オカマに騙された

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1釜飯は嫌いじゃない:2006/11/14(火) 13:15:35 ID:H6FuAJhI
気がしたwwwwwwwwwwww
2陽気な名無しさん:2006/11/14(火) 13:20:00 ID:H6FuAJhI
www
3陽気な名無しさん:2006/11/14(火) 13:20:33 ID:H6FuAJhI
カマオwww
4陽気な名無しさん:2006/11/14(火) 13:21:14 ID:H6FuAJhI
オマカネカマネマカwwww
5陽気な名無しさん:2006/11/14(火) 13:34:15 ID:H6FuAJhI
『人生とは笑いであり、笑いとは芸術である』

〜1980年2月 - 2000年9月24日〜
俺が「芸能活動」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。
18歳の冬、寒空のもと佐賀のとある高校の校庭の片隅からその旅は始まった。
あの頃は歌を歌うことに夢中になり
必死でファンを集めることだけを目指した。
そして、ひたすら音楽を楽しんだ。
桑野は常に傍らにあった。
この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。
佐賀の高校からシャネルズ、ラッツ&スターズ、、お笑いタレントへの転身、そして志村ファミリーの一員へ。
その後、自分のお笑い人生の大半を占めるバカ殿城へ渡った。
いかがでしょう、だいじょぶだぁへも招聘され
日本中のあらゆる場所でいくつものダジャレを戦った。
ダジャレはどんなときも俺の心の中心にあった。
タレント業は本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。
もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。
それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、
“糧”となり、自分を成長させてくれた。
3年ほど前からあのメガネスーパーのCMを最後に
約20年間過ごした芸能界から引退しようと決めていた。
何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、芸能活動という旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。
6陽気な名無しさん:2006/11/14(火) 13:35:21 ID:H6FuAJhI
お笑いは世界で最大の余興。
それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
芸人は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。
時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び
時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。
芸人になって以来、「お笑い、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って笑わすことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていた芸能界に対する瑞々しい感情は失われていった。
けれど、プロとして最後の仕事になった97年2月のメガネスーパーのCMの後
お笑いを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。
それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたお笑いへの思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。
これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。
2000年9月24日、東急東横線都立大学駅構内での女性下着盗撮事件後、最後のマスコミの感触を心に刻みつつ
込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にマスコミのみなさんへ
挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。
そして、思った。
どこのTV局のどんなスタジオにもやってきて
声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン――。
日本各国のどのスタジオにいても聞こえてきた「TASHIRO」の声援――。
本当にみんながいたからこそ、20年もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。
7陽気な名無しさん:2006/11/14(火) 13:35:58 ID:H6FuAJhI
タレント活動という旅のなかでも「バカ殿城」は、俺にとって特別な場所だった。
最後となるメガネスーパーのCMでの戦いの中では、仲間たち、スタッフ、そしてファンのみんなに
「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。
俺はその時、日本の芸能界の可能性はかなり小さいものと感じていた。
今のお笑い芸人個人の技術レベルは本当に低く、その上スピードもない。
ただひとつ感心だったのは、自分たちの実力を100%出すベテランが沢山残っていること。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに20年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、若手には最後まで上手に伝えることは出来なかった。
志村けんのバカ殿様があのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
俺がこれまでお笑いを通じてみんなに何を見せられたのか、
何を感じさせられたのか、あの逮捕の後にいろいろと考えた。
正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…
ちょっと自信がなかった。
けれどみんなからのRESをすべて読んで
俺が伝えたかった何か、芸能界に必要だと思った何か、
それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は
間違っていなかったと自信を持って言える。
何も伝えられないまま芸能界そしてお笑いから離れる、というのは
とても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”が
きっと次のダチョウ倶楽部、桑野、そして志村さんの将来を支えてくれると信じている。
だから今、俺は、安心して旅立つことができる。
8陽気な名無しさん:2006/11/14(火) 13:47:18 ID:H6FuAJhI
最後にこれだけは伝えたい。
これまで抱き続けてきた“ダジャレ”は、
これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。
でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ
守ることが出来たものだと思う。
みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。
そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと
乗り越えていけると信じられる。
新しい旅はこれから始まる。
今後、プロの芸能人としてTVの前に立つことはないけれど
お笑いをやめることは絶対にないだろう。
旅先の路地で、草むらで、小さな映画スタジオで、誰かと言葉を交わす代わりに
ダジャレを言うだろう。デビューの頃の瑞々しい気持ちを持って――。
これまで一緒に芸能活動してきたすべての芸人、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。
“ミニにタコ”

                                 たしろ
9陽気な名無しさん:2006/11/14(火) 13:47:52 ID:H6FuAJhI
桑野へ

この手紙をもって同じ殿の側近としての最後の仕事とする。
まず、僕の活躍を世間に知らしめるために、君にDVDの編集をお願いしたい。
以下に、笑いについての愚見を述べる。
自身を考える際、第一選択はあくまでミュージシャンであるという考えは今も変わらない。
しかしながら、現実にはナオコさんの場合がそうであるように、
芸人ではなくてもコンスタントに笑いをとる芸能人がしばしば見受けられる。
僕の場合少し行き過ぎたところがあったが、視聴者のためならそんなこと関係ない。
これからの笑いの飛躍は、真の笑いを知る志村さん世代の発展にかかっている。
僕は、君がその一翼を担える数少ないお笑いミュージシャンであると信じている。
能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。
君には志村の支えに挑んでもらいたい。
遠くない未来に、他人を戒める笑いがこの世からなくなることを信じている。
ひいては、DVDを再編集した後、僕の武勇伝として発売して欲しい。
ミニにタコができる。
なお、自らテレビの第一線にあるべき者が出演できず、刑務所で死すことを心より恥じる。
                     
                                                  田代まさし
10陽気な名無しさん:2006/11/14(火) 13:49:00 ID:H6FuAJhI
              高 原
 {来たコレ}→稲 本      俊 輔

    松 井               加 地
           今 野  憲 剛

       阿 部   闘莉王   中 田

              川  口
11陽気な名無しさん:2006/11/14(火) 15:32:35 ID:wmQxeIEz
w
12陽気な名無しさん:2006/11/14(火) 15:35:53 ID:wmQxeIEz
ありがと
13陽気な名無しさん:2006/11/14(火) 18:55:14 ID:tW/0CdYZ
芸能界はオカマだらけ
オナベで頑張っているのはカンドリくらい
ホクトとジャガーがオナベだと思っていたら違いました
14陽気な名無しさん
オカマがだました