コテの事典を作るわよPART3/3【過去・現在のコテ】

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570陽気な名無しさん
吐くは嫌いだが観察対象としては抜群に面白かった。
結局吐くは紫陽花に自分がマンコだと明かしたわけだが、そこにおれはえも言えぬ悲哀を感じるんだよね。

女として生きてるリアルでは、日々敗北感に直面してきたゲロ吐く。
自らの能力(コミュニケーション力や容姿の美醜等を含む)の劣悪さがその要因であるにも関わらず、
「私が不遇なのは私が「女」だから」と性別と社会に転嫁することによって、自分が女として人として「劣」であることから目を逸す。
人というのはコンプレックスから逃避だけでは足りない生き物で、どうしても傷を癒そうとする。

男女のボーダーに逃避口を見出したゲロ吐くが、(世間がステレオタイプに思い込んでる)男女ボーダーレスな存在であるはずの同性愛者に惹かれ、
癒しを求めて同サロにやってきたのはある意味自然な流れだったのだろう。
ここまでは消極的な「現実からの逃避」だ。

しかし、実際の同性愛者は多種多様で、むしろ世間一般よりも強烈に男女のボーダーを意識した嗜好・思想の者も多かった。
現実から逃避して、たどり着いたはずの楽園で再び直面する現実。
それなら再び逃避すればいいものの、マイノリティーである同性愛者からすら逃避するのは吐くのつまらんプライドが許さなかったのだろうか。
ここで吐くに第一の感情の分離が起きる。
・ゲロ吐く脳内にある典型的同性愛者像への憧憬
・ゲロ吐くが直視してしまった現実の同性愛者像への憎悪

この分離した感情二つを包み込むモビルスーツとして、男のふりをして同性愛者達に上からものを言う「はく」が生まれたのだろう。
誰しもどこかにむき出しの傷がある同サロ住人達に、「はく」モビルスーツを被ったまま接するのは、
初めて味わう勝者の感覚だったに違いない。
ゲロ吐くは虚構の勝利感に酔い痴れた。


(以下、省略されました。続きを読むときはワッフルワッフルry)