♪X'mas Dinner Show 2010@聖子を語ろう203♪
203 :
陽気な名無しさん:
言葉通りに解釈して反論しない。苦しい状況の人はかなりムカつくことを言うし、理不尽な事をするし、
批判したくなるようなことをするが、どんなことをしても許してあげなければならない、今だけは。本人も、きっと全てわかっていて、
止められないのだから。別の言葉でいえば、鬱病の「症状」と本来の「人格」を混同しない。「本来の彼だったらこんな事は言わないが、
鬱病に言わされている」とちゃんと認識しないと、「症状」ではなく「人格」に反論することになるのでよりダメージを深めてしまう。
正論を言わず、特別扱いしなければならない。これは特に頭がいい正論が得意な人には難しいかもしれないが、本当に辛い人に、
「そんなこと言ったって人生は平等なんだから、お前が強くなってしっかりしろ」というのは間違いだ。たとえば、
上司との関係に苦しんでいる人に「社会人なんだからしっかりしろ」といっていいのは、ストレスが限界を超えていない場合だけであって、
超えたときは「会社なんていいから、2〜3ヶ月、ゆっくり家で休みなさい。他の事は何も考えなくていいから。お金なら、
貯金があるからそれを使っていいから。キャリアの成功なんてなくても、あなたさえいればいい」と、言わなければならない。
傷ついた人には、回復する十分な時間が必要であり、それまではやさしく、そして全力で守ってあげるのが周りにいる人の役目だ。
こういう事情をわからない家族(たとえば無駄に厳しい父親など)が家族で影響が強い場合は鬱病では要注意で、
危ない人をできるだけ近づけないように工夫しなければならない。
というのを踏まえたうえで、もし相談を持ちかけられたらどうするか。一般論はわからないし、正しいかどうかも知らないが、ぼくはこうしている。
?問題を理解する。どういう風にコミュニケーションすべきかわからないならば、まず話をずーっと聞こう。まず、自己は捨て、話を聞くことに集中する。
心の壁の向こうで出られなくなっている本当の姿が見えてくるまで、暗闇の中で路頭に迷った瞬間を感じるまで、心の痛みが伝わってくるまで、
相手の心をつかむ感触がある瞬間まで、とにかく聞く。言語表現はあまり頼りにならないので聞かず、なぜそういいたい気持ちなのか、
を聞く。自己を捨てず「でもさ」とか意見したり、言語にとらわれたりすると、心が穴に引っ込んで出てこなくなるので注意する。
本人が問題だと認識していることが本当の問題かどうかはわからないし、言語表現に頼ると心のメカニズムがわからなくなるので、
相手の思考回路をそのまま自分にコピーして、ある程度相手の立場で問題を見る必要があるからだ。ただ、自分の心の形を
相手の心の形に合わせるとけっこうこっちもしんどくなってくるので、相手の主観に合わせながら、自分自身が闇に引き込まれないように
客観的でいる工夫が必要だ。なので、「相手の心」と「自分の心」をごちゃまぜにせず、アタマの中にはっきり認識し完全に関係ない
二つの精神として共存させるようにし、自分にはダメージがないようにがんばっている。でも難しいね、これ。ところで、こういうことって文字にするとすごくキモいかも・・・ごめんね。
?失った自信を取り戻させる。(自信がないと、前向きに考える心の体力が産まれない)
?まず、大抵の場合、自分がどんなに素晴らしい人間なのかを思い出させる必要がある。例えば、本人の素敵なところを大量に指摘し続け、
「自分には価値がない」という勘違いがいかに馬鹿げているかを伝える。例えば、「あなたにはいい友達がたくさんいますね。なぜでしょう?
あなたは自分がダメだといいますが、そんなダメな人を大切にしているあなたの友達は人を見る能力が欠如しているのですか?
彼らに限ってそんなことはないとすると、あなたに魅力があるから、大切にしているのだと思いませんか?あなたが自分が価値がないというのは、
間接的に友達をバカだといっているようなものですが、それがあなたの結論ですか?」みたいな形でポジティブに追い込んでいった。
「自分に価値がないというのは極端かもしれない」とうすうす気づかせるまでネガティブな思考とは戦わなければならない。本人を否定することなく、
欝の悪魔がもたらす理不尽・ネガティブな結論を徹底的に叩き潰す。