吉田秋生 16

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586花と名無しさん
まず、主役が「BL」要素を含んでいるのかも知れない。
でも違うのでは?という観点から出したのが、アッシュ=ユニコーン、英二=清らかな乙女という定義。
わざわざ女ブランカを登場させて精神的にも肉体的にもドロドロの恋愛関係にして、
それでも恋愛にさえ支配されないアッシュは、英二のためにブランカにさえ銃をむけさせたり、
あるいは、同世代の女キャラともからませたりして、結局は「恋愛より英二」至上主義を表現するともっとわかりやすくなると思う。
そしてあえて、英二を8歳の少年などにしなかったことは、作者がばらまいたお持ち帰り自由な「萌えポイント」のひとつなのだと思う。
587花と名無しさん:2008/09/22(月) 20:13:38 ID:???0
アッシュがユニコーンとして永遠に求めるのは、もう既に失われている少年時代の無垢であり、それの象徴が英二ということになる。
この2人自身は時空の差のように、永遠に相容れない。
この「相容れず」「一方の力を完全に封じ込める」常に一方的な2人の間に恋愛感情など存在するはずがない。
しかしユニコーンにとって乙女の膝は、麻薬にも勝る誘惑で常習性があり、一度味をしめてしまうとそれなしでは生きられないほどに依存性がある。
その依存が、もしかすると社会通念上身近にある「恋愛」の状態と似ていると判断されるのかも知れない。
でもここが作者の用意した「偽の」萌えポイントである。
2人の関係はあくまで恋愛ではなく、それ以上に怖くて危険なものの象徴。
"イノセントは銃より危険”という言葉は、当たらずとも遠からず、あくまで英二はアッシュの感覚を麻痺させた状態で究極の癒しを与える存在であると同時に、
破滅に追い込む元凶であり恋人のようにアッシュを成長させたり、物理的に幸福にする存在ではない。
そしてそもそもアッシュは、その苛酷な試練から生きているだけで苦しいので、例え一世一代の恋をしてもその魂(生命、という意味とは敢て別に解釈)
は決して救われない。
英二もしくは同等の乙女役以外に彼の魂を救うことはできないのだ。
588花と名無しさん:2008/09/22(月) 20:14:06 ID:???0
そして次に結局、吉田秋生的設定の真実はどうだったのだろうかと思いながらまた、読みなおす。
まず、定義ありきのキャラクターの動きに注目。
対キャラとして
マックス(ロボ狼王)VS ブランカ(ロボ狼妻)
ユーシス(月)VS シン(星)
これは名前で考えてもわかりやすく、はじめから対にしようとしたキャラクターであろうと思う。
マックスとシンは、「浮動キャラ」ある程度、自由に発言、行動に幅があってよい。
なので彼らの言うこと(セリフ)が、すべて真実とは限らない。勘違いもOKのキャラクターだ。
彼らはユニコーンを崇拝しても、手に入れようとは思わない。
対して、ブランカとユーシスは「固定キャラ」。
彼らは、はじめから絶対に手に入らないユニコーンに憧れる。
手に入らないと知りながら、一方は自分の役割を受け入れるため、一方は強くなるため、ユニコーンを
求め、あるいは守ろうとする。
彼らの言うこと(セリフ)は真実(あくまで作者の設定に対して忠実という意味で)である。