【炒飯】中村あやのpart8【AYANO〜N】

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85名無しさん@お腹いっぱい。
私の父はカメラマンか何かの仕事をしていたようで、よく私を撮ってくれていました。
「ようで」というのは、父は私が8歳のときに失踪したので、今は確認するすべがないのです。出来上がりの写真はとてもよく撮れていたことを覚えています。
小学校に上がって最初の夏休み、母はパートに出ていたので、私は昼間に父と一緒にいることが多くなりました。
そしてその夏休みの間、父はわたしのヌード写真を何枚も撮影しました。
もともと父におだてられながら、よくアイドルになった気分で父の要求するポーズで写真に収まっていましたが、
裸になったりAV女優顔負けのポーズをすることをどう納得させられたかはよく覚えていません。
「これはお父さんとA子だけの秘密だからね。誰にも言っちゃだめだよ。」というようなありがちな口止めをされたのか、
誰かにそのときのことを話したり、話すかどうか悩んだというような記憶はありません。
こうして撮られた写真の中でも特に耐えがたいのは、ニコニコ顔で脚をガバリと開いた写真、そして性器を左右から指で開いている写真です。
どうしてこんな格好を楽しそうな顔でしているのかと自分でももはやあきれるほかありませんでした。
四つん這いで尻を突き出し、左右の尻を開いて肛門、性器を露わにしながら、カメラの方を振り向いて笑いかけている写真。
そんな写真が本当にうんざりするほど何枚も何枚も撮られていました。
裸で写真を撮られたのはこのとき(夏休み)だけで、父はその次の年の秋頃に忽然と姿を消し、その後生きているのかも死んでいるのかもわかりません。
父が写真をその後どうしたのかはわかりませんが、どこか児童ポルノを買い取ってくれる会社に持ち込んでいたからこそこうしてインターネット上に画像ファイルとして流れているのでしょう。
どれも今ならば、いくらお金を積まれても、決してそんな格好で写真に収まるなんて考えられないような姿で、
しかも無邪気に、本当に楽しそうに写っている7歳の私自身に対してすらも怒りが込み上げてきました。
私はこのことに、つまり強制的に服を脱がされ性器を露わにされたわけではなく、大切な自らの性を、自分から喜んでカメラの前に晒していたという事実に悩まされました。
小学校の上がる頃には男の子の前で堂々と裸になることは絶対にできないぐらいの羞恥心は育っていましたから、
例えばもし父が撮った写真をクラスの子に見せようとしたとしたら必死で阻止しようとしたでしょう。
(実際にはそんなことはありえないことですし、逆に父がそう言ってくれていたら、
自分が撮らせている写真のすさまじいばかりの恥ずかしさに気づいてこんな風に撮られるのはいやだと言い出していたはずです)。
父は私が服を脱ぐ前にも写真を撮り、その写真だけを私に見せ、私の裸を撮った写真は決して私に見せませんでした。
やはり父は巧妙に私の性の自覚がまだ薄いことに付け込んだのです。
そう思わなければ私は物心つく頃にはすでに自分に自分の性を不特定多数に露出する変態的な願望を持っていたことになってしまいます。
そうは思いたくないですし、ましてや他の人からそう思われるのは耐えがたいことです。