>>782 大島弓子の作品に「優しさ」を感じたことが、ただの一度もないのだが。
とにかく、常識から逸脱し、過剰な妄想に突っ走る主人公、
誰かを「思いやる」ときでさえ、自分の過剰な妄想に従って「思いやる」
それが、毎回、常識の側に回収させないストーリーで正直驚きの連続だった。
いわゆる「常識的な優しさ」から最も遠い作家だと思っています。
それが、最新作の「グーグー」では、そういった「自己の過剰性」とは違う、
「何を考えているかわからない他社性」をまとったグーグーが出てきて、
これまたブッ飛んでいるところです。
いつまでもアヴァンギャルドな大島弓子の作品たち。
784 :
花と名無しさん:03/05/05 23:52 ID:TPYOxBDT
何を優しさと感じるかは人それぞれだが。
少なくとも初期の作品は、子どもでも慰められる優しさが前面に出ていた。
そしてどんなに疲れているときも、生きることに絶望しているときも
大島漫画の画面からは、自分にとってやさしい風が吹いていた。
どんなアバンギャルドな作品でもね。
「八月に生まれる子供」なんて極上に、自分にとってやさしかったよ。
785 :
783:03/05/06 00:17 ID:???
>>784 なるほど。「八月に生まれる子供」から、やさしさを感じ取る、なるほど。
多分、私が、「やさしさ」=「他人の気持ちを汲み取る」と感じてて、
そこが、大島作品から、遠い、正確に言うと、
「他人の気持ちを間違って汲み取らざるを得ない」運命を生きる主人公、
と感じてる、と説明すべきだったかもしれませんね。
個人的には、初期作品は、「女性」「子供」「猫」であることが孕む過剰性で、
主人公が常識からはみ出した行動原理を与えられていて、
後期作品は、もっと「有り得ない設定」や「精神疾患」、例えば、「ダイエット」のように「太ったり痩せたり」
「八月に生まれる子供」みたいに「猛スピードで老化して、そのあと再生する」とか、
「宇宙人」とか「子供の中身に大人の精神」とか。。。により常識からはみ出さざるを得ない
行動原理が与えられている。でも、「グーグー」のグーグーが、そのいずれでもなく、もっと、
「モノ」のような存在「得体の知れない存在」になっている。(サバはそうではなかった。)
こういったことは、誰かが癒されるやさしさとは別の軸を形作ってるなぁと感じていたのです。
なんというか、もっと「生々しい生そのものの現れ」みたいな感じ、とでも言えばよいでしょうか。
そういえば、このあいだテレビで猛スピードで老化する
女の子の海外ドキュメントを見ました。
外見はおばあさんみたいな11、2?歳のちっちゃい子。
現実にこうゆう病気があるって知らなくて、ちょっとショックでした。
・・・スレ違いでスマヌ。