮られた記憶もない人がそんな予感を抱くわけはなく、実は私にはその記憶があったのです。
当時の雑誌を入手してみようかと思っていたところ、今ではインターネット上のファイル交換や画像掲示板などで児童ポルノが入手できるということでしたので、
私はそれを試してみることにしました。
はじめに何種類かの「画像詰め合わせ」の圧縮ファイルを入手し、それを見てみましたが、その中に自分とおぼしき少女は写っておらず、半分安心すると同時に、
まだ性的自覚が乏しく立場も非常に弱いことに付け込んで(強制的に撮ったとしか思えない写真や盗撮による写真もあり、それらも許せませんが)、
少女をこんな形で写真に撮ることが行われていることに強い怒りを覚えました。
児童ポルノは残念ながら世界中に無数に存在し、その中のいくつかを入手してその中に自分の写真が無かったとしても絶対に自分の写真が出回っていないという保証にはなりません。
でも私は、自分が安心したいという妙な目的で児童ポルノの収集を始めました。
それこそ何千万という写真が集まった頃、ある一群のサムネイル画像を目にしたとき、私は血の気が引いて一瞬気を失いかけました。
その一連のファイルをフォルダごと削除して見なかったことにしようかとその後数日随分悩みましたが、意を決してその画像を直視しようと決めました。
それらの写真には確かに私が写っていて、どの写真も見覚えのある、自分のベッドのあった部屋やお風呂などで撮られたものでした。
少女モデル気取りで、全裸、または下半身裸で、いろいろなポーズで嬉しそうに何十枚もの写真に収まっているのです。
この写真を撮ったのは私の父でした。