日本棋院総合スレ part2

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141名無し名人
「碁きちに捧げる本」というのが話題になった。(最後のスレリンク参照)
たまたま、書棚にあった「碁キチ行状記」安永一 時事通信社刊が、目に付いたので読んでいた。
P115に「棋院財政立て直しへ」というのがある。
どうも、昭和8年ころの話らしい。

当時の日本棋院は、大倉組の御曹司大倉喜七郎の年間三万円(今のお金で30億円くらい?)だして賄っていた。
それが景気が悪くなって、大倉組もそんなにお金を出せないと。だから赤字体質になっていた。
それを安永一が、約一年の改革で黒字にしたという話。

時代の変わり目には、そういう改革が必要なんだ。
江戸時代は、家元制で幕府お抱えのお城碁が、収入源だった。
明治維新で、日本棋院を作って、それを大倉組が面倒を見るようになった。
それも、うまく行かなくなったのが昭和8年。新聞に対局棋戦を載せることを収入の中心にした。

そして、いつのころからか、タイトル戦を作った。
本因坊をタイトルにしたのはもう少し後だと思う。将棋の名人戦と同じ時期だったような。戦前の話だ。
そして、終戦。本因坊戦の広島原爆対局は有名だ。

戦後しばらく、タイトル戦は本因坊戦だけだった。
それをどんどん増やした。日本の高度成長時代だったから、お金を出す人も居たんだろう。
名人戦、棋聖戦など随分増えた。ほとんど、新聞棋戦が中心。NHK杯などもあったが、微々たるもの。

日本棋院も、時代時代で変革をしながら続いてきた。

いつのころからか、囲碁に人気がなくなった。
ゲームの中心が、ゲーム機ものに変わって行った影響が大きいと思う。
そして、メディアが新聞からネットに変わろうとしている。紙の新聞は無くならないかも知れないが、影響力は間違いなく落ちる。

当然、新たな時代を見据えた日本棋院の改革が必要なんだ。
旧態依然たる日本の著作権法を根拠に、棋譜の著作権を守ろうとするだけでは、時代の流れに取り残されるだけだろう>日本棋院

http://game9.2ch.net/test/read.cgi/gamestones/1112963439/145
【囲碁】棋譜並べスレッドPart2