♪Touch Me Seiko 2@聖子を語ろう202♪

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13陽気な名無しさん
オレは高校の3年間を男子校で過ごしました。男子校といえば男の園。そして必ずついてまわるのが「男子校ってホモが多いんでしょ?」という噂です。
ここではオレが経験した、男子校とホモの関連性について話しましょう。
 オレは高校に入学すると、オリエンテーリング部という、かなりマイナーなスポーツ部に入部しました。新入部員のオレらを指導したのが、
2年生の森山先輩(仮名:当然男性)で、森山先輩は先頭にたってランニングをしたり、基礎トレーニングを指導したりと、なかなかに先輩ぶりを発揮していました。
 外見も教育テレビの歌のお兄さん風で、けっこうさわやか系だったと思います。直接の指導者であったため、オレも何の疑いもなく森山先輩に親しみをもっていきました。
 ここでオレの当時の外見についてもちょっと説明しておきましょう。オレは今でこそそれなりに身長がありますが、高校入学時点ではいわゆるチビでした。いるでしょ?
声変わりもしてなく、チョロチョロしてる小学生みたいなチビ。そんな感じでした。中学の合唱コンクールで、男子はみんなアルトパートだったのに、
「アキラくんはソプラノでいいんじゃないの」
なんて音楽の先生に屈辱的なことをいわれ、妙に作った低い声で
「いや、そんなことはありませんよ。アルトでいいです」
と抵抗するくらいのチビっぷりだったのです。
 どうも森山先輩の行動がおかしいと気づいたのは、他の部員達でした。
「森山先輩はアキラに妙に触りすぎる」
というような声がちらほらと聞こえてきました。確かに思い起こしてみれば、何かにつけては
「アキラちゃ〜ん」
と頭をなでられたり、肩をもまれたりといった、ソフトタッチングをされていたような気がします。しかし当時のオレは世間知らずというか、疑いをしらないというか、
いわゆるホモといった生々しい想像ができるほど精神的に成長していませんでした。ゆえに他の部員がどんな想像をしようと、オレにとっちゃあまり気にすることでもなかったわけです。
 しかし夏休みの合宿で、さすがにピュアだったオレにも
「・・・おかしい」
と思える森山先輩の行動がありました。それは・・・
オレの隣で寝たがるのです。
 オレは暑さと練習の疲れがたたったのか、宿舎に着いてから少し体調をくずしてしまいました。よって夜は早く寝ようと思ったのです。
 しかし他の部員にとって合宿の夜なんてのは、大騒ぎできるお祭りみたいなものです。ギャーギャーと騒がしい大部屋の片隅で、オレは布団にくるまっていました。そこに現れたのです。疑惑の森山先輩が。
 森山先輩はオレの横に寝そべり、
「大丈夫?アキラちゃん。辛かったら肩揉んであげようか?」

といいつつも、その手はすでにオレの肩を揉んでいました。さらに
「アキラちゃんが寝るまで横にいてあげるからね」

と囁きます。部屋があまりにもうるさいと
「少し静かにしろ!アキラちゃん体調くずして眠ってるんだから!」

と怒声を発します。
 さすがにこれは・・・(汗)とも思ったのですが、森山先輩は純粋にオレの体調を心配してくれているだけかもしれないので、そうむげに断ることもできません。
まあ周りの目があるので、肩揉み以上のタッチはありませんでしたが、合宿が終わったあともそのタッチングは継続されました。たださすがに局部を触られたりはしなかったので、
そんなに深刻な事態にはならなかったんですけどね。

 この文章を読んで皆さんが森山先輩のことをどう判断されるかはわかりませんが、オレが今になって当時のことを思い返すに、森山先輩は真性のホモではなかったと思います。
森山先輩がオレに対して行った行為は、戦国時代でいうところの「男色」に近いものであったと思います。

 戦国時代の「男色」という文化は、当時では常識でした。織田信長に対する森蘭丸、という関係がわかり易いでしょうか。そのほかお寺の住職さんも当然のように少年を愛でていたし、
徳川三代目の将軍の家光などは、春日局(かすがのつぼね)が心配をするほどの男色家であったそうです。

 まあ家光はかなり真性のホモだった可能性が高いですが、オレがいいたいのは「お茶坊主」のような少年を愛でるという感覚が昔からあり、当時チビだったオレが、
森山先輩にとっての「お茶坊主」だったという予測です。

 また、男子校という女性が隔絶された世界で「代償行為」が行われたという予測も立ちます。日常で女性に接する機会がないために、その対象をまだ成長しきれていなく、
男性ホルモンに染まりきっていない中性的な存在、つまり声がわりもしていないチビに求めたのかもしれません。これはお寺の住職パターンに近いといえます。