【マターリ】内村光良の魅力を語る【パート116】

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92名無しさん
1968年(昭和43年)10月5日午後10時ごろ、栃木県矢板市の市営住宅で異様な事件が発生した。
「いま、父親を紐で絞め殺したんです」
相沢チヨ(当時29歳)が、日頃から親しくしている雑貨商を訪れて、そう言うと、その場に崩れ落ちた。
驚いた雑貨商はすぐに所轄署に通報。チヨはその場で尊属殺人の容疑で緊急逮捕された。
殺されたのは、チヨの実の父親で、植木職人の相沢文雄(仮名/52歳)だった。
取り調べで、長年に渡る父親と娘の性関係が明らかになり、世間を驚愕させた。しかも子どもも3人
いるという、常識では考えられない事実が浮かび上がってきた。
1953年(昭和28年)のある真夜中、チヨが中学2年の14歳のときのことだった。この頃、相沢家では
家族9人が狭い2部屋で寝起きしており、両親が茶の間に寝て、長女のチヨを頭に、妹2人、弟4人の
7人の子どもたちが、奥の間に折り重なるようにして寝ていたが、父親の文雄が密かにチヨの寝床に
入ってきて、いきなり体を求めた。チヨは驚いて声を出そうとしたが、家族を起こしてしまうと思い、
唇を噛んで父親を受け入れてしまった。
一度、性関係ができると、文雄は妻の香代(仮名)の目を盗んでは、チヨの体を求めた。
1週間に一度くらいの割合で、夜中になると寝床に入って体をまさぐった。多いときは3日に1回、
2日連続ということもあった。チヨは朝、父親の顔を見るのが嫌になり、我慢ができなくなって、
関係ができてから約1年後に、母親の香代に訴えた。香代は驚き、子どもたちのいないところで、
文雄を問い詰めた。
「実の娘にそんなことをするなんて、あんたはケダモノだよ!」
文雄は狂ったような目つきで包丁を香代に突きつけた。
「ガタガタぬかすと、殺すぞ・・・・・・」

ttp://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/totigi.htm