0:プロローグ
「星詠みさま、こちらにおられましたか」
若い騎士がいった。言われた男は、何も答えずにただ星を見ていた。
それが彼ーー年老いてひからび、立っていることさやっとに見えるーーに与えられた唯一の役目であったから。
星を見続けること。
その使命だけが、老人の命をこの世に結びつける楔のようだった。
果たして、いつからそうしているのだろう。
その目は光を失って久しく、すでに虚ろであったが、夜空を見上げる眼光は、
常人にはけっして見ることのできないモノをとらえることを、側に立つ騎士は知っていた。
だが、それは何もこの今でなくてもいいはずだった。
「そろそろ、お休みになられないと」
さっきから星を見上げ、微動だにしない老人にしびれを切らし、騎士はせかした。
彼らが立つのは、古びた城の、空に向かいあけ放たれたテラスだった。
その建物は切り立つ峡谷の上にたてられており、暗黒の谷底から時折、皮膚をナイフで切りさくような冷たい風が吹きあがってくる。
今もまた、ゴオオオオッと、音をたてて風が吹き抜けていった。
騎士は寒さに顔をしかめた。
「冬の叫びです。今年はひどい寒波で、多くの民が命を落としました。ここも安心ではありません」
「冬か・・・」
老人がはじめて口を開いた。
「はい。今年の冬は、国の歴史過去200年の中でもっとも冷たい風が吹いたということです」
もしかして、この老人は寒さを感じないのだろうかと、騎士は疑った。
「冷たい風・・・」
老人はまたオウム返しに答えた。
「ええ、その風は血と肉に響きます」風の音が、ますます唸りをあげた。
騎士は、人はボケると寒さを感じなくなるのだろうかと思った。
「・・・でもその風は、人の魂までは凍り付かせることはできまい」
老人が、ゆっくりと喋った。
「?」
「本当の風は、これから吹き荒れるのだよ。死が舞い落ちてくる。冬が、やってくるのだ」
今は2月だった。
この寒さも、冬の精霊の断末魔にすぎない。これからやってくるのは、暖かい春のはずだ。
騎士は、老人がボケてしまったことを確信した。
そして、半ば強引に暖かい暖炉の火がはじける室内に連れ戻すと、テラスの扉を閉じた。
闇よりもなお暗い、漆黒の星だけが虚空に残された。