依田紀基について Part3

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4名無し名人
伝説いれるの忘れてるよ。
いくつか付け足しといた。

依田伝説

・小中学校時代は劣等生で、通知表の成績はほとんど1だった。
・修行時代、あまりにも熱心に碁盤に石を並べて勉強したために碁盤の線が
 ほとんど消えてしまった。
・プロ入りした時のインタビューではほとんど喋らず、のちになぜあの時
 喋らなかったのかを聞かれて「バカがばれるのが怖かった」とコメント。
・18歳で名人リーグ入りの最年少記録を達成。
・世界最強のイ・チャンホに大きく勝ち越してた時期があった。
・NHK杯で三連覇。
・NHK杯の収録にたびたび遅刻したことが原因でディレクターとの関係が
 こじれ、NHK杯の出場を辞退したことがある。
・趙治勲名人から四連勝で名人位を奪う。名人奪取を決めた一局では解説・検討陣
 が誰も気づかなかった見事な捨石作戦を成功させ、以後、捨石名人の異名をとる。
・一時、健康のためにチャリンコで棋院まで通勤していたが、クルマに轢き殺され
 そうになりチャリンコ通勤を断念。
・趣味は、毎日約五時間を費やす公園での散策
・小林覚九段が傷害事件を起こした際に、罰として便所掃除を提案。
・ヒカルの碁の倉田のモデル。
・ヒカルの碁を読んでいる途中で、塔矢名人とsaiのネット碁に自分の棋譜が使われ
 てることに気がつく。同時に塔矢名人が負けることもわかってしまった。
・買い物でお釣りが計算できない。
・ガスコンロが使えない。
・いつでもどこでも浪曲を謡わずにいられない。
・神田の結婚祝いにはキャベツ丸ごと持って登場。
(「赤提灯」の歌詞から、本気で栄養があると思っていたため)