ぽん、とティッシュを放った後に、また下肢に感じた不快感に和希は眉を寄せた。
「……どれだけ出しやがったんだよ……」
何度拭っても、後肛から溢れてくる男の残滓に舌を打つ。
行為が終わった後の常とはいえ、こうして全裸でトイレに腰掛け男の名残を拭う様は何とも惨めなものだった。
かと言って、そのまま衣服を身に着け自室へ戻るのも避けたい。自分の服が男の体液で汚れるなんて絶対に御免だ。
しかも、その汚れた下着を洗うのが自分だなんて、考えるだけで卒倒しそうに腹立たしい。
「冗談じゃないっつの……」
疲れたようにぼやいて、カラカラと虚しい音を立ててティッシュを絡めとる。
また不快な感覚を伴って流れ出てきたものを拭うために、和希は顔を顰めて手を伸ばした。
すっかり疲弊しきって扉を開けると、原因を作った人物はベッドに腰掛け、ゆっくりと紫煙を吐き出していた。
身に着けているのはジーンズだけで、ボタンは留めずに半分ほどはだけられたそこからは、下着を着けていないらしく濃い繁みが覗いていた。
エロチックな光景だとは思ったが、生憎もう反応出来るほどの精力は残っていない。先程まで散々蹂躙された箇所はまだ痛みと熱が残っているし、足元はふらつく。とにかく服を着て、とっとと自室へ戻って少しでも眠りたい。
散らばっている衣類の中から下着を見つけて手に取ると、それが自分のではなく中嶋のものだと判ってムカついた。似たようなデザインと色で間違えたじゃないかと、苛立ちついでに放り投げる。
ジーンズの下でくしゃくしゃになっていた自分の下着をようやく見つけると、やはりまだふらつく足を通す。
同じように苦労しながらジーンズも穿き終えて顔を上げると、いつから見ていたのか中嶋が僅かに口端を上げて笑っていた。酷薄そうな、嫌な笑みだ。
「飲むか?」
言って、中嶋が差し出してきたのはビールの缶だった。
煙草にビール。和希の正体を知っても尚、態度を改めるつもりはないらしい。
―――――まあいいけどな。
結構な時間をセックスに割き、咽喉も乾いていた。貫かれた痛みを紛らわせる悲鳴も、与えられた過ぎる快楽に上げる嬌声も、その殆どを殺していたせいかひりつくような痛みも感じている。
何か冷たいものが欲しいと思っていた矢先であったこともあり、和希は素直にその手からビールの缶を受け取った。
中嶋の飲みかけであることに一瞬だけ嫌悪を感じたが、それも今更だ。渇きを訴える咽喉を潤す方が優先と、和希はビール缶に口を付けた。
「……っ…」
思っていたよりもずっと咽喉が乾いていたらしい。口を付けてすぐに流れ込んできた苦味のある冷たい液体を、夢中になって飲み干していく。
そんな自分を中嶋がじっと見つめているのに気付いたが、構わず咽喉を鳴らして飲み続けた。
「ふ……」
缶の中身を殆ど飲み干したところで、ようやく人心地がついた。口端に伝う残滓を乱暴に手の甲で拭う。
無言で缶を寄越せと手を差し出す中嶋に気付き、「全部飲んじゃいましたよ」と素っ気なく言いながら缶を手渡した。
綺麗に空になったそれを振りながら、中嶋が口を開いた。
「よっぽど咽喉が乾いてたんだな。……まあ、あれじゃ無理もないが」
意味ありげにまた笑われ、和希はムッとしながらもすみませんね、と小さく答えた。
やはり床に散らばったままのシャツを取ろうと、中嶋の足元に蹲った時だった。手首を掴まれ、そのまま叢が覗く彼の下肢にその手を押し付けられたのは。
「おい、もう無理……」
眉を寄せて取られた手首を振り解こうとしたが、今度は腕を捕らえられてしまった。腕を引かれるままベッドに躯を引き摺り上げられる。
「俺は満足していない」
その言葉と同時に、中嶋の大きな手が和希の臀部を鷲掴む。
「い…っ…!」
痛みを残すそこへの乱暴な行為に、和希の口から小さな声が漏れる。
それに気を良くしたのか中嶋はにやりと笑うと、掴んだ臀部はそのままに、人差し指だけをそっと蠢かせ始めた。尻の狭間をゆっくりと何度もなぞる。
「中嶋!いい加減に……!」
「今度はきちんとゴムを着けてやるから、そんなに暴れるなよ」
「そういう問題じゃないだろ!」
必死になって抵抗するが、その悉くを躱された。
せっかく身に着けたばかりのジーンズも下着も一気に下ろされ、片足を取られて大きく開かせられる。
「中嶋!」
怒りを込めてその名を呼ぶが、相手は和希を押さえつけたまま意にも介さず―――言葉通りに、ジーンズから取り出した己自身にゴムを被せた。
「遠藤」
覆い被さる男の双眸が欲情に濡れている。普段は人を食ったような冷たい印象を強く与える整った顔も、セックスの時は異なった一面を覗かせてくるからぞくりとする。
熱の残るそこへ昂りを押し当てられ、和希は嫌そうに目を閉じると、仕方なしに躯の力を抜いていった。
「……う……」
躯のあちこちがぎしぎしと痛む。そんな自身を持て余しながら、
和希はゆっくりと寝返りを打った。
結局、あのままなし崩しにまたセックスを再開させられ、
倒れるようにして彼の部屋で眠ってしまったようだ。
何度か瞬きを繰り返して、視界をクリアにすると中嶋がいないことに気がついた。
どこに行ったのだろうと思ったが、すぐにどうでもいいかと頭を振る。
窓の外が仄かに明るいことに気付き、時計を見た。
もうすぐ夜が明ける時刻だ。
「……マジかよ……」
今日は朝から仕事で学園を空けることになっている。
生徒達が活動し始めるよりも前、夜も明けないまだ暗い内に
この島から出る予定がこの有様だ。
「くそ……」
とにかく早く支度をして出なければ。
ベッドから抜け出し、残されていた自分の服を身に着けた。
しかし、中嶋の気配が全くない。どうでもいいかと思ったにも関わらず、
やはり部屋の主がこんな時間にいないというのが少し気になった。
しかも机の上には眼鏡が置かれたままだ。
そこそこに度が入っているようだったが、コンタクトも併用しているらしく
空のコンタクトケースが横に転がっていた。
「………」
無意識の内に手を伸ばし、細いフレームの眼鏡を握り締めていた。
いかにもといった、神経質そうだがひどく端正な顔を
引き立てるアイテムであることは間違いない。
落ちてくる眼鏡を戻す何気ない仕草も、
彼がすれば厭味なくらい様になっていたことを思い出す。
ゆっくりと手のひらに力を込めていく。華奢なフォルムのそれは、
ペキリと小さな音を立てて和希の手の中で簡単に歪んだ。
ふつふつと込み上げて来る怒りに更に力を込めれば、
レンズに蜘蛛の巣状のヒビが入る。
―――――この小さな眼鏡のように、
あの男もこの手の中で粉々にへし折ることが出来ればいいのに。
折れたフレームの一部が和希の足元に音も立てずに落ちていく。
続いて、急速に力を失った和希の手の中から
いびつに折れ曲がった眼鏡が滑り落ちていった。
それを痛みを堪えるような表情で見届けてから、
和希は一度窓の外へ目をやるとゆっくりとした足取りで部屋を後にする。
何故か、ひどい罪悪感に囚われていた。