♪X'mas Dinner Show 2010@聖子を語ろう203♪

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58陽気な名無しさん
「死んで責任を取ることなんてなかったのに」

おそらく、彼の遺書には、自責の念、家族に迷惑をかけた侘び、そして死んで社会にお詫びします、という3点が書かれているだろう。
鬱病というのはそういう自責の念が容態を悪化させる病気であり、パターンが決まっている。しかし、本当の死の原因は、
鬱病がもたらす完全な絶望だと思う。完全な絶望というのは、おそらく僕のような普通の人には(僕が鬱病にならない限り)
永遠に想像できない地獄の領域だ。おそらく、ひとつ息をするのも死にたいほど苦しく、朝起きるたびに目覚めたことを絶望し、
消えたいと切実に願うのだと思う。こんな状態では、生きていられるのが尊敬に値するレベルの辛さだと思う。

死んで責任を取ることはなかった、そんな事は問題ではない。もう生きていられる程の辛さではなくなったから死ぬしかなかったのだ。
そしてこれは、誰でもなりえる恐ろしい鬱病という病気の「正常な症状のひとつ」なのだ。


「なんで周りの人は止められなかったんだ」

鬱病が進行してしまった人の自殺を食い止めるのがどれだけ難しいか、知っているのだろうか?元気付けて気の利いたことを
ちょっと言えば立ち直るとでも思っているのだろうか?あるいは、自殺しないように両手両足を壁にくくりつけ、舌をかまないように
口にボールでもつっこんでおけばいつか治って自殺しなくなるとでも思っているのだろうか?そんなに簡単に対策できる病気だったら
誰も鬱病で自殺したりはしない。プロの精神科医と家族が全力でサポートしても、そう簡単に解決しないから、恐ろしい病気なのだ。

それに、自殺が発生した場合には悪いけど死んだ本人よりも残された周りの人をサポートする必要がある。近しい人を失ったという絶望は、
周囲の人の心を信じられないぐらい深く傷つけ、そのトラウマが完全に消えることは難しい。にもかかわらず、平然と
「なんで止められなかったんだ」などと正論で追い討ちをかける人が多いのも残念。悲しみに打ちひしがれた家族に必要なのは馬鹿でもできる批判ではなく、
「あなたはよく彼を支えました、あなた以上に彼を支えられる人はいませんでした」といって抱きしめてくれる人だ。


では、どうすればよかったのか

鬱病になるというのは、完全ではない社会においては、事故というか、ほとんど運によるものなので、こうすれば避けられる、
といったものではない。しかし、鬱病は薬やその他の治療法を正しく併用することで治すことが可能(簡単ではないが)な病気であり、
しかも早く治療することで治る確率を大きく向上できるのだ。どういうのが鬱病の症状か、といった一般的な事はどこでも調べられるが、
僕からの意見は以下である。

もし、あなた自信が自分が過度のストレスを感じていると思ったら、そして特に体調に少しでも変化があったら、鬱病だなと思うより
はるか前に精神科に行き、必要な治療をし、できればカウンセラーを紹介してもらうことだ。カウンセラーというのは単なる相談相手ではなく、
精神病の構造と治療法を良く知ったプロの人であり、ストレスマネジメントへのアドバイスをくれる。鬱病というものを知らないと、
「ストレスがあるが我慢すればなんとかなる」と思って症状を悪化させ、気づくと回復が難しいほど進行してしまうが、
我慢すると進行する」という事実を知っておいてほしい。進行した場合は、「そうは言っても」という常識を捨てて全力で問題から逃げて、
どうか、ゆっくり休んでほしい。

もし、あなたの周りに鬱病の人がいる場合は、こういうことに気をつけてほしい。

?自分の尺度で余計なアドバイスをしない。例えば「がんばれ」が禁句なのは有名だが、鬱病はがんばりすぎたひとの病気なので、
これを言われると「お前はがんばっていない」と言われている気になる。応援しているつもりだろうが、マラソン中に両足を疲労骨折して
立てない人に「ゴールはあと100キロ先だからがんばれ!」というのに等しい。しかし、説明されてもなぜそうなのか心にしみこまないなら、
結局それ以外の言葉で追い込んでしまう。そういう心の繊細なメカニズムがそもそも理解できないなら、余計なことを一切言わないか、
鬱病についてきっちり勉強してから何か言うべきだ。