1 :
倉木麻衣:
私の猫虐待経験を公開します。
私は以前、野良猫を拾ってきて飼っていました。そのときのことです。成猫の茶猫、白猫、黒猫の3匹いました。そのうち白と黒は メス猫でした。しかし、放し飼いで避妊手術をしなかったため野良猫と交尾し、黒猫が子猫を7匹も産んでしまいました。私の周りには子猫を引き取ってくれる人がいません。黒猫ばかりだから余計に嫌がって引き取ってくれないのです。しかし、捨てても捨てても帰ってきてしまいます。そこで私は子猫7匹を泣く泣く殺すことを決意しました。
7匹の子猫を小さな鳥かごに無理矢理押し込みます。餌も与えずに何日も放置していると弱ってきます。しかしなかなか死んでくれません。ある日、私の家でゴキブリが出てきたときに殺虫剤を使いました。当然ゴキブリは一瞬にしてあの世行きです。殺虫剤を子猫にかけたらどうなるか。そう考えた私は殺虫剤を鳥かごの中の子猫をめがけて噴射しました。静かに寝ていた子猫たちが暴れはじめました。かごの中はパニック状態です。そしてパニック状態の子猫に再び噴射しました。7匹のうち1匹だけ三毛猫がいたのでまず最初にこの猫を集中的に攻撃しました。三毛猫は一番最初に死にました。私は子猫がぐったり動かなくなるまで断続的に殺虫剤をかけつづけました。そして一晩が過ぎ、かごを見ると7匹中5匹がピクリとも動きません。5匹は死にました。死骸はビニール袋に入れ、自転車で十勝川まで行き、捨ててきました。
残りの2匹については引き続き虐待を続けました。また、今度は私の家にいた成猫2匹(黒猫一匹は出産後すぐ殺した)にも虐待を加えました。私は白猫の由美を踏みつけて遊びました。由美は年老いた猫だったため、虐待を加えているうちに弱って死んでしまいました。もう一匹の茶猫のちゃめくんは生きたまま十勝川に投げ込みました。私の目の前で 溺れて沈んでいきました。
2 :
倉木麻衣:2001/02/21(水) 22:53
こうして黒猫の子猫2匹が残りました。残りの2匹には一応餌を与えたため生き延びていました。そして、私は残りの2匹も殺すことにしました。まず最初に殺したのはクロと名づけた猫です。ライターでヒゲを燃やしたりして遊んでいるうちに体に火をつけて殺してしまいました。
そして最後まで残ったヒカルというメスの黒猫をたっぷり虐待しました。私がこの猫にヒカルと名づけた理由、それは私がパクリ呼ばわりされた元凶の宇多田ヒカルの名前です。クロと同様にヒゲを燃やしたり、風呂に投げ込んで溺れさせてみたり、体を踏みつけたりして虐待しました。この猫をあの憎き宇多田ヒカルと思い、生かさぬよう殺さぬよう虐待を続けました。しかし、ある日のことです。私がいつものようにヒカルを虐待しようと尻尾を引っ張るとヒカルは後ろ足の爪でひっかいてきました。私はひっかかれて出血しました。このとき私はついに最後の1匹ヒカルも殺すことを決意しました。尻尾を引っ張って思いっきり床に叩き付けます。それでもヒカルは体をひるがえし平気な顔をして私をあざ笑うようにこっちを見ています。今度はヒカルを自転車で踏みつけます。ヒカルはギャーと叫びますが踏み続けます。そのうちぐったりして動かなくなりました。
ヒカルは死にました。おとなしくしていれば虐待しつつも殺さなかったのに、私をひっかいたがために1年足らずの短い生涯を終えたのです。死骸はガスコンロで火葬しました。虐待される猫にも問題がある。これは事故です。間違って殺してしまったにすぎません。
3 :
通行人さん@無名タレント:2001/02/21(水) 23:08
猫殺しまでやるのか倉木麻衣
4 :
通行人さん@無名タレント:2001/02/22(木) 12:57
倉木麻衣氏ね
デヴ女はどーでもいいから、アンチもいちいち駄スレ作んな。