依田紀基について Part5

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3名無し名人
依田伝説

・小中学校時代は劣等生で、通知表の成績はほとんど1だった。
・修行時代、あまりにも熱心に碁盤に石を並べて勉強したために碁盤の線がほとんど消えてしまった。
・プロ入りした時のインタビューではほとんど喋らず、のちになぜあの時
 喋らなかったのかを聞かれて「バカがばれるのが怖かった」とコメント。
・18歳で名人リーグ入りの最年少記録(当時)を達成。
・世界最強のイ・チャンホに大きく勝ち越してた時期があった。
・NHK杯で三連覇。
・NHK杯の収録にたびたび遅刻したことが原因でディレクターとの関係が
 こじれ、NHK杯の出場を辞退したことがある。
・趙治勲名人から四連勝で名人位を奪う。名人奪取を決めた一局では解説・検討陣
 が誰も気づかなかった見事な捨石作戦を成功させ、以後、捨石名人の異名をとる。
・一時、健康のためにチャリンコで棋院まで通勤していたが、クルマに轢き殺されそうになりチャリンコ通勤を断念。
・趣味は、毎日約五時間を費やす公園での散策
・小林覚九段が傷害事件を起こした際に、罰として便所掃除を提案。
・ヒカルの碁の倉田のモデル。
・ヒカルの碁を読んでいる途中で、塔矢名人とsaiのネット碁に自分の棋譜が使われ
 てることに気がつく。同時に塔矢名人が負けることもわかってしまった。
・買い物でお釣りが計算できない。
・ガスコンロが使えない。
・いつでもどこでも浪曲を謡わずにいられない。
・神田の結婚祝いにはキャベツ丸ごと持って登場。
(「赤提灯」の歌詞から、本気で栄養があると思っていたため)
4名無し名人:2010/05/10(月) 22:23:18 ID:keJOB/UM
・自宅の住所を憶えておらず、帰宅できなかったことがある。
・自分の家の電気のつけ方がわからず、友人を呼んでつけてもらったことがある。
・銀行のATMを使ったことがない。
・オランダ人の少年から「アルファベットでサインを書いて欲しい」と頼まれたが、
 「Yoda」のスペルまではわかったものの「Norimoto」の部分に自信が持てず、
 「ここで恥をさらすわけにはいかん」と考えて結局断った。
・中国に行った際に、乗る予定だった飛行機が墜落。
・ファンの人が握手してもらうのをためらうほどボロボロヨレヨレのスウェット姿で コンビニに現れ、漫画ゴラクを買う。
・清水次郎長伝、森の石松などを全て暗記しているだけでなく、オリジナルの
 浪曲までつくるほどの熱の入れよう。浪曲師への転向も視野に。
・本因坊リーグのプレーオフで蘇耀国八段に勝ち、本因坊位の挑戦者に決定。
・囲碁の指導をしている民主党の小沢一郎代表から「あなたが本因坊を獲ったら、
 ボクは総理大臣になることを約束する」と言われ、本因坊を獲る約束をする。
・本因坊戦直前にNHKの番組で意気込みを聞かれて「高尾君には申し訳ないけれど、
 獲らなくちゃならない理由があるので獲ります」と、本因坊奪取を宣言。
・その本因坊戦に一勝四敗で敗れる。さらに高尾本因坊から「依田さんの敗因は 浪曲疲れ」と指摘される。
・高尾本因坊のことを「高尾さんは見た目は頭がよさそうではない。
 しかし本当は大変な頭脳の持ち主です」と、失礼な言い回しで褒める。
・対局開始時に「ここに打て」という天の声を聞き、それに従って前代未聞の布石を試す。
・しかしその布石で二連敗。「あまりいいお告げじゃなかったのかな」と反省する。
・「緊急連載スタート!依田九段の放つ衝撃コラム」と銘打って、日本棋院の
 会員向けに、連載コラム「依田紀基の言いたい放題」を始める。
・その四日後にコラムの内容が「財団法人日本棋院が囲碁ファンへ提供する
 内容としてふさわしくない」と判断され、連載を中止させられる。