まず最初に、私は本当に150%楽しみに、第一話の放送を見ました。
実は三谷幸喜氏と言う人を、作品を含めて私はほとんど知りません(TVを滅多に見ないので)。
ただ世間及び私の周囲の人間の、氏の作品に対する評価(でも思い返せば舞台に対する評価がほとんどだった)が非常に高い事、
時々目にする氏のコメントの面白い事、遠い昔に大好きだった『やっぱり猫が好き!』の脚本を氏も書いていたという事…、
その辺から、「絶対にめっちゃ面白い<三谷新選組>が見られるに違いない!!」と、信じて疑わなかったんですね。
心配といえばひたすらキャスティングの方で、「大丈夫なのか〜香取勇は〜?」みたいな(笑)、
それでも「意外にイイかもしれない」という期待も十二分に持っておりました。 そして拝見。
素直に、ただ面白くなかった…(泣)。
このドラマを純粋に楽しんでいる『風光る』ファンもかなり大勢いると思います。
そうしたお手紙も沢山頂きました。 それなのに何故私が楽しめなかったか。
それはやはり私が<プロフェッショナルのエンターティナー>だからに他なりません。
ご承知の通り、私は25年のキャリアを持つ娯楽マンガ描きです。
その観点から『新選組!』をたとえると、<めちゃくちゃ絵の上手い同人作品>なんですね。
つまり<プロ>のレベルじゃないんです。
もしここに新選組の同人誌があったとして、その内容が史実完全無視の、時代考証あさっての、
キャラ設定矛盾だらけであっても、絵がめっちゃくちゃ上手くて、
自分の好きなキャラクターが自分好みの美形に描かれていれば、とりあえずはみんなは楽しく読めるでしょう?
ましてやそれがタダで見られるとあれば、是も非もなくみんなOKを出すよね
。 まさにそれが今回の『新選組!』だと思うんですよ。
逆に言えば、新選組をよく知らない人及び純粋な歴史ファンや時代劇ファンから見たら、
知った顔のスターがぞろぞろ出るせいでどれも重要人物に見えてしまい、
誰をメインに見てよいやらわからない、人物の関係性も理解出来ない、
ぴょんぴょん飛ぶ時制もわかり辛い、そしてどこが時代劇かと言いたくなるような登場人物の感性(まるで現代人)、
そんなキャラクターが魅力的に描かれているかと言えば、誰についてもビジュアル以上の魅力は描かれていない。
笑えるか?…笑えない。 泣けるか?…泣けない。 特に面食いでもない普通の視聴者なら、
「何を楽しめばいいのかわからない」という評価を下しても、まったくしかたがないと私などは思う訳です。
私は<エンターティナー>を自称する限り、その作品は万人に向けられたものでなければならないという信念を持っております。
そして当然NHK大河はエンターティメント枠です。 その意味で三谷氏は「新選組ファンの目を意識し過ぎてしまった」感を激しく受けますね。
これはハッキリと失敗だと思います。
何故歴代の新選組マンガが打ち切りの浮き目にあい続けたのにも関わらず、『風光る』だけがこんなに長く続いているのか?
…不思議に思っている方も多いと思いますが、その秘密はまさにここにあると、私は分析しています。
『風光る』は、新選組ファンに向けて描いていないのです。 むしろ新選組や歴史に感心のない人をメインに据えて描いている。
だから読者層を選ばず誰にでも入りやすいし、誰にでも楽しんでもらえる作品になったんです
(当然の事ながら、新選組ファンより新選組ファンでない人の方が世の中には大勢いますからね。/笑)。
さらに私の欲張りから「万人向けを謳うからには新選組ファンにも楽しんで欲しい!」の思いが加わり、
最新の歴史解釈や時代考証、まったく独自の視点なども加えて、新選組作品としても新鮮なものにしようと努力した事が身を結んで、
自作の中でも最長不倒記録を更新中という、現在に至る訳です。
でもこれは私が本当に新選組の俄かファンで、そのファン熱に溺れないまま冷静に作品と向き合えたという幸運な状況があってこその事だと思うので、
何年も新選組にハマリまくった後で『風光る』を描いていたら、私自身もこの落し穴をさけられなかった気はします(笑)。
つくづく私はラッキーです(笑)。
…話がそれましたね(笑)。
そんな訳で、新選組ファン向けに作品を描いてしまう事によって表れる顕著な弊害に、
「キャラクターの魅力を表すエピソードを描き忘れる」というのがあります(笑)。
「新選組なんだから、カッコイイに決まってる!」という所から描き始めてしまうんですね。 どういう事かというと…
初回を見て私は「こんな近藤勇は嫌いだ!」と思ったんですよ。
「真っ直ぐだ」とセリフ上ではよく聞く近藤勇像を言わせているけど、
その真っ直ぐを感じさせるエピソードが一体どこにあったんでしょうか?
「試衛館を江戸一番の道場にする」と言いながら、稽古をするシーンのひとカケラもない。
挙句怪しげな初対面の浪人(龍馬)に誘われた、さして興味もなかった黒船見学の為に、
一番大切なはずの家業を休ませてくれと養父に言い放つ。 無責任この上ない男じゃないですか!
いくら終盤に佐久間象山とのやりとりで「こいつバカなだけではないのかも?」と思わせるエピソードをはさまれても、
違和感を覚えるだけで全然納得できません。 「なるようになる」という時世観も、そこに至るまでの、
行き当たりばったりの思いつきですべて動くいい加減さを見続けていると、おおらかさより「考えがないだけ」という頭の悪さを感じてゲンナリでした。
それ以降の話でも、土佐に帰る龍馬に「見送らせてくれ」と、自分からシツコク言っておきながらアッサリすっぽかす誠意のなさ。
たとえもういないと思っても、駆けつけるのが心意気というものだろう!!
嫁との対面も「苦手だから」とすっぽかす。 相手がどれ程傷つくか、まったく考えていない証拠でしょ?
そんなヤツが稽古代の取り立てに行った先で、「お金より、また稽古に来てくれる方が嬉しい。」なんて
思いやりの言葉を突然言った所で、また違和感にシラケるばかり。
これらのエピソードの何を信じて、近藤勇が真っ直ぐだと思えばイイのか??? 三谷氏はホントにこんな近藤勇が描きたかったんでしょうか?
またトシも情けなさこの上ない!
ハタチにもなった男が、女関係の尻拭いを友人に頼むとはまさに「卑怯」!
イイ男ぶって女遊びなんかする資格ねぇぞ歳三っ!! 喧嘩っ早いキャラクターを出してくれるのかと期待した桂との諍いのエピソードも、
途中から勇の荷物持ちになりさがる煮え切らなさ。 挙句トンズラを決め込む桂を、ただ突っ立って見送るだけの役立たずぶり。
すべて口先だけで行動を伴わないエピソードばっかり!
山本耕史氏がもったいない!!と心から思いましたよ。 彼は期待通り、実にいいトシ役者だと思うのに、
かろうじてカッコイイと思えるシーンはすべてビジュアルのみなんだもの。
私面食いじゃないから、こんなトシじゃ好きにはなれない。 見続ける気にもなれません。
それから総司。
私のもっとも嫌いな総司像でガッカリです…(泣)。
「『風光る』の総司にソックリでOK!」と思っている人も多いようですけど、読みが甘いよっ!
ウチの総司はね、自分の殺した相手の返り血を浴びなかった事を、
<誰も見ていない所で確認して一人ほくそ笑む>ような事は断じてしません
(誰かにその姿を見せる為にならするかもしれません。例えばそれで仲間の緊張感をほぐせるというような状況があれば。)!!
三谷総司には人を斬る事への痛みがないんですね。 こういう描写はマンガの世界には当たり前のように描かれているけど、
それでさえも私は好きになれません。 だってそんな人正常な人間じゃないと思うもの。
こういう描写をするのはコメディドラマだけにして欲しいです、本当に!
一方それ以外の所で<可愛い総司像>をやたらと描くので、エピソード自体は魅力的なのにも関らず、
その病的な二面性を受け入れる事が私にはできず、5話に至った現在でもナンとも気持ちの悪い思いが続いております…。
う〜ん…。 この総司気持ち悪い〜……。
ね? こうやって見てくると、近藤さんやトシを魅力的だと思わせるエピソードって、
ちっとも描かれていないんですよ。 描かれていても矛盾だらけ。
それでも新選組ファンは、「彼らはカッコイイ!!」っていう絶対的な先入観を持って見るから、
自分の都合のいいようにエピソードの意味をゆがめて見る事ができちゃって、満足!みたいに思ってくれちゃうんだよね。
まあそれはそれで幸せな事だけど、そういう人たちに甘えている限り、このドラマに将来性はありません。
三谷氏には一日も早く新選組ファンの事は忘れて、誰が見ても魅力的な人物を描いて欲しいです!
そうだな〜、5話まで見終わった所でかろうじて「おっ、カッコイイじゃん!!」と思えたのは、
初回の山崎烝と5話の源さんだけだね。 あれは誰が見てもカッコイイと感じられるエピソードだったと思います。
描けるんだからさ〜、三谷さん、役者のビジュアルにおんぶしてないで、ちゃんと描いてよってば
(偉そう?でも私の方が先輩だも〜ん。エンターティナー作家としては。/笑)!
こんな新選組じゃ、かえって嫌いになる人もいると思うんで、ホントに頼みますですよ。
以上の様に、私は世間で歴史作家の先生方が糾弾している「江戸で龍馬と近藤勇が出会っていたなんて史実はない!!」
みたいな怒りは一切ありません(笑)。 もちろん時代考証の甘さには「大河でもこの程度なんだ!?」とビックリしましたけど、
まあそれは期待のかけすぎとも言えるので諦めもしましょう。
でも、ドラマの中でのリアリティだけは当然だと思って期待していたので、その点はハッキリと不満でした。