●田島寧子をどうやって売り出そう?● 第4章

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105通行人さん@無名タレント

シドニー五輪・銀メダリスト・田島寧子さん

「ああ〜、もう〜、悔し〜! めっちゃ悔し〜い! 金がいいです〜」
 初出場のオリンピックで銀メダルを獲得したというのに、プールから上がっての開口一番がこれだった。大盛り上がり中のシドニー五輪。日本選手の中で、いの一番にメダルをとった競泳女子400メートル個人メドレーの田島寧子さん(19)。人なつこい笑顔、おちゃめな表情。
 自身のもつ日本記録を3秒以上更新しての銀メダル。文句なし。それでも本人は納得がいかなかったようだ。
 試合前にはパール入りの紫のマニキュアとペディキュアを塗った。これをやるとテンションがあがるのだとか。

 スキューバダイビングが大好きという母の英子さん(47)は、田島が生まれたとき真剣に“いるか”と名付けようとしたという。田島は3歳からベビースイミングに通い、幼稚園のころ映画『スプラッシュ』を見て「人魚になりたい」と思った。小学校2年のとき育成コースに。88年、ソウル五輪のシンクロナイズドスイミングで銅メダルを獲得した小谷実可子さんを見て「かっこいいなあ」。母・英子さん(47)が「やってみる?」と聞いたとき田島は「シンクロと競泳だったらどっちが金メダルいっぱいもらえるの?」と聞いた。「競泳」「じゃあ、あたし競泳にする」。7歳のときだった。

 それから12年、田島はオリンピックという世界最高の舞台で2番目に高い表彰台に上った。ところが、降りる際ずっこけた。観客に愛嬌をふりまきすぎて足元を見ていなかったためだ。「やっちゃった〜」。あくまでも明るい。「金メダルを取ったらその後どうするんだ?」と小学校時代の担任教師に聞かれて、田島は「芸能界デビューかな」と冗談交じりに話したというが、あのキャラには日本中がしびれた。CM、テレビ関係者もしびれた。すでに田島獲得に向けてキャスティングスタッフが動き出したなんていう話も。
 おちゃめでがんばり屋の女の子は“いるか”ではなくおしゃべりな“人魚”になって、4年後の金に向かってまた泳ぎはじめる。

 田島寧子(たじま・やすこ)1981年5月8日、神奈川県出身。164センチ、63キロ。日本体育大学在学中。東京立正高校1年のとき出場した98年世界選手権の同種目で日本新記録をマークし銅メダルを獲得。今年の五輪代表選考会でも日本記録を更新。