【後R4時代】DSTT&TTDS 14枚目【まだ大人気】
戦後教育は文部省と日教組の不毛のイデオロギー対立により本来の教育を蔑ろにし、
主役である子供達を放置してきた。最初にその犠牲となったのがいわゆる
「団塊チルドレン」と呼ばれる世代である。彼らは歪んだ「権利・自由・平等」を教えられ、
「責任・義務」を教えられないままに育った。
日教組は彼らに経済と言う物差ししか与える事ができず、信念・哲学・自尊心という価値からは
程遠い「金と物」にしか価値を見出せない貧しい精神を育んだのだ。この事は「失われた十年」と
呼ばれる90年代に於ける彼らの生き様に大きく影響した。
子供は幼児期に於いて父性と母性の対比の中で社会性を獲得する。「亭主元気で留守が良い」
と言うコピーがはやったが、父性不在の家庭はやがて「団塊チルドレン」の社会性の無さの原因となった。
当時オバタリアンと呼ばれた世代は、戦後処理もろくに済んでいないのに平気で海外 へ出かけ、
金に飽かせてブランド商品を買い漁り、傲慢さを世界中にまき散らした。彼らの世代に特徴的である
この品性・品行の悪さは、後の世代のライフ・スタイルにまで影響を与えた。
それ以上に、欧米諸国が未だに日本人を蔑視し、アジア諸国が不信感を持ち続けている事への
鈍感は不幸でさえある。団塊の世代が戦後の営みの中で経済力に見合う人生観や価値観、
広義の品性・品行やモラルを獲得していれば日本社会は ここまで歪まなかっただろう。
90年代は「失われた十年」と呼ばれている。経済と言う物差ししか持たなかった我々は、
旧来の発想で経済的な豊かさを追求し続けたが故にバブルの崩壊をもたらした。
その時不幸だったのは「我々は何処へ行くのか?」と言う根源的な迷いに気付かなかった事だ。
この事が90年代を無為に浪費した最大の原因である。
団塊の世代は欧米を追う間は素晴らしい能力を発揮したが、追いついた後のビジョンを描く想像力が
欠如していた。彼らの責任では無い。社会が彼らにその様な能力を要求しなかったのだ。
村上龍の「あの金で何が買えたか」が売れたと聞くが、悲しいのは未だにその程度の次元でしか
バブルを検証できないメンタリティーの低さである。
検証すべきは「何故我々が貧しい価値観しか持ち得なかったのか」と言う事である筈だ。
まさしく教育の問題である。冒頭で述べた様に信念・哲学・自尊心を育む努力を怠らなければ、
もっと違った社会があった筈である。