■■■ゲイが語る日本、中国、韓国朝鮮の歴史と男色

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654禁断の名無しさん
明治維新の「革命」は、先進国の「近代革命・市民革命」の国民を媒介とした
革命ではない。徳川幕藩にかわる、単なる藩閥革命にすぎないもの。それゆえに、国民意識を人為的につくらなくてはいけなかった。
それが天皇制と臣民の関係であったというわけ。
それまで、国民という概念がなかったのであるが、これを前面におしださないと
西洋の植民地になりかねない(アヘン戦争の教訓)し、戦争に動員できないわけ。

だから教育勅語と、国民教育、軍隊教育が徹底されたのである。

しかし、それもぶざまな敗北(中国解放戦線に負けたということ。ざまーみろ)
であり、アメリカには原爆投下され(アジア侵略の厳罰)
軍隊は解体された。天皇制度は、占領政策をうまく遂行するためと、その後独立
させて統治させていくために補完的に残した程度にすぎない。

天皇のために死ねるという戦前教育は、現在復活したいと考える官僚・支配者はいても
「国民」がうけいれない。「血の入れ替え」は到底できない。

あんたたちは、それをやりたいわけ。
北朝鮮がどーなろうが関係はなく、むしろそれで国家主義を台頭させたい(国家主義の希薄がこれを招いた
としているわけ)というはらである。
国民の歴史なるものは、昔の人がかんがえていたことを理解せよというような
ことをいっているが、そんなことをいわれても到底理解されない。
なぜならば、過去と現在は全く異なるわけだから。
反動教育をしても、実体は伴わないというわけだ。