103 :
名無しさん:
大日本人
まず『大日本人』のドキュメンタリーを模した部分であるが、ここに広がるうら寂れた風景はどこに由来するかと考えた時、
それを松本人志の出生地・尼崎市に求めるのはあながち間違いではないだろう。松本の笑いの独自性は、尼崎市で過ごした高校時代までにすでに完成していたと、松本の幼馴染である放送作家・高須光聖が証言している。
ドキュメンタリー形式のパートにおける大佐藤の生々しい生活が、松本人志その人の生まれ育った環境に由来するのではないかと考えたときに、『大日本人』に息づくある一面が明らかになるはずだ。
一大工業都市として名を馳せた同市は、大阪湾に面した市の南部が阪神工業地帯の中核として大いに発展し、戦前には東洋最大と謳われた尼崎第一・第二発電所が相次いで竣工して、松本の少年期に当たる70年代半ばまでフル稼働していた。
しかし、巨大な火力発電所が巻き上げる煤塵は市内一円に降り注ぎ、見上げる空は慢性的に鼠色に曇っていたという。小中学校の各クラスには2メートル大の箱型の空気清浄機が1台ずつ設置され、授業中に「光化学スモッグ注意報が発令されました。
窓を閉め、空気清浄機を作動してください」と校内アナウンスが入ることも日常茶飯事だった。こうした劣悪な環境でありながら、人口密度は高く、低所得者が肩を寄せ合って、貧困を恨みながら日銭を稼いでいた。もちろん、松本家も例外ではなかった。
さらに同市は、被差別部落民や在日コリアンが多い土地で知られ、数多くの公害訴訟と並び、部落解放や朝鮮人学校を守る運動が戦前から綿々と繰り広げられ、差別と偏見、貧困と暴力とが一緒くたになって遍在していたという。
104 :
名無しさん:2009/05/19(火) 02:50:58
この尼崎の独特の世界観は、『大日本人』の中にも色濃く反映されている。例えば、尼崎第一・第二発電所は大佐藤が巨大化する施設の第二電変場・三河電変場であり、光化学スモッグ注意報は獣の襲来を告げる防衛庁からの出頭命令であり、
被差別部落民は国民から疎まれている大日本人(大佐藤)であると見なすことも可能だろう。何より、大佐藤の古惚けた一軒屋と曇りがちな空が、『大日本人』の舞台は旧・尼崎市ではないかという錯覚を誘うのである。
貧乏ゆえに、金のかからない遊びを考えなければならなかったという松本は、小学5年生にしてクラスメイトに漫才を披露していたという。そのレパートリーの多くは、尼崎の「変な」大人たちを観察し、ネタにして笑い飛ばすというものだった。
その感覚は、『大日本人』に起用した中年男にカメラを向け、「正義とは何か?」「命とは何か?」と禅問答のように問い、素人ゆえの生真面目なリアクションを引き出す場面の笑いに通じている。
名もない庶民の抱える「貧困」「差別」「偏見」──そういった哀しみを直視し、笑いに引き寄せながら社会の中に居場所を用意する。というより、松本自身が実はその対象に含まれているのであり、他人を高みから見下ろすほどの余裕はなく、
自分自身をまず救済しなければならないという逼迫感が、尼崎時代から引きずる松本の本音だったのではないか。