「……串刺しだ。どうだ? 悪くはないだろう? 楽に死ねない辺りが特にな。くくく」
偉そうにした天使は徐に自分の髪を握ると、落とし穴まで引摺り始めた。
……悔しかった。
力が足りない事? 違う。生まれ持つポテンシャルの違いを嘆いても仕方無いのは理解しているつもりだ。
それに俺はダブルセイバーを守り抜いた。ほんの小さな勝負に、勝ったんだ。それを誇りたい。
じゃあ何が悔しいかって?
こいつに、殺され方を決められる事だよッ!
「……を…な」
さあ、準備はいいか劣悪種? と聞こえた。多分、穴の入口まで来たのだろう。
だから俺はそう言ってやった。
「何だと?」
ミトスは聞き返す。今、こいつは何か言ったか?
「俺の、死に方を、お前が、決めるな……!」
下品な笑い声が響いた。
死に損ないが戯言を、そう笑い声が言っていた。
「とっとと死ね、劣悪種」
体に浮遊感。
ああ畜生……ここまでか。
くそ、くそ、くそォ……ッ!
一気に世界が夜になる。
不鮮明な視界だが、確かに天使の顔を認めた。
逆光により確認し辛いが、奴は確かにこう呟いた。
“あの世で無力を呪うがいい”
―――数分、経っただろうか。
血が、限界を知らず溢れ続ける。この体の中にこれだけの血が入っているのは驚きだった。
最初は傷や全身が熱かった。今では逆に寒い気がする。
そう言えば血を流し過ぎたら逆に寒くなると聞いた事がある。
傷口が等間隔で痛んでいるが、間隔が随分開いてきた。
多分動いたらヤバいだろうな、と直感的に思う。動けば本来外気に触れる筈が無いモノが出てきそうな気がする。……つーか、動こうにも動けない。
だが、動かなくても間違無く死ぬ。
なんだよ、それ……。結局死ぬのかよ? 全然笑えないぜ。
グリッドは自分の太股と腹から飛び出した岩の槍を見る。
……岩か。墓標としては妥当だが、名前が彫られていないのは納得行かない。
せめて“グリッド、ここに眠る”程度は書いて欲しい。
これを作った気が利かない天使を鼻で笑うと、グリッドは穴の中を見渡した。
死ぬまでの暇潰し―――
……?
…………ん?
目の前の自分がブチ撒けた荷物が目に入る。ザックの裂け目から飛び出したのだろう。
その中に、覚えが無い支給品が交ざっていた。
グリッドは何かと目を凝らす。ここが闇の中だからだろうか? はたまた血を失ったからだろうか? 視力が微妙に落ちた気がした。
「エクス、フィア……?」
こんなもの、知らないぞ?
さては自分の目は血液不足でおかしくなったに違い無い。
思考は矛盾の果てにそう至るが、何度目を擦り何度見直してもそれは間違無くエクスフィアだった。
だが自分のでは無い。……そんな筈は無いだろう?
だが、だとすれば誰の? 誰かが此所に偶然落としたってのか? それは有り得ない。
グリッドは思考を整理する為に目を閉じる。
血液不足だろうか。さっきから変な音も聞こえる。
『……ド』
誰かに預かってたっけ?
最後にザックの中を確認したのはいつだっけ?
『グ…………ド』
最後に睡眠を取ったのはいつだっけ? ……いやこれは関係ねぇよ。
くそ、思い出せな―――
『……グリッド』
―――え?
グリッドは目を開く。誰かに呼ばれた気がしたからだ。
いやいや、有り得ない。遂に耳もやられたのだろうか?
幻聴か? ああ……やっぱり末期症状だな。
そのうちひたひた足音が余計に一つ聞こえ始めるに違いない。
まあ花畑が見えないのはまだ救いかも知れないな。
『グリッド』
ごくり。予想外の展開に喉が大きく音を立てた。
……流石に、幻聴もこれだけ連続すると笑えない。
だって、だってだって。
しかもこの声は有り得ない人のそれで。
『ここだ……目の前だ、グリッド』
あ、有り得ねぇよ。
目の前のエクスフィアから、声がするなんて。
その声が、あいつのだなんて。
嘘だろ? 神様の悪戯だったら怒るぞ?
グリッドから乾いた笑いが漏れる。……何の冗談だ。
遂に幻覚か。本当にヤバいかもな。
だってお前、目の前のこいつ、透けてるし。それを信じろって方がさ、どうかしてるぜ?
悪いが俺は幽霊とか祟りとか、怪談の類は信じないクチでな。他を当たってくれよ。
糞ッ……いよいよやばいぜ。視界が更にぼやけて来やがった。
頬に生暖かい液体が流れやがる。……気が利かない汗だ。
畜生、口の中がまた塩辛くなってきたじゃねぇか。
ああそうさ……分かってるよ。
俺、遂に答えを見つけたんだぜ? 誇って、いいんだよな?
力は、正義なんかじゃ、無かったぜ。
『久し振りだな、グリッド』
そいつは青い髪を束ねた男。我が漆黒の翼の参謀で、数々の苦難を一緒に乗り越えてくれた。
大食らいという二つ名を持つ。
『……それで? 死に際に何を泣いているんだ?』
グリッドはだらしない鼻水を啜り、くしゃくしゃな顔で再び小さく笑いを零した。
「泣いてなんかねぇよ、ユアン」
支援
【グリッド 生存確認】
状態:HP30% プリムラ・ユアンのサック所持 エクスフィアを肉体に直接装備(要の紋セット)
左脇腹から胸に掛けて中裂傷 右腹部貫通 左太股貫通 右手小指骨折 全身に裂傷及び打撲
一時的にシャーリィの干渉を受けた 答えを手に入れた
所持品:リーダー用漆黒の翼のバッジ 要の紋 ダブルセイバー
ネルフェス・エクスフィア ソーサラーリング
基本行動方針:ユアンと話す
第一行動方針:傷をなんとかしたい。生きたい
第二行動方針:ミトスを止める?
現在位置:C3村南東地区・落とし穴内
【ミトス=ユグドラシル@ユグドラシル 生存確認】
状態:TP90% 恐怖 状況が崩れた事への怒り 微かな不安? タイムロスが気になる
ミントの存在による思考のエラー グリッドが気に入らない 左頬に軽度火傷
所持品(サック未所持):ミスティシンボル 邪剣ファフニール ダオスのマント 地図(鏡の位置が記述済み)
基本行動方針:マーテルを蘇生させる
第一行動方針:鏡による拡散ジャッジメントの術式を成功させる
第二行動方針:最高のタイミングで横合いから思い切り殴りつけて魔剣を奪い儀式遂行
第三行動方針:蘇生失敗の時は皆殺し(ただしミクトランの優勝賞品はあてにしない)
現在位置:C3村南東地区?
散乱アイテム:タール入りの瓶(リバヴィウス鉱入り。毒素を濃縮中) マジックミスト
占いの本 ロープ数本 ハロルドレシピ ユアンのクルシスの輝石
※いずれも落とし穴の中に散乱しています
全てのプロセスを無視、理由すら目的すらも。僕はただ力を求めた。
自分が騎士だった事すらも頭の隅に追いやられた―――否。或いは、守るべき人を忘却していたから故に仕方無かったのか。
何故ならば騎士の定義は守るべきお姫様が居る事。姫様を忘れた者がナイトを名乗るには根底から破綻している。
故に“剣”と名乗る彼の現は至極当然の流れなのか。
悪魔は騎士から姫と理性を奪った。
残るは力を求める強き想いと武器。成程“剣”とは極論だが、言い得て妙か。
……それはある意味達観とも取れる。いやそれは安直だろうか?
だがこうして力を手に入れたいが故、履行している事実がある。プロセスを無視しているというミスを犯しながらも、という条件付きだが。
―――僕から見れば彼は妥協しているとも取れる。達観と妥協は紙一重という事か。
……分かってるよ。ややこしいんだろう? これ以上は言葉遊びになってしまうからね。
ややこしくなったのは、いつからだと思う? “悪魔に侵された時”?
まあ、単純に考えればそうだろうね。
別に君に非は無いよ? そう考えるのが一番妥当だからね。“悪魔を利用した魔法使い”もそう思っていたと思う。
でもよく考えてみなよ。
彼は剣じゃなく騎士なんだ。悪魔は確かに記憶と理性を奪った。
だが、“力を求める理由”は悪魔から与えられたものじゃない。悪魔には奪い、蝕む力はあっても与える力は無いのだから。
ならば彼の行動理由は一体何事? ―――そう、“元からあった”のだ。
悪魔に支配される前、魔法使いと出会うもっと前。でも魔王の城に乗り込むよりは後。
それはつまり“彼の行動理由ではあるが彼が考えた行動理由”ではないという意味。ならば誰の行動理由だったのか?
何、簡単な事さ。
“彼”じゃないならば残りは一人しか居ないだろう?
君は勘が良さそうだね。もう分かってるんだろ?
―――だって僕は彼で、彼は僕なんだから。
そう。だからこの物語はただの穴埋めの為のほんの余興。
君なら解を分かっている筈だから、退屈な時間かもね。
でも、“僕達側”に全てのピースを埋める事は出来ない。所詮僕達は傍観者。
余ったピースは彼だけしか持つ事が出来ないんだ。
でも彼はそのピースを忘れてしまっている。
さていよいよ困った。君ならどうする?
彼にどの様にしてピースを思い出させる?
……人の数だけ答えはある。これから送る物語は、未来へ続く可能性のほんの一部。
記憶のピースを失った者、疑心暗鬼に囚われる者、死の淵で答えを手に入れた者。
盤面のリセットを目論む者、それに荷担する者、その策に気付く者。
ただ着いて行く者、待ち続ける者、彼女の元へ歩む者。
罪滅ぼしをする者、される者、そして“彼女”。
盤上で狂う戦士達をどうか御覧あれ―――
「な、なあヴェイグ」
ぽかんと開いた口から弱々しい音が情けなく零れ落ちる。
言葉を放つ穴が開けっ放しになっているのだ。故に言葉が零れ落ちる事はある意味必然とも言えるが、ロイドの単純極まった直列回路はそこまでの考えは及んでいない。
ならば何故こうも最高に無駄な会話を交わすのだろうか?
……ああ、成程。直列回路に力や自信―――即ち電池を繋げ過ぎ、現実という豆電球が爆発してしまったに相違無い。
自分の豆電球ではどうやら許容範囲外らしい。
激しく容量オーバー、いや“要領”オーバーか? ……この後に及んで自虐ネタは素晴らしく笑えないな。
幾れにせよ自分にはお手上げという事だ。
披露を蓄積せぬ天使の体とは言えど、目の前の上映会は少なからず体に堪える。
「何だ?」
ヴェイグの声は微かに震えていた。
一瞥すると、普段の彼からは見て取れない激しい狼狽……まあ、目の前の景色を見れば至極当然だろう。
「俺達はさっき全力でユニゾン・アタックを放った、そうだよな?」
自分で言っておいて何を今更、と呆れる。一々そんな確認を取る必要は無いだろうに。
だが、するとこの霧のスクリーンに浮かぶ映像は一体何だろうか?
……ああ、これがよく言う“超展開”ってヤツ?
「そうだ、間違無い」
馬鹿言えよ。只でさえ存在が既に超展開のこいつに、更に超展開とか何様だよ。冗談はよせ鍋ちゃんこ鍋ッ!
映画監督は何を考えているんだろうか。客は二人しか居ないんだぞ?
というか、ポップコーンくらい寄越せっての。気が利かない奴だ。
しかし全く、目茶苦茶をしてくれたものだ。あれだけ格好良くキメたってのに。
「じゃあ、じゃあよヴェイグ」
ロイドは下らない冗談を脳内から弾き、そう切り返して固唾を飲んだ―――分かっていると思うが別に喉が渇いた訳じゃない。
「何の冗談だよ、アレ」
ははっ、と乾いたを通り越した干涸びた笑いを零しつつ、ロイドは手に固定された剣共々目の前を指示す―――いや、刺示すと言った方が正しいかも知れない。
示された先には間違無く、奴が居た。心を失った戦闘狂、名前は……
「クレス=アレベイン……!」
ヴェイグは奥歯を軋ませながらそいつの名前を喉奥から捻り出す。
……なんてタフな奴なんだ。
「……ヴェイグ」
ロイドが低い声で呼ぶ。潰され損ないの眼球をクレスからロイドへ動かすと、複雑な表情が認められた。
「なんだ、ロイド」
「気付いてるかと思うけどよ……あいつ、二刀流止めやがったぜ」
客観的にこの会話を聞いた人物は、“何だそんな事か、見れば分かるじゃないか”程度で済むであろう。
だがヴェイグには痛い程理解出来た。その言葉の影に隠れたそれ以上の意味をだ。
何故ならば今、実際に見ているから。
両手持ちされた永遠の名を冠する剣、そして極上の黒焔を纏いし怪物を。
「……ここからが本気、という事か」
冗談じゃない。俺達は先刻本気だった。今だって勿論そうだ。
だがこいつにとってはウォーミングアップ程度という事か? ふざけるな。そんな馬鹿げた事があって堪るかッ!
「注意しろよロイド。アレは―――かなり危険だ」
「分かってる!」
ヴェイグの喉が不器用な音を立てる。
目の前にはまるで鼠を捉える寸前の梟の様に、音も無くゆっくりと足を出すクレス。
―――ああ、格が違う。
そこにあるのは無意識に自分を鼠、クレスを梟だと例えてしまう程の実力差。こいつは人間なんかじゃない……バケモノだ。
大体ミクトランは何をしているんだ? ヒューマとガジュマをこの島に呼んだんじゃなかったのか?
バケモノを呼ぶなんて聞いていない。ルール違反だろう!?
「……殺す」
玉の様な汗が顎に収束され、滴るものが地面に染みを付けるその瞬間。
前髪を乱し、眼球を隠したクレスが小さく呟く。
そして呟いた後に―――
「何ッ!?」
“消えた”。そう、突然過ぎる見事な消滅。……馬鹿な、有り得ない。空間転移には数コンマのタイムラグがある筈だ。
ちぃっ、と口が苛立ちを紡ぐ。
分かっているさ。こいつに有り得ないなんて通用しないって事くらい。
だがな―――
「先ずはお前だ、死に損ない」
目の前からの禍々しい声にはっと我に帰る。そう、今は呆けている場合では無いのだ。可及的速やかに防御をしなければ!
「……零、」
防御の為にチンクエディアを自分の胸元に構えようとした。間に合わない事は百どころか億くらい承知だ。
何故ならもう目の前は黒い焔で埋め尽くされていたから。反撃は不可能。ロイドですら間に合わない距離だろう。
しかし、だからと言って大人しく殺られる訳にもいかないのだ。
……ユリスという強大な敵を倒し、聖獣すら屈伏させてここまでやってきた自分が一種の諦観すら感じている事に微妙に驚いた。
思わず軽く自嘲気味に苦笑いをする。生へと足掻く努力を忘れた自分が最高に情けない。
「次元斬」
死刑執行の合図が音の波となり鼓膜を揺らす。
漆黒の中に一瞬、ガラスの様なものが見えたが、気のせいだろう。
目の前の色彩が漆黒から一気に不気味な紅へと変化する。……これが死の色なのだろうか。
趣味の悪い花火の如く飛び散る鮮血を見ても不思議と“死”の実感が沸かない。
それはまるで何かのアートを見ている様で、とても自分の身に起こっている事とは思えず、他人事の様だった。
自分の死をアートに例えてみたり、他人事の様に考える最高に空気を読めない自分の脳が、案外あっさりしているんだな、と冷静に思考する。
腕と胸、ふくらはぎ辺りに熱と激痛を感じた―――体を斜めに斬られたのだろうか。
真っ二つか。中々派手だな。情けない姿なんだろう。
ロイドの悲痛さを隠そうともしない絶叫が湿った空に木霊する。只の雑音にしか聞こえなかったし、反応する気力すら無かった。
目を閉じ、ゆっくりと死の波へと体を委ねてゆく。
心残りは星の数程あるが、それよりも全身を包む温かい解放感が心地良かった。
「嘘、だろ?」
全身赤尽くめの青年は口を半開きにしたまま民家の屋根を見る。
辺りは飛び散った鮮血による鉄の臭いで包まれていた。
常人ならば思わず鼻を覆いたくなるような生温く気味が悪い臭いだ―――だがそんな事はロイドにとってどうでもいい。
倒れたヴェイグに駆け寄る事も、クレスを警戒する事すらも忘れて、ロイドの二つの眼球は屋根のそれへと釘付けにされていた。
自分が見ているものは一体何だろうか?
“さっきの雨”は何だったのだろうか?
何でこんな事になったのだろう?
自分は一体どうしたらいいんだろう!?
ロイドは半開きの口を死にかけの魚の様にぱくぱくと動かす。
この場に適当な語句が見つからない。久し振り、とでも言うのか? 馬鹿馬鹿しい。
「ぁ……う」
意味が分からない単語が口から垂れ流しになる。
……何で。
さっきのは何かの間違い、そうだろ?
……何でだ。
そうだよ。いつものちょっとしたドジさ。そうに決まってるじゃないかよ! だってドジで秘奥義を発動しちまう程なんだぜッ!?
……何で、何でそんなに、冷めた目で俺を見るんだよ?
最初は耳鳴りか、体にガタが来てるのかと思った。ヴェイグもクレスも無反応だったし、ほんの小さな音だったから。
この時点で気のせいだなんて思わなければ良かったのかもしれない。
俺は馬鹿だし、クレスに集中してたから気付けなかったんだ。ヴェイグとクレスが無反応なのは、彼等が天使では無いからだという事を。
そりゃそうだよ、天使化してる俺にしか聞こえない訳だって。
結局、その時の俺はその小さな音を無視した。いや、違うか。何処かで意識していたんだろう。
確実に音が大きくなっているのを理解していたし、“聞いた事があったから”。
胸に燈る小さな期待。それを無視出来無かったから、クレスの高速空間転移に反応出来兼ねた。
我が目を疑った時はもう遅かった。漆黒の焔と紫電を纏ったクレスは既にヴェイグの目の前に居たのだ。
……仮に音が無かったとして、反応出来た自信はあまり無いのだが。
兎に角、もう全てが遅かった。俺が足を出した時には、エターナルソードはヴェイグの胸の直ぐ側の位置に構えられていたのだ。
―――そして何処からか小さな声が聞こえて、アレが来た。
あれは確か……力の限り、言葉にならず意味を失った咆哮を上げ地面を蹴り上げた瞬間だったと思う。
風を切る様な複数の高音―――そうだな、形容するならば弓矢が空を走る音、と言った処だろうか。その音が微かにしたんだ。
気になっていた音―――もういっその事言うが、足音だった―――がいつの間にか止んでいた事に気付いたのもその時だった様に思う。
俺ですら微かに聞こえた程度なんだ。ヴェイグとクレスは気付ける筈が無かった。
だから俺だけがその上空からの不思議な音に気付けて、空を見上げる事が出来たんだ。
そこには……なんだろうな。星、だろうか? ほら、きらきら光る星だよ。あれが雨みたいに降ってきててさ。
そうだな、天の川が丸ごと降ってきた感じだよ。
でも直ぐに星じゃないと気付いたんだ。ほら、天使って無駄に目が良いからよ?
真っ昼間でしかも霧の中で星が見えるもんか、って目を凝らしてやるとよく分かった。星に見えたのは光を反射する氷柱だったんだ。
こいつはやべぇ、と思ったけど俺は自分がそれを避ける事に精一杯で、ヴェイグを守ってやる事が出来無かった。
出来る事は精々ヴェイグの名前を叫んで注意を促す程度だった。
だから仕方無く俺は自分に降り注ぐ氷柱を避けながらヴェイグの名前を叫んだ。
……クレスは驚いている様だった。それもそうか。完全に隙だらけの自分の背中に無数の氷柱が刺さったんだ。
零次元斬が発動する直前に痛みで顔を歪めて、血を吐きながらのた打ち回ってたっけ。虚覚えだ。
ああ、確かヴェイグにも数本氷柱は刺さっていたと思う。これも虚覚え。
……え? どうして此所の記憶だけ虚覚えか、だって?
……その時、俺の目線と意識は屋根の上に奪われていたからさ。
聞いた事がある足音だとは思っていた。音は軽く、小柄な少女だと思われた。
確かに、期待はしていた。だから素直に喜びたい……違う。喜んでいい筈だ。
“こんな再開じゃなければ”。
「……どうしてだよ」
彼女の目は自分が知るそれとは思えぬ程冷たく鋭利で、少なくとも再開の喜びを表すものでは無かった。
澄んだコバルトブルーの目には、いつもの無邪気さに溢れた宝石の様な輝きは無く、ただのくすんだ石の様で。
綺麗な筈のコバルトブルーが、とてつもなく無慈悲で冷たい青に見えた。
鋭利さを増すばかりの目線は物理的には無くした筈の心を深く抉り、ロイドの希望を蝕んで行く。
彼女の眼球が燃える様な紅では無い事も、ロイドの心に深い傷を負わせる。
「じ、冗談だろ? な、なぁ、冗談だって言ってくれよ」
縋る様に絞り出された声は自分でも驚く程情けなく、覇気のはの字すら含んでいない。
返答の代わりだ、とでも言いたいのだろうか?
ひゅん、と高い音がしてロイドの頬の肉を氷のチャクラムが斬ってゆく。
新鮮さを失った赤が、驚く程ゆっくりと頬を伝った。
一瞬、何をされたのか理解が出来なかった。
ガラス食器が割れた様な音がロイドの後方から響く。まるで自分の心を写す鏡の様だ、なんて下らない比喩をしてみるが、全く以て笑えない。
「何でだ……」
ぱくぱくと酸素を欲しがる魚の様に哀れに動いていた口が、よくやく言葉を紡いでくれた―――心底どうでもいい言葉を。
靡く金色の髪を掻き上げ、天使は短剣を握り直し、踵を屋根に打ち付ける。
彼女がしない仕草に違和感を覚えるも、今はそれどころではない。
ロイドは祈る様に彼女の目を見つめた。
……早くいつものずっこけで俺を笑わせてくれよ。頼むから、舌を出して冗談だよとか言ってくれよ、なぁ! 頼むよッ!
しかし悲しいかな、屋根を蹴り上げ地面へと着地する天使の顔には一片の曇りさえ無く、見事なまでの人形の様な無表情。
いつものドジっぷりも発揮する事無く――いやそれだけならまだいい――、短剣を静かにロイドの胸へと向けるのだ。何の躊躇いも無く。
「何でだよ……どうしちまったんだよッ! コレットおぉぉおおぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
時を遡る事数分前。民家の影に隠れながら、カイルを突破したアトワイトはロイド達を監視していた。
「合図が来ないわ……どうして?」
彼女は言葉に表れる微妙な苛立ちの感情を隠そうともせず独り言を呟く。
……ジャッジメントの用意がまだなのだろうか? そう考えるのが妥当だが何処か釈然としないのは何故か。
そもそも集中が要るとは言えたかがジャッジメントなのに、どうも時間が掛かり過ぎだ。
妙だ。真逆、ミトスの身に何かが?
そう考えると落ち着いては居られない。しかしそうでは無いとしたら? ……ああもう、私ったらどつぼに嵌まってるわね。考え過ぎかしら。
きっとそうね。私はただ合図を待つだけ、それでいいわ。
アトワイトは左親指の爪を噛みながら、胸の奥に蟠る小さなジレンマを掻き消す。
焦りは禁物だ、ミトスはジャッジメントを編む事に予想外の時間を掛けてしまっているだけ、それでいいじゃないか。
一体何を自分は心配しているのだろうか?
……でも。でも、あくまでももしもだが。万が一ミトスの身に何かがあったのだとしたら?
「ただ待つ身ってのも、意外と神経使うわね」
アトワイトは埒が明かない思考に苦笑いと共に小さく舌打ちをする。
時間が充分にあるというのも、無駄に考える時間が与えられ困るものだ。我がマスターは今頃一体何をしているのやら。
全く、真逆こんなにも神経を使う任務だなんて思ってもいなかった。
あと五分。あと五分程度待って決めよう。
アトワイトは溜息を一つ漏らした。
「……嫌になるわね」
自然とその言葉が口から零れ落ちる。目線を下に泳がせると炭化した木片が虚しく散らばっていた。
“待つ身”、か。
思えば私は何時も誰かを待ってる気がする。自分が危機や絶望に直面した時は何時だって誰かを―――あの人を。
正直、何時も期待していた。
あの人なら必ず私を助けに来てくれると。私を救い出してくれると。
今だから言える。確信に似たものさえ心の中にはあった。
あの人は何時だって騎士だった。……そう、騎士“だった”。今は違う。でも、
“私が洞窟に行っていれば、何か変わったか”
あの人のその台詞に、心が少なからず揺らいだのは何故だろう。
完璧に的の中心を射ていた。私も分かっていたのだ。
自分の我儘で、自分の力でどうにかせず勝手に助けを求めたのは私だと。
勝手に裏切られたと思い、勝手に彼を拒絶したのも私だと。
愚かにもミトスの元に下って、こうして霧を起こしているのも私だとッ!
だって……だって、そうしなければ私は、駄目だったもの。
仕方無いじゃない、私は弱くて無力な衛生兵だもの。私の力じゃ何も出来ない。
……そうね。私は“いつも”、誰かを待っている。
願わくば神よ、愚かな私に教えて下さい。ならば今の私は一体、誰を待っているというのか?
「今の墜ちた私に、メシアを待つ資格なんて一握りも無いのに」
ぼそりと呟かれた独り言は霧に交ざって消えて行く。
そんな自分の声にはっとして左手で膝に爪を立て譴責する。何をいきなり乙女思考になっているんだ私は。しっかりしろ。
……そうだ。様子はどうなっているだろうか?
アトワイトは手頃な民家の壁へ階段の様に氷の足場を作る。勿論、細心の注意を払ってだ。
音も無く屋根に攀登り隙間から顔を覗かせる。そこには想像を絶する光景が広がっていた。
「こ、これはッ!?」
思わず大きめの驚嘆の声が漏れ、無駄と分かっていても慌てて口を押さえる。
アトワイトはコレットな下唇を噛ませた。状況が激しく変わっている。
……クレスの実力はアレがMAXではなかったのか? 何だアレは、本当にこの世の剣士が発する殺意と覇気か!?
「こ、こんなの、下手をすればミトスだって……」
喉からの唾を飲み込んだ不器用な音を聞きながら、アトワイトは眉間に皺を寄せた。……何て予想外の展開ッ!
あと五分? ……遅過ぎるッ! 何を甘ったれた事を言っていたんだ私はッ!
私とした事がクレスを軽視し過ぎていた。腐っても二対一、状況は五分だと読んでいた自分が恥ずかしい。
私の馬鹿、違うに決まっているじゃないか! 次にクレスが動いた時に攻撃を仕掛けないと確実にどちらかは死だ!
……落ち着け私。今出来る最善の手を考えろ。そうなっては遅いのだ。
何故ならば仲間の危機に動揺しない方がどうかしている。故に確実に状況は大きく変わる! 数分もせずロイド側は全滅だろう。
そうなればどうなる!?
三竦みどころの話では無くなる! この作戦の意味が全然無いッ! ……合図はまだなのミトス?
「くっ……仕方無いわね」
状況が芳しく無い方に変わった。合図無しでも行くしか無い―――アトワイトはそう判断し、渋々詠唱を始めた。
ミトスのジャッジメントの合図があるまでは、撤退すら出来ない。それも理解した上での苦渋の選択だった。
「アイスニードル、扇状放射」
始まりはただの男の睡眠。続いて剣の戦闘力を計り損ねた小さな誤算、凡人の予想外の小さな反抗。
そしてもう一つの誤算。この戦場の舞台裏に直接干渉し、歯車が狂わせようと動く存在を忘れていた事。
一人の学士と一人の晶霊技師は、困惑しながらも確実に戦場の裏へと侵入している。
戦場の舞台裏で廻る歯車はゆっくりと、だが確実に狂い始めていた。
「どう、なっている……?」
キール=ツァイベルがその場へと足を運んだ時、既に場は膠着状態にあった。
状況は限り無く黒に近いグレーだ。
ロイドは天使であり、馬鹿みたいに耳が良い。従って気付かれない様に細心の注意を払ってギリギリの位置から覗いている為会話は聞こえない。
だがどうやらコレットはミトス側らしい。しかし結果的にヴェイグを助ける形で乱入していた。
……分からない。目的が、全く見えない。この霧の様に、ミトス側の目的が不鮮明過ぎる。
……罠か? 馬鹿な。何の為? 奴も首輪の情報は欲しがっている筈だ。奴に利が無いじゃないか。
それに一番の誤算はその本人、ミトスについてだ。
何故奴が居ない? 此所に居ないなら何故誘いに乗らなかった? 奴は今何をしている?
畜生、分からない事だらけで釈然としない……。この戦場の裏で一体何が廻っていると?
落ち着け僕。クールになって考えてもみろキール=ツァイベル。
ミトスがわざわざコレットを使った理由を考えるんだ。
……整理しよう。
ミトスは姉、即ちマーテルの為に動いている。
マーテルの器はコレットであり、ミトスにとって大いなる実りの次に大事な道具の筈だ。
―――矢張り、おかしいぞ。
その大事な大事な器を何故一人戦場に送り込んだ?
格闘能力がある程度あれど非力な少女だぞ? しかも“あのクレス”が相手ならば返り討ちがオチだろう。
それはミトスも承知している筈。
……つまりだ。ミトスがコレットを送り込んだ目的は敵、即ち我々の殲滅では無いという事。
同時にコレットを失うつもりも毛頭ないだろうな。
ならばコレットがわざわざ攻撃を仕掛けた理由は何だ?
コレットの命令違反? 否、有り得ない。コレット自信、不利有利が判断出来ない程馬鹿じゃないだろう。
しかしだとすればミトスの指示と言う事か?
ヴェイグを助ける形で戦闘に参加した理由も分からないな。
エターナルソードの確保だけが目的ならば、ヴェイグを生かす理由が全く無いじゃないか。
いや待てよ? という事はつまりだ、エターナルソードの確保が目的では無いという事になるな。
敵の殲滅、エターナルソードの確保。このどちらでも無い事は状況から明らかだ。
だがコレットの動きはミトスが指示している事は間違い無い。
一体何が目的だ、ミトス?
「ますます理解出来ないな……どう思う? メルディ」
申し分程度に自分の後ろを見る。
ポットラビッチヌスを抱いて蹲る少女は、何か? と言って立ち上がった。
相変わらず何処を見ているか分からない虚ろな目以外はただの健気な少女だ。……矢張りこの先、メルディを危険に晒す訳にはいかない。
「ん。あぁ、つまりだ……簡単に言うぞ。
クィッキーはお前にとって大事だろう? ところがそいつだけを戦場に送り込まなければならなくなった。
それは何故か? といったとこだ」
うーん、とメルディが小さく唸る。
元々期待はしていないが、物事の背景や理屈等、難しい事を考えてしまう自分よりは単純に考える彼女の方が良い意見をくれるかもしれない、との考えからだ。
奇跡的に何か良い推理でもくれれば万々歳なのだが。
「そんな事したら、メルディが大事なクィッキー、攻撃が集中して大変だよぅ」
キールは首を項垂れて小さく溜息を漏らす。
やっぱり、期待した僕が馬鹿だったよ。
「でもどうしてもそんな事になるんだったら、メルディちゃんとクィッキー見張ってるよ。
クィッキーが大変な事なる前に、メルディ助けるよ」
ピク、とキールの眉間が動く。
……“攻撃が集中”“見張ってる”“大変な事になる前に”?
そう、か……分かったぞッ!
項垂れていた首を上げ、キールは一人声を荒げた。
「メルディ、ビンゴだ……!」
成程、簡単な事だった。つい先日あった手法じゃないか。
そういう事だったんだな。ミトスめ、なかなかやってくれるじゃないか。
「二番煎じとは、芸が無いな」
キールは不思議そうな表情で首を傾げるメルディを一瞥し、口元に歪んだ弧を浮かべた。
確実に自分は死んだと思っていた。目を開ければそこは地獄だと覚悟していた。
だから目を開けた時は一瞬何が起こったか理解出来兼ねたのだが、ロイドの叫び声と血を吐くクレスから容易に想像だけは出来た。
「俺は、生きて、いるのか……?」
ただ、所詮は想像であり実感までには長い時間を要した。
激痛から斬られたと思っていた場所は氷柱が刺さっていただけなのを確認し、馬鹿げているが自分に足がある事を確認する。
そしてゆっくり首筋に指を這わせ、その指が氷の様に冷たい首輪に触れて漸く全てを理解した。
嫌に首輪の冷たさが現実味を帯びていて少々驚く。
だがそれよりも驚くべきはこの氷柱だ。何故、誰が―――
「何でだよ……どうしちまったんだよッ! コレットおぉぉおおぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
「……ッ!?」
空気そのものを劈く様な悲痛な叫び声に思わず耳を塞ぎたくなる衝動に駆られ、顔を顰める。
目覚めを最悪にする目覚まし時計の音源は、ロイド=アーヴィングの口だった。
「……ロイド? 何をして」
「ぐあっ!」
どす、と鈍い音がしてロイドの右胸に氷柱が刺さる。
ヴェイグはその異様な光景に我が目を疑い、混乱せざるを得なかった。
ロイドは剣を向けようともしていない。だが相手の少女――恐らくこの少女がコレット=ブルーネル本人で、間接的にだが俺を助けた人物だ――は敵意を剥き出しだ。
状況が上手く把握出来ないが兎に角! このままではロイドが危険である、と脳が結論付ける。
ヴェイグは舌打ちをしロイドとコレットを交互に一瞥した後、思い出した様に自分の後ろのクレスを急いで確認する。
都合良く自分の盾となる形で氷の雨を浴びてくれたお陰だろうか、蹲って血を吐いている。
どうやら暫く回復まで時間が要る様だ。
と、再びロイドの方向から肉に何かが刺さる鈍く悍ましい音。
急いで振り向くと見事なまでの鋭さと長さを持った氷柱が青年の左足に突き刺さっていた。
ヴェイグはその様子に苛立ち、歯を軋ませる。
……只でさえ厄介な状況だと言うのに、ロイドは何をしているんだッ!?
「……くっ! 何を呆けているんだッ!?」
恐らく―――いや、もう間違無くコレットは敵だ。だがロイドは愚かにも戦意を喪失している。
幸いなのはクレスが一時的に戦闘不能である点か。兎に角俺がコレットを抑えなければロイドが危ないのは確かだ。
今ロイドを失う訳にはいかない!
「貴様……何者だッ! ロイドから離れろ!」
コレットに罵声を浴びせつつ走り出す。
取り敢えず分かっているのは、こいつが放置出来ない敵だと云う事実だ。
いや、今はその事実だけでも充分過ぎるだろう。これだけ危険な状況なのだから。
ヴェイグは走りながらチンクエディアを握り直す。こちらは手負いとは言え相手は少女だ。問題は無い!
相手の少女はくすくす、と軽快に笑いながら短剣を構えた。
年齢に似つかわしく無い上品で大人っぽい笑い声に一瞬違和感を覚える。
「……あら、私の名前は“貴様”じゃないわ。“コレット”って言う立派な名前があるんだから。くすくす」
人を小馬鹿にした様な声と、その屁理屈がヴェイグに失笑を誘う。
「そりゃよかったな……!」
今はそんな挑発に付き合っている暇は無い。
フォルスを込められ蒼白く発光する剣を構える―――貰った!
と、目の前の少女が驚くべき行動に出る。あろう事か構えた短剣を下ろしたのだ。
有り得ない光景に目を見張る。
「……お生憎様。
力んでる処をとても残念だけど、貴方の刃は私には届かないわ。掛けてもいい」
大層な自信に呆れ、思わず笑いが込み上げた。
いや、それとも只の挑発だろうか? ……どちらにしろ、ふざけた女だ。
口上だけなのかどうか、俺の剣で試してやる!
「ほざけ! 絶氷―――「ひゃめろおぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
我が目を疑った。
相手が短剣では無い斬激の音と重さを感じる。
吹荒ぶ塵と霧の向こうには、見間違えで無ければ赤尽くめの青年が今にも泣きそうな表情でこちらを睨んでいた。
……目は、本気だった。
「ほらね、届かないでしょ?」
その奥でコレットが不気味な嗤い声を上げる。
何かの冗談か、ロイド? だとすれば笑えないぞ?
「……何をしている、正気かロイド?」
低く小さな声がぼそりと呟かれた。
言葉の節々に少なからず怒りが込められている。
「ああ、正気だ!」
時空の蒼を纏う剣が、チンクエディアの氷に反射して眩しい。
「奴は敵だ……分かるな? 分かったら、そこを、どけえぇぇッ!」
「嫌だあぁぁぁッ!」
ヴェイグは余りの迷い無き即答ぶりに思わず息を飲むが、直ぐに黒い怒りが脳内を支配した。
何を世迷言を言っているんだ、目の前の男は。状況が見えないのか?
「俺と戦いたいのか……? 自分が、何をしているか分かっているのか……?
俺はお前にどけと言っているッ!!」
「五月蠅え! コレットは仲間だ!
刃を向けるなんて俺が絶ッッ対に許さねぇッ!!
絶対ェにどかねぇ!」
な、と半開きの口から気の抜けた単語が飛び出した。
あまりの暴言振りに怒りを通り越して呆れる。
「な……仲間ァ? お前は何を言って」
「コレットは敵じゃねぇ! 仲間だッ!」
アトワイトはロイドの滑稽な背中を見て鼻で笑った。
自然とこのお馬鹿二人組の呼吸は荒く、語尾は強くなっている。そのうち興奮し周りが見えなくなるだろう。
放っておけば自滅するかもしれない。
……それはミトスが優勝を狙う際に於いてのみ好都合。だが難儀な事に、ミトスは姉の復活と盤の支配を重点に置いている。従ってそれでは駄目なのだ。
ミトスがうまくこの村を支配し立ち回るには、今の三巴は必須条件。
クレスのチャンバラごっこの相手はこいつらにして貰わなければ困る。
さてと、そのクレスは今どうしているかしら。そろそろ回復してもいい頃だけど―――え?
「ちぃッ……調子に乗るなよこの、分からず屋があぁぁぁッ!」
「馬鹿野郎ッ! 分かってないのはそっちだろうが!
コレットは今、きっとミトスに何かをされただけなんだッ! 目が青色って事は正気な筈なんだッ!
コレットを斬るなんて馬鹿な真似をしてみやがれ―――俺が相手をしてやる! ヴェイグッ!!」
「……くッ!」
ヴェイグは火花を散らす剣を見て奥歯を軋ませた。
今のロイドは完全に周りが見えておらずとても正気の沙汰ではない。
駄目だこいつは……早くなんとかしないと……!
ロイドが壊れたスピーカーの様に何かを叫んでいるが、意識すると耳が壊れそうになるので取り敢えずは剣に力を入れ、無視する事にする。
そうだ、コレットはどうしている? 何故攻撃して来ない?
ヴェイグはピントをロイドの背後のコレットに合わせた。
「……何だ?」
呟いた声は絶叫に掻き消されるが、疑問の思考までは掻き消されない。
ヴェイグはそれが理解出来ず眉を顰めた。
騒がしく動くロイドの口の向こうに、コレットの怪訝そうな表情があったからだ。
口を馬鹿みたいにあんぐりと開け、ああ……そうだあれだ、小説によくある“目を丸くして”という表現。
全く以てその通りの表情だった。
一体どうしたと―――
「ううぅあぁああぁああぁあああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁああああぁああああぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁああぁあぁあぁあああああぁぁぁあぁあぁぁあぁッ!!」
途端に別の叫び声に気付き、体がビクンと反応とする。
自分とロイドの無駄な絶叫で掻き消されていたのだろうか、今更になって意識するとはっきりと聞こえる。
何時から? いやそれは問題では無い!
この声は間違い無くクレス=アルベインッ!?
「くそッ……!」
どうなっている。
突然の氷の雨と金髪の少女の乱入、ロイドの発狂、挙げ句の果てにクレスの発狂か!? 一体何だと言うんだ!
ヴェイグは目を閉じ落ち着けと自分に言い聞かす。
恐らく今一番冷静なのは自分とコレットだ。
状況は目茶苦茶で把握出来ず訳が分からないが、俺だけがまだまともだ。
ロイドにはもう頼れない。しっかりしないと駄目だ……。
―――よし。
すうっ、と冷たい空気を肺に満たす。湿気が気になったが、心なしか頭が冷えた気がした。
気分を落ち着け目の前のロイドの目を見る。……完全に冷静さは失ってしまっていた。
矢張りこうなってはもう何を言っても無駄だろう。
「悪いなロイド―――風神剣!」
ガーネットの力を借り、気流の刃を剣に纏わせロイドの剣を弾く。
攻撃の意味では無く、ロイドを遠ざける意味でだ。
だがロイドは恐らく攻撃の意味で把握するだろう。……それも承知の上だ。今は仕方無い。
「く、そッ! ヴェイグてめェ……!」
ロイドは数メートル足を引摺らせ、体のバランスを崩しかけるも背の羽を羽撃かせうまく着地する。
呪いの言葉を吐く彼の額には怒りによる青筋すら浮かんでいた。
ヴェイグはその間にクレスを一瞥する。
……頭をバリバリと掻き、血を撒き散らしながら咆哮しているその様はとても同じ人間とは思えず、息を飲む。
は一体どうしたと言うのだろうか?
「……何処見てやがるヴェイグッ! 俺は此所だッ!」
はっとして目線を移動させる。青年を喰らい尽くさんとばかりに怒り狂う蒼炎は目の前にあった。
私は何を見ているんだろう、と思った。場を軽く掻き回してやるつもりだったのが、これはどうした事か。
いや、ここは予想以上の成果に喜ぶべきだろうか?
だがクレスのあの反応は予想外だった。
ヴェイグ=リュングベルも先程見て驚いていた。それもそうか。
あの戦闘狂のクレスがあれ程までに取り乱す様を見て、驚かない方がどうかしているだろう。
……予定が狂った。場を掻き乱し、ロイドを利用し、私を守って貰いつつクレスの体力を術で削るつもりだったのに。
あの気が狂ったクレスに一体私がどう対処しろと言うのか?
「あ、あはは……」
この状況に陥らせたのは私だと言うのに、私はどうすべきかを知らない。
こんな馬鹿で間が抜けた事があろうか。
……ミトス急いで。何かが、貴方が予想している以上の何かがこの村に訪れようとしている。
滑稽な剣戟の演奏と間怠っこい濃霧の中、私はただこの狂い始めた盤に途方に暮れるしか無かった……。
“僕が待っている人”あの女は誰だ、“僕を待っている人”だれだ、だれだ誰だダレダ。
“僕が待っている人”僕は知らない、知“僕を待っている人”らないだろうああ知らないね知らな“僕が待っている人”い筈だッ! “僕を待っている人”
なのにこの記憶は何だ!? ああ、“僕が待っている人”僕の中が壊れて行くよ侵されて行く蝕ま“僕を待っている人”れて行くッ!! 嫌だいやだ!
いやだあぁああ“僕が待っている人”ぁぁぁああああああぁぁぁああぁああぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあぁあぁぁぁああああああぁぁ“僕を待っている人”ぁああぁぁぁぁあぁぁあぁあああぁッ!!
――僕が待っている人がいる――
敗北。僕は何時か、何処かの森で誰かと対決をした。そして敗北した。
敗北? 僕が? 何を言うんだ。僕は負けられないのに。
“負けてはいけないのに”。
けれども、何で、負けてはいけないんだっけ。何で、負けられないんだっけ。
誰に、誰を、誰は、誰が、誰の為に?
……光が見えた。収束している。魔力のそれとは違う。
いや、光と言うよりは電気の塊かもしれない。
でも危険だ。その光は僕を襲うつもりなんだから、危険と思っても当然なんだ。
だから僕は、剣を垂直に構えた。
僕は剣なんだから、この光を斬らなくちゃいけないんだと、思ったんだと思う。
光ごと、奴の体を斬ってしまおうとした。
でも、最初は駄目だった。僕は、返討ちに遭った。
それから……それから―――
『……………………ません』
『…………負けてません』
『………クレスさんは、まだ負けてませんッ!!』
そうか。だから彼女を助けるまでは、まだ、倒れられない。
僕は、彼女を助けるまでは、負けられないんだ。
――そうだ、僕は剣じゃない。彼女の騎士だったんだ――
“理由”なんて要らない。僕が敵を壊す理由は、僕が剣だからだ。力が欲しいからだ。
要らない、要らない、要らない。
“原因”なんて、“理由”なんて、“使命”なんて、“敗北”なんて、
“待っている人”なんて、要らない。
――忘れてなんかいなかった。ちゃんと分かっていたんじゃないか。
声が重なったあの時の違和感だって理由は分かっていた――
『もう一人の自分』
違う。僕は彼で彼は僕だった。はっきりと思い出せる。
『二日前』
“君は僕の知り合いの女の子に似ているね。きっと彼女もそう言うと思う。 そうだね、みんなと無事に帰りたい。頑張ろう、コレットさん”
『空白の時間』
“君は、僕が守る”
矛盾していると分かっていたのに、どうしてそう口は紡いだのだろうか。
少女に彼女の面影を見たのだろうか。……彼女?
『デジャヴ』
堂々巡り、そんな事は分かっていた。
『否』
思考に溺れる事で、僕は僕を維持していたんだ。
『不思議な感覚』
少女“彼女”を護り抜くべきか、ゲームに乗るべきか。
そんな事考えたくもない。
『夢じゃない』
そう、これは夢じゃない。
草むらから微かな音。待っていた彼じゃない―――魔王だ。
『現実』
“何者だ!”
刃を向けるのは少女の、“彼女の”為なのか。それともゲームに乗ったが故に?
答えを持たない迷った剣が、強くなれる筈が無い。
『痛かった』
男の腕が盛り上がり、更に太さを増した。
『暗かった』
森の木立ちから漏れる月明りまで鮮明に思い出せる。
『けれども』
何故だろうか。今の僕とこの僕は全く違う。
『知らない』
違うね。そんな事は無い。覚えているんだから。
『違う世界?』
それは愚問だ。そんな事は有り得ない。
『だが』
だってこうして現に“僕”には、“二日前の記憶”は無い。
『エグジスタンス』
“僕”、いや僕は確かにそこに居た。
『確かに僕は』
あぁ、そうだ。
乖離している記憶を合わせると、
『クレス=アルベインは』
確かにこの“僕”は、
『そこに存在した』
あの僕であり、僕らは一つだった。
『森の中』
奴は魔神剣を軽々と衝撃でねじ伏せる。……相当の手垂れの様だった。
『血の匂い』
彼女の傷からか、僕の傷からか。それが不思議な感覚を目覚めさせるきっかけだった。
『拳』
魔王の一撃を喰らい、そこで一旦記憶が切れる。
『手紙』
“そうだ…そうだよな。どうすればいいかなんて、考えたって仕方のないこと。
それなら……それなら!
今までどおりにやるだけだ”
そう、それが答え。何て事は無い。剣を振るう為にそれ以上の理由は要らない。
『重なる、声』
氷の剣士から感じた違和感はこれだった。あの森の中、同じ様に少女を攫った魔王も虎牙破斬を同時に叫んでいたからだ。
『流れる汗』
どれだけ走っただろうか。兎に角僕は、必死だった。真夜中の森だ。体に幾つ枝による傷が出来たかすら分からない。
ただ……彼女を失う事だけを危惧した。彼女を助けるべく僕は剣を向けようと決意していたからだ。
彼女が居なくなれば……僕は。
故に足を動かす。“彼女を助けるまでは、僕の戦いは終わらないから”。
『一筋の涙』
“クレスさん…っ!”
勿論、最悪の想定もしていた。
『囚われた、彼女』
だから監禁され頬を濡らす彼女を見た時、不謹慎ながらも安堵する。
……この魔王から少女を、彼女を救出す事で僕の戦いを終わらせる事が出来ると認識出来たから。
『城』
彼女がもし“居なかった”ならば、僕はこのゲームの中で何をしていただろうか。……成程、或いはそれが“僕”なのか。
『僕を呼ぶ声』
“こんな時、仲間が…ミントがいてくれたら”
あれ? 彼女はコレットで、いや違う。ミントが金髪で補助魔法が使える少女だ。いや、でもこの少女はコレットだろう?
『天から』
僕は補助魔法を頼んだつもりだった。彼女に攻撃の矛先を向けられるのは何があっても勘弁だったからだ。
それに……認めたくは無いが、この男は強いから。
頭の片隅で、非力な自分にうんざりしたのを覚えている。矢張り僕には……力が必要だった。
『降り注ぐ、光』
“これが補助魔法だと言うのか?”
僕は恐る恐る彼女を見る。 ……一番驚いていたのは彼女だった。
『間違い?』
彼女が舌を出して苦笑いしている。
だがしかし結果的にこのダメージが無ければ魔王は倒れる事は無かっただろう。僕はこのミスに大いに感謝すべきだ。
『潰された、鼠』
“これで、勝っ―――”
一瞬の安堵が油断を招いた。確実に死に追いやる一撃だったが、死を確かめなかった自分に非がある。
浮遊感。同時に頭の片隅からじわりと浸食する黒い意思を感じた。
彼が潰した鼠を思い出した。否定した彼女と違い黙認した僕は、既にあちら側―――いや、“こちら側”の人間だったのだろうか。
『高揚感』
不意にそれを覚える。危機に瀕する人間には有り得ない、奇妙な感覚だった。
『聖なる柱』
体が地面へ打ち付けられる感覚。つい先程までの記憶が高速で脳内を駆け巡り、黒で埋め尽くされて行く奇妙な感覚。
これが走馬燈と言うものだろうか?
『手枷』
拘束されて声にならない声を叫ぶ少女が視界の端に映る。
死の淵に於いて駆け巡る記憶に、少女と“彼女”が重なって、原型が、どちらが彼女かすら分からなくなった。
混ざり合いドロドロの液体に変化したそれすらも黒で埋め尽くされ、虚無へと帰す。
ここでようやく僕は気付く―――これは走馬燈じゃない。
『顔面を潰される感覚』
馬乗りをされ、自分の中から不気味な音が響いた。
音がする毎に自らの中のコールタールの様になった何かが黒く、一気に浸食される。
『まるで』
“僕だった”証拠が消されて、
『僕が僕でなくなるような、感覚』
そうして僕は徐々に“僕”を失って行く。
『溶けてゆく、意識』
全ては黒に混ざり、消えて行く。……そうか、これが死か。
『中身が空っぽになる、感覚』
ただ成す術も無く埋め尽くされる黒に身を任す内に、それは“埋め”では無く“消滅”だと気付く。
それもそうか。全てが無に帰す、それこそが“僕の死”だ。
“……………………ません”
『満身創痍』
もう、このまま死んだ方が悩まなくて済むのでは無いのか。
何故、生に執着すると言うのか? 僕に何の後悔があると言うのか?
“…………負けてません”
『それでも』
“………クレスさんは、まだ負けてませんッ!!”
その声にふわり、と黒い思考の奥底に波紋が広がる。
“僕を、僕が、待っている人がいる”
彼女なのか、少女なのか。混ざり合って声の主がどちらなのか、それすら分からない記憶の中で、存在意義が白い波紋を広げ騒がしく咆哮を上げ出す。
“僕が負けてないならば、どうすると言うのか?”
『体を動かす、何か』
“魔王から姫様を救う”―――それが僕の存在理由であり意義であり、意味だ。
剣を振るう理由は何だった? よぉく思い出せ。
“僕は騎士だ。故に姫様を助けるまでは死ねない”
―――それを彼女が、少女が望み、僕をまだ敗者として見ていないと言う事は? 信じていると言う意味は?
『イド?』
“僕は、まだ、敗者にはなれない”
『本能?』
―――五月蠅いな。どちらでもいいだろ? もう殆ど空っぽなんだから。
そもそも何だろうと僕は変らない。
『自分でも分からなかったんだ』
ぞわっ、と全身の身の毛が弥立つ。奇妙な爽快感と高揚感。脳内思考がこの地下部屋全体に広がった様な不思議な感覚と堪え難い快感。
全身が火照り猛る焔の様な闘争心が湧くと、比例して思考が絶対零度の氷の様に冷却される。
そう、これは言わば―――“覚醒”。そう冠するに相応しいだろう。
そして気が付けば僕は立っていた。
魔王は……あそこか。分かる。
『斬る』
奴を、そして目の前に膨らむ、
『光を斬るんだ』
倒す。魔王を……倒す。
『そして』
僕自信が僕の手で彼女を救うんだ。
『盲目な、僕』
だけれども全てが手に取る様に分かる。今の自分には眼球なんてものは、無駄な情報が入り煩わしい球体なだけだ。
そう、僕の思考はこの部屋全体に広がっているんだ。ここで僕に勝とうなんて、万に、いや兆に一つだって有り得はしない。
『天使の声』
繰り返される先程の声。
“………クレスさんは、まだ負けてませんッ!!”
僕は、負けられない。
『体が自然と動く』
お前はここで死ぬ。それは決定事項であり、決して覆せぬ。お前がここの部屋を選んだ時点で、お前の死は決定している。
『清冽とすら言える』
それは決して抗えぬ袋小路の様なもの。……さぁ、後悔の時間も与えぬぞ。
“自分の運命を呪え、愚かな魔王よ”
『研ぎ澄まされた』
全身の神経系に命令をする。……研ぎ澄ませ。
『六感』
お前達が僕を動かしているんじゃない。今から僕がお前達を動かす立場だ。
『鼓動が聞こえる』
聞こえる。自分のものも、彼女のものも、奴のものも。
『ロイヤリティー』
僕こそが忠義の騎士だ。
『無音の世界』
その瞬間、鼓動の音が止む。自分のものですら。
『これが』
瞼の裏に映る漆黒が反転し、純白になる。
『無我の境地?』
全てが静止した様に感じるが、己だけが動ける事を悟る。
『僕は誰』
何者かなんてどうでもいい。
『何が、僕を動かすんだ?』
それも最早どうでもいい。
『無限の闘争心』
ただ、今在るのはそれだけだった。それ以外は何も無い。
ダマスクス鉱の血を欲する禍々しい光沢が手に取る様に分かる。その剣を構える。精神を集中させると、それを覆う様に時空の蒼が纏われた。
『彼のヘビィボンバー』
“それは、クレスの肉体さえ消失させる、超高電の塊”
その程度の、何が恐怖に値しようと言うのか。
『時空剣技』
“光弾が、縦に裂けた”
『時空蒼破斬』
光に限りなく近い光速の剣閃――次元さえ断ち切る蒼――が、球体を割く。
螺旋に練り上げられた闘気は、一閃により増幅して一気に放射される。
蒼の焔は魔王の全身を包み、全てを飲み込む波の如く襲い掛かった。
『護れる様に強くなるから、君は休んでて』
そこで記憶は途切れる。
純白の世界が一気に再び暗転する。
『本心を韜晦してるのは』
そして僕は微睡みの深淵に落ちて行く。
『僕だ』
“だから僕の戦いは終われない”
『何人倒せば力が手に入る』
何も救えない弱くてどうしようも無い僕に、力を。
『救いたい』
……何もって、何だっけ?
『救いたいんだ』
……分からない。僕が救いたいのは何?
何の為に力を得る?
『僕が救わなきゃ』
だから、何の為に?
『救う為に』
誰を?
『コレットを救う』
コレットって、誰?
『僕がそれを忘れてるのは』
……そうさ、僕には分からない。全ては黒く染まったから。
あるのは白い波紋だけ。
“力を得る為に負けられない”
『何かに惑溺してるからだ』
黒で埋め尽くされた記憶を漁ろうとも、見えなければ意味は無い。
だったら僕は波紋に従うだけだ。
『何に?』
“僕はまだ負けて無い”。負けられない。だから只ひたすらに勝ち続けよう。
僕の中身はそれが全てなのだから。
『力を求める事に』
それだけだ。
『行き着く先は何処』
何処でもいい。何時かそれを手に入れられるならば、例え茨の道であろうと。
『使命感』
それが僕に出来る事。
『勝ち続けなきゃ』
だってそうだろう? 僕に残っているのはそれだけなんだから。
『彼女を助けられない』
彼女? 誰の事だ。“僕”はそんな人は知らない。
『何時まで』
え?
『魔王を倒し』
待ってくれ。僕には何の事かさっぱりだ。勝手に話を進めないでくれよ。
魔王? 誰の事だよ?
“今ようやく思い出した”
『姫様を救うまで負けられないさ』
少女を、
『今、助けるから』
彼女の、
『悲痛な声を聞いた時』
少女を、
『僕は決心した』
彼女を、
『その為には』
魔王を倒して、
『力が必要なんだ』
“僕を待っている人を”
『何者にも束縛されない』
“僕が待っている人を”
『力』
救う為に、
『純粋な』
“僕を待っている人を”
『強さ』
“僕が待っている人を”
『何も出来ないのは嫌なんだ』
“僕を待っている人を”
『失うのは嫌なんだ』
“僕が待っている人を”
『負けるのは嫌なんだ』
“僕を待っている人を”
『救えないのは嫌なんだ』
“僕が待っている人を”
『弱い自分が嫌なんだ』
“僕を待っている人を”
『“そこから僕の時計は止まっている”』
“僕が待っている人を”
『chikara』
“僕を待っている人を”
『チカラ』
“僕が待っている人を”
『ability』
“僕を待っている人を”
『ちから』
“僕が待っている人を”
『power』
“僕を待っている人を”
『力』
“僕が待っている人を”
『strength』
“僕を待っている人を”
『force』
“僕が待っている人を”
『もっと』
“僕を待っている人を”
『more』
“僕が待っている人を”
『力を』
“僕を待っている人を”
『strong』
“僕が待っている人を”!
『強く』
“僕を待っている人を”!!
『strongly』
“僕が待っている人を”!!!
『必要なのは、魔王を倒せる、力だけ』
“僕を待っている人を”!!!!
『そう』
“僕が待っている人を”!!!!!
あ『全ては』あ『彼女を』ぁ『助ける為に』ぁ『救う為に』あ『敵を倒し続ける事』あ『力を手に入れる事』ぁ『それが』あ『それこそが』ぁ『僕の』ッ『ライアビリティーだ』!
――そう。これこそが僕の真実――
(まだ、倒れてはいけない)
「遊びはここまでだ」
そう呟くと、杖代わりにしていたガイアグリーヴァを地面に突き刺し、エターナルソードを両手持ちへと切り替えた。
(力が必要だから)
「とっておきの秘刀を――“零距離”を、見せてやる」
あらゆる場所から血を流しながら、顔面に黒い嗤いを貼り付けたまま、静かに彼は足を踏み出す。
蒼を極限まで煮詰めた黒い炎を紫に纏わせ、重く湿った空気と舞う塵そのものを焼き払う。
(目的を、果たす為に)
「僕はもう、絶対に」
後には灰燼すら残らず。
即ち、薙払った“空間”そのものの消滅。
彼は遂にその封印を解く。
零の秘刀、零次元斬を。
(彼女を救うまでは)
「負けられないんだから」
――彼女って、“どっちだよ”?――
「えと……つまりがどういう事か?」
目の前の少女は、クィッキーに鼻から下を埋めながら難しい顔をしている。
メルディの事だ、どうせ言っても理解出来ないだろうとは思っていたが、一応理解し易く噛み砕いた説明をしてやる事にする。
「つまり、コレットは囮さ。ロイドの敵と化したコレットを乱入させた結果、見ての通りの大混乱。
この混乱がミトスの目的なんだよ」
どうしてか? と少女から質問が入る。
キールは髪を掻き上げると、小さな肺に空気を吸い込み説明に入った。
「そうだな。理由は簡単さ。“ミトスが何かをしなければならないから”だ。
メルディ、お前は言ったな? “クィッキーに攻撃が集中してしまう”と。
正にそうなんだ。こうしてコレットを乱入させる事により彼等はコレットとコレットが生み出す事象に囚われてしまう。
すると盤外のミトスが動き易くなる訳だな。この方法はサウザンドブレイバーと趣向が同じだ。
さしずめデミテル役がミトス、クレス役がコレット、僕がジェイ。ロイド達はそのままロイド達といった処だな。実に下らない。
……つまりだ―――そのうちこの村には、何かが起きると云う事さ」
キールは口を休めて腰を上げる。
……とは言え、僕ももう少しで騙されるとこだった。この乱入騒ぎを客観的に見たから推理出来た訳で、実際あの場に居たら策に嵌まっていただろう。
ミトスが戦いに巻き込まれてはいなかったからまあ良しとしよう。だが何故僕を無視してこの策を?
……考えられる理由は一つしか無い。
状況を把握し切れない何か予想外の事が起きたのだろう。となると此所には居ないティトレイとカイル―――いや、カイルは時間的に有り得ない。ティトレイが鍵か。
キールは眉間を指で摘みながら軽く唸った。
ミトスめ、余程自分の優位を崩したく無いと見える。今回の策は危険性が高く悪手だ。
何をするつもりかは分からないが、その何かをするのに大きな隙と時間がいるからこうしてコレットを送り込んだのだろう。
……隙を突かれる危険性を危惧していないのか、あの傲慢ちきな天使様は。
あちらとしてはそれも承知だろうが、こちらとしてはミトスに危険が及ぶ策なんて御免だね。
……クレスの雲行きも怪しくなってきている。ロイドも冷静さを欠いていていつやられてもおかしく無い。ミトスも少し間違えば十分危険だ。
「畜生……時空剣士って奴はどいつもこいつも勝手にやってくれる」
溜息を一つ吐き、もう知った事かと言わんばかりに口を自嘲気味に歪ませる。
……確かに不都合な盤面なら、ぐちゃぐちゃにしてやれば再び有利に出来ない事も無い。
だがミトス。その盤面を盗み見ている僕を忘れるなんて、まだまだだな。
いいさ、お前がそれだけ必死になり、コレットすら送り込んだのならそれなりに目立つ筈だ。僕は舞台裏でお前を探して接触する。
ふん、と鼻で笑い小さく呟く。
「僕を欺くには少しトリックがチープ過ぎだね。工夫が足りないよ、天使様」
邪悪な笑みを浮かべ、懐のハロルドが遺したメモを取り出す。……今は時間が惜しい。情報は知りたいが炙り出すのはまた後だ。
キールは溜息を一つ漏らし、小さく折り畳んだメモを再び懐に忍ばせた。
いいだろう。ここまで来たら後戻りはもう出来ないさ。
やってやるよ、ミトス。
「……行くぞメルディ。ようやく盤面が明らかになった。
チェックメイトは、すぐそこだ」
【ヴェイグ=リュングベル 生存確認】
状態:HP25% TP15% 他人の死への拒絶 リオンのサック所持
両腕内出血 背中3箇所裂傷 胸に裂傷 打撲
軽微疲労 左眼失明(眼球破裂、眼窩を布で覆ってます) 胸甲無し
所持品:チンクエディア 忍刀桔梗 ミトスの手紙 ガーネット
45ACP弾7発マガジン×3 漆黒の翼のバッジ ナイトメアブーツ ホーリィリング
基本行動方針:今まで犯した罪を償う(特にカイルへ)
第一行動方針:ロイドの鎮圧
第二行動方針:コレットの撃破?
第三行動方針:ティトレイと再接触した場合、聖獣の力でティトレイを正気に戻せるか試みる
現在位置:C3村西地区・ファラの家焼け跡前
【ロイド=アーヴィング 生存確認】
状態:天使化 HP25%(実感無し) TP30%(TP0で終了) 右手甲損傷 心臓喪失(包帯で隠している) 砕けた理想
背中大裂傷 顔面打撲 右頬に傷 太股と胸部に傷
所持品:ウッドブレード エターナルリング
忍刀・紫電 イクストリーム ジェットブーツ
漆黒の翼のバッジ フェアリィリング
基本行動方針:最後まで貫く
第一行動方針:コレットを守る=ヴェイグを止める?
第二行動方針:エターナルソードの為にクレスを倒すand(or)コレットの為にミトスを倒す?
現在位置:C3村西地区・ファラの家焼け跡前
【クレス=アルベイン 生存確認】
状態:HP40% TP50% 善意及び判断能力の喪失 薬物中毒(禁断症状発症は18時頃?)
戦闘狂 殺人狂 殺意が禁断症状を上回っている 放送を聞いていない
背中大裂傷 胸装甲無し 全身に裂傷 発狂寸前 背中に複数穴
所持品:エターナルソード クレスの荷物
基本行動方針:???
第一行動方針:目の前の3人を殺す?
第二行動方針:ティトレイはまだ殺さない?
現在位置:C3村西地区・ファラの家焼け跡前
※今のクレスにはコレットとミントの区別が付きません
【アトワイト=エックス@コレット 生存確認】
状態:HP90% TP20% コレットの精神への介入 ミトスへの隷属衝動 思考放棄?
所持品(サック未所持):苦無×1 ピヨチェック エクスフィア強化S・A
基本行動方針:積極的にミトスに従う
第一行動方針:ジャッジメントの合図を待ち、その後鐘楼まで撤退、以後ミントと実りの守備
第三行動方針:コレットの魂を消化し、自らの力とする
第四行動方針:ミトスが死亡した場合、命令を遂行する?
現在位置:C3村西地区・ファラの家焼け跡前
【コレット=ブルーネル 生存確認?】
状態:魂をアトワイトにほぼ占領されつつある 無機生命体化 外界との拒絶
所持品:アトワイト・エックス@コレット・ブルーネルと同じ
基本行動方針:待つ
現在位置:アトワイト・エックス@コレット・ブルーネルと同じ
【メルディ 生存確認】
状態:TP50% 色褪せた生への失望(TP最大値が半減。上級術で廃人化?)
神の罪の意識 キールにサインを教わった 何かが見えている?
所持品:スカウトオーブ・少ない トレカ カードキー ウグイスブエ BCロッド C・ケイジ@C(風・光・元・地・時)
ダーツセット クナイ×3
双眼鏡 クィッキー(バッジ装備中) E漆黒の翼のバッジ
基本行動方針:もう少しだけ歩く
第一行動方針:もうどうでもいいので言われるままに
第二行動方針:キールと共に歩く
第三行動方針:ロイドの結果を見届ける
現在位置:C3村西地区・路地裏→???
【キール・ツァイベル 生存確認】
状態:TP55% 「鬼」になる覚悟 裏インディグネイション発動可能 ミトスが来なかった事への動揺
ロイドの損害に対する憤慨 メルディにサインを教授済み 先行きに対する不安
所持品:ベレット セイファートキー キールのレポート ジェイのメモ ダオスの遺書 首輪×3
ハロルドメモ1 2(1は炙り出し済) C・ケイジ@I(水・雷・闇・氷・火) 魔杖ケイオスハート マジカルポーチ
ハロルドのサック(分解中のレーダーあり)
実験サンプル(燃える草微量以外詳細不明) ミラクルグミ
ハロルドの首輪 スティレット 金のフライパン ウィングパック(メガグランチャーとUZISMG入り)
基本行動方針:脱出法を探し出す。またマーダー排除のためならばどんな卑劣な手段も辞さない
第一行動方針:取り敢えずこの戦場を離れミトスに接触する
第二行動方針:首輪の情報を更に解析し、解除を試みる
第三行動方針:暇を見てキールのレポートを増補改訂する
現在位置:C3村西地区・路地裏→???
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 19:27:55 ID:wPInkDAsO
あ
新スレ立ったし頃合見て埋めていかないとな。
453 :
埋め:2008/03/09(日) 09:40:58 ID:F0/0VsGN0
こつこつと階段を下りる音が聞こえてくる。
「……ここだと、思ったんだがな……」
青年はそう呟き、首をみしみしと動かし辺りを見渡す。
窓のない薄暗い部屋の中、何からが特に黒い形や陰影を持って存在を主張している。
それらは例えば背を丸めた老人の姿でもあり、まだ幼いのに表情が消えた子供の姿でもあり、
まるで見知らぬ侵入者をじっと鋭く艶かしく見ているようだった。
世界から見捨てられ、切り離された哀れな影の果て。あえて命名するならこんな感じだ。
しかし、彼は1度ぎょっとしただけで、その後は平然と部屋の中に踏み込んでいっていた。
テーブルにイス、棚といったものが目が慣れてきて見え始めた。
その内彼は部屋を散策していて、床に打ち捨てられた人形の影を見つけた。
闇の中で目を引く白さ。それは身に纏う法衣と血の気が引いた陶器のような肌だった。
腰まである金のロングヘアーも精彩を欠いている。何よりもあらゆる箇所の傷跡が痛々しかった。
女なのに傷物にされて、と思う。
彼は転がったまま動こうとしないその人に近付き、しゃがみ込んでぺちぺちと頬を叩いた。
反応はなく、次は医者が行うように瞼を上げて瞳を覗いた。
水気はあるのにどこか乾いたような、枯れた目が彼を捉えた。思わず舌打ち。
「ひでえことする奴もいたモンだな。誰だか見当が付く辺りが特に」
淡々と述べ彼は立ち上がり、部屋の探索を再開した。
ここは恐らくミトスの拠点なのだろう。床の僅かに黒い部分、独特の臭いを発する染みは、未だ乾いていなかった。
つまりつい最近まで使われていたということ。サックも2人分置かれている。
手ぶらで行くということは大した物も入っていないか、後で戻ってくるということか。
彼はそう考え、さして困ってもなさそうな顔をして頭を掻いた。
弱った。来てみたはいいが、声の主はいない。この女の人かと思ったが、その割には反応が薄い。
何よりあの焦点の定まらない目。見えていないようにも思えるし、見たくないとも思える。
「やっぱ、気のせいだったのかな」
嘲りを込めて呟き、彼は笑った。
自分1人にしか聞こえていなかったということは、それこそ勘違いという可能性も秘めているのだ。
そもそも、か弱い鈴の音が聞こえるということ自体馬鹿げている。
鐘の音ならばこの村には鐘があるから考えられるし、鎮魂の鐘といった、そんな洒落たことも考えられたのに。
鈴なんていう有り得ないものだからこそ、却って気になってしまう。
だが、結局は無意味だったのだ。
「仕方ねぇか。おとなしく退散して……」
そう言いかけて、彼は倒れている女の方へと向いた。
ここにミトスがいたというのなら、あの正午前の悲鳴は目の前の女によるものだったのか。
調整されていない楽器のように、外れに外れた音響。そして連呼されたクレスの名。
彼は再び近付き、傍に座り込む。
床が軋む音に気付いたのか、僅かに首を動かし音源の方へと女は向いた。
綺麗な碧眼に光が宿っていないのは単にこの部屋が暗いからではないだろう。
まるで瞳の中に映される闇を内包しているようだ。映し出される絶望感に、彼は得も言われぬシンパシーを抱いた。
454 :
埋め:2008/03/09(日) 09:58:26 ID:F0/0VsGN0
「多分、あんたはクレスの知り合いなんだよな。目が見えないのは喜ぶべきだよ。きっと、現実は酷過ぎる」
ぴくりと女の身体が動いたように見えた。
だが彼は得心行ったようなしたり顔もせず、無表情のまま女を見つめていた。
「クレスのことは昨日から見てきたけどさ。あんたの知ってるクレスと今のクレスは違うんだろうなって、何となく分かってる」
彼の脳裏に再び海岸での記憶が蘇る。あのクレスが何かに苦悩する姿。
ふと女の顔に付いた両目に視線をやると、涙が零れていた。
素直に彼は驚いた。これだけ生気の失せた姿になっても、誰かを想ってまだ泣けるということに。
「……そうやって泣けるんだな。羨ましいぜ」
言葉に少しだけ付いた色が自分でも憎たらしかった。
早急にその場を離れようとすると、足に何かが触れる感触がした。ろくに握る力もない、女の手だった。
いくら脛とはいえ、人の肉ではない硬さに気付いたのだろうか。
はっとした、驚愕というよりは悲哀を帯びた顔付きを顔面に張っていた。
元からこんなんだよ、と言えばよかっただろうか。
伏せたままの女を見下ろす彼は代わりに嘘の笑顔を浮かべた――――尤も、見えていないだろうが。
彼は座り込み、足を掴む女の手を握り、解こうとした。相手は何も言わず、強く彼の手を握り返した。
線の細い白い手を、その中にあるだろう骨をへし折りたくなる衝動に駆られる。
彼はどことなく分かっていた。
この女が手を掴んだのは、恋人を引き止めるような陣腐なものではないが、待って、という思いからだ。
『……レイ』
突然の女の声、静かだが可憐な声に彼は身体をびくつかせた。
『……レイ、ティトレイ……』
確かに聞いた。あの声だ。目の前の女が出したのかと思って見てみたが、口はまっすぐ直線に閉ざされている。
彼は弾かれたように首を動かし、周囲を見渡し主を探す。
目の前の女は少し不思議そうに彼を見ている。沈黙の中では衣ずれの音や髪が擦れる僅かな音さえ聞こえるのか、彼の異変を感じ取っているようだ。
だが、彼はそれを気にも留めない。
「誰だよ。どこにいんだよ!」
『ここです……ティトレイ』
声を頼りに彼、ティトレイ・クロウはその方向へと顔を動かす。
そこにあったのは配給された袋。ミトスが置いていったサックだった。
中に人が入るのかなどという疑問よりも先に、彼は緩まりつつあった女の手を解き、サックの封を開けた。
彼は分かっていたのかもしれない。迷うことなく、彼は“それ”を取り出した。
両手で包められる程しかないサイズの実、いや種だろうか。それに取り付けられた宝石が一瞬光を放つ。
暗い部屋では目を眩ませるには充分過ぎる光で、彼は思わず目を細めた。
目を元の大きさに戻す頃には、目の前に人影が浮かんでいた。
感情の有無などに関わらず、彼は反射的に身体を跳ね上がらせ種子を落としそうになった。
『やっと届きましたね。来てくれてありがとう、ティトレイ』
新緑の葉のような、鮮やかな緑のロングヘアー。全身を包むローブ。
そして慈愛の微笑みを浮かべた女性が、そこに存在していた。
“居る”ではない。確かに“存在する”なのだ。
それほど目前の女性は、近くで倒れていて目を背けたくなる傷塗れの女と違い、何か超越した存在なのだ。
そう思うのも、彼は目の前の相手を一目見たことがあり、尚且つあまりに想定外の人物だったからである。
健やかな笑みを浮かべている姿が理解し難い。
何故なら、この女性は“死んだ”筈だ。
「何で、あんたがここに」
そして、彼女が――――マーテル・ユグドラシルが殺されるところを、彼は見ていた筈なのだから。
455 :
埋め:2008/03/09(日) 09:59:56 ID:F0/0VsGN0
呆然としたような間の抜けたような、空っぽな声だった。
女も僅かに顔を向かせ、何かがいると感じているのか、マーテルの方を見ている。
それでも2人の反応とは正反対に、彼女は笑みを絶やさない。本当に嬉しそうな、安堵したような表情だった。
『私の意識は、死の間際に輝石へと取り込まれ、こうして精神体として生きていたのです。
今のこの姿も、実体を持たない幻のようなものでしかありません』
彼は手の中の種子に目を移し、改めて取り付けられた石を見る。
しげしげと見つめた後、触ってみたりつついてみたりして、彼女に何の影響もないことを確認しテーブルの上へと置いた。
依然、マーテルの微笑に変化はない。
『ですが……私はマーテルであり、マーテルではないのかもしれません』
え、と言わんばかりの顔でマーテルを見つめるティトレイ。
『私の、マーテルという存在は変容しつつあります。
エターナルソード、ひいてはオリジンが本来有らざる事態に対応し契約を凍結させたように、
複数の時代の人物が同時に存在することで、時空間の矛盾が複合によって解消されようとしているのです。
世界というのは脆いものです。大きな矛盾を内包すれば、時空自体が破壊されかね……』
静かに語るマーテルだが、時空などという小難しい概念に縁のない彼は、頭に手をやり唸っていた。
そんな彼に微苦笑を浮かべる彼女。
『マーテル・ユグドラシルという人物は、ある時代ではミトスの手によって永い間大いなる実りの中で眠っていたこともあり、
精霊マーテルの側面の1つでもあるのです。
そしてそこの彼女、ミントの時代でも、マーテルはマナを生み出す樹の精霊として存在している』
「……やっぱりイマイチ分かんねえんですけど」
『マーテルはミトスの姉でもあり、遥か未来まで続く樹の精霊でもある。
私は、精霊としてのマーテルに変わりつつある、ということですよ』
やはり分かっているような分かっていないような、そんな面持ちの彼だが、不意にぽむと手を打った。
「確かに。生きてた時と声が違うよな」
『そうですね。それも変化の1つです』
話し方や大人びた印象は同じなのだが、昨日のシースリ村で聞いたマーテルの声と、今のマーテルの声は違っていた。
生前の方が少しだけ声が低く、平坦な調子だったような気もする。
死ぬだけで声って変わるものなのか、と思ったが、案の定「まあいいや」と竹を割ったように放り出してしまった。
要するに彼にとっての結論は「石に宿って生き延び、精霊になりつつある」というだけのことである。
机の上に浮かぶ彼女を見上げるようにして彼は見ていた。結果的に見下ろされている形になるが不快感はまるでなかった。
感じることが出来ないのではなく、元々彼女にそういったものが滲み出ていないのだ。
むしろ神々しい、荘厳な雰囲気にティトレイは無意識の内に息を呑んでいた。
だが逆に違和感も覚えた。そんな人物が何故自分を選んだのか。ましてや面識などこれっぽっちもないのだ。
456 :
埋め:2008/03/09(日) 10:00:12 ID:F0/0VsGN0
「で、どうして俺なんだよ?」
思わず聞くと、マーテルの瞼が伏せられた。
『受け取る側の素質があったのが、あなただけだったということです』
長く、柔らかい睫毛がしおらしく動く。
『私は樹の精霊。そして、あなたは樹の力の持ち主。何よりも……あなたの身体自体が、力に蝕まれつつありますね』
一転して表情が険しくなる。
「……優しい顔して痛いトコ突いてくるんだな」
視線を逸らし、そう言った彼は1度短く嗤う。顔を元の向きに戻すと、にへらとした緩んだ表情が浮かんでいた。
「じゃ、俺を呼んだ理由は? あるんだろ、理由?」
明るい調子で尋ねる彼をマーテルは1度だけ寂しげに見つめたが、すぐにふっと元の微笑、慈悲のある笑みに戻した。
視線を黙ったままミントの方へ向けられるのを見て、彼も視線をミントへと移す。
当人は当然気付く筈もなく、光のない目で中空を見つめていた。
『彼女がクレスという男性を想っていることは知っていますか』
「ああ。あんたを殺したあのクレスをだ」
そうですね、とマーテルは言う。
『彼女を、クレスの下へ連れて行って欲しいのです』
彼はマーテルとミントを交互に見て肩を竦めた。
「正気かよ? 何されるか」
堪ったもんじゃ、と続けようとした彼の言葉を、マーテルは首を振って制する。
憂いを秘めた彼女の瞳はミントへと向けられ続け、幻影でしかない手が胸元へと重ねられる。
『それでも、彼女はクレスのことを想い続けています。舌のない口でも彼の名を紡ごうとしていた程に』
唸りを発し、手を口元に当てる。場を少しの沈黙が支配する。
彼はふと感じた違和感を1つずつ解体していった。
「……舌のない? でも、名前呼んで……」
『あれは、私が呼んだのです』
再び沈黙。困惑げな表情を微かに出す彼と、はっとした顔のミントに、マーテルはふふっと笑う。
『混乱して当然です。彼女の想いを感じ取った私は、傍にいた少女の身体を一時的に借りクレスの名を呼んだのですから』
「そんなこと出来んのかよ。声まで同じだったぜ?」
『ええ。コレット達の時代では、同じように別の人の身体に入ったこともあります』
にべもなく言う精霊を前に、彼は腕を組みながら便利なもんだなあと思う。
彼の勤めていた製鉄工場でも幽霊騒ぎはあったが、本当に目の前にいるのは幽霊ではないかと疑いたくなる。
いや、確かに死んだ筈の上に、当人はそれすら超越したとは言っているのだが。
マーテルは常に優しい笑みを浮かべている。引き受けて欲しいからなのか、それとも既に自信のようなものがあるからなのか。
薄闇の中で燐光を発しているかのように彼女の身体は淡い光を発しており、彼女自体が光なのではないかと思った。
そうだとも思う。あの延々と続いた光の糸は彼女、マーテルであり、どこか気になってしまうものはあった。
二元的なもので表せば、間違いなくこの精霊は絶望の権化などではない。それは絶対的だ。
しかし、それならこの胸のしこりは何だ。何故、彼女という存在を素直に受け入れられないのだろう。
何もないのに胸を打つ早鐘が収まらない。
「クレスは覚えちゃいねえよ。実際そう言ってたし」
ティトレイは重い息をついて言った。傷付けるつもりなど毛頭なかったが、びくりとミントの身体が跳ねて微かに音を立てた。
暗い部屋は風通りがなく、どこか息苦しく、わだかまっていて、
部屋がぐちゃぐちゃに丸められた粘土のようで、暴れ出したくなるような閉塞感と粘性があった。
『それでも構わないのです。彼女はクレスと会うことをひたすらに望んでいます』
「あいつに殺されたなら分かってんだろ? あれと同じようなこと、いや、もっとそれ以上のことをされてもいいのかよ?
この人は会うことを望んでいるだけで、殺されるのを望んでる訳じゃない」
『彼女に、クレスを元に戻せる可能性があるとしたら……』
ぴくり、と彼の髪が動いた。良くも悪くも露骨な反応だった。
そうして彼はしばらく黙り込み、視線をミントへとやった。
「……悪いけどパス。この人の安否とかより、今クレスに戻られちゃ困る」
『何故?』
問い掛けるマーテルの顔には既に悲しみが浮かんでいる。
「殺して欲しい奴がいる」
無表情のまま、簡潔に淡々と語る彼の視線は逸れ、何もない空に投げ出されていた。
頬に張った脈が蠢き、彼の目へと向かっていった。
「呼吸と一緒だよ。あいつにとって人を殺すってのは。
空気が必要で、意味もなく鼻や口から息を吐くみたいに人を殺して、それで時々何かを確かめるように殺す。深呼吸みたいに」
ティトレイは明朗な笑みを浮かべる。
「俺はそんな、ただの呼吸に期待してるんだ。つまんねえエゴだよ」
だが、そうとしか見えないそれを構成する要素は紛れもなく自嘲だった。マーテルもそれを見抜いていた。
『自分の都合で利用することにあなたは何かしらの思いを抱いている。違いますか?』
「さあ。よく分かんねえや」
『何故、そうやってはぐらかすのですか?』
動じず、ティトレイは視線だけをマーテルに向ける。沈黙を守ってはいるが細められた目は鋭い。
『ミトスが海岸であなたと話していた時、私も聞かせてもらいました。
あなたは、1番大切なものを失った。それでいて、あなたは何かに悩んでいるようにも見えます。
知りたいのではありませんか? “気持ち”というものを』
彼女の言葉に一瞬怯むが、何とか顔面に出す前で留まった。
「何も悩んでることなんか」
『そうやって、あなたは自分と向き合うのを恐れてきた』
強く、はっきりとした口調に尚更彼は目を鋭くした。
「あんたは俺に何を求めてるんだ」
『しっかりと向き合って欲しいのです。
あなたのその身体は、自らから生じる迷いの証。このままではあなたの身体は完全に木と化してしまう』
「つまり、この女の人を助けるのにこんなままじゃ困る、ってことか?」
ぶっきらぼうに吐き捨て、彼は無色の瞳でミントを見た。
微かに顎を上に向けてはいるが未だ倒れたままで、その場から全く動いていない。
このままでは自分で動くことすら叶わないだろう。鐘楼台に放置されたまま死ぬことだって有り得る。
動けない、ただ呼吸をしているだけの人間。
ただ生きているだけの人間に、一体マーテルは何の価値を見出しているのか。
どんなにミントのことを助けようとしても、喋れず、動けず、目も見えない――――絶望しかないのに。
彼は滞りなく自分のサックから巨大な斧を取り出した。無闇に大柄で、彼の体躯に合った武器ではない。
相当に重いのか、両刃を下に向け床に当てている。そのすぐ傍にミントがいる。
「例えば、あんたはこの人を助けたい訳だから……俺が今ここで殺したら、何もかも振り出しに戻るよな?」
普段は武器を用いないティトレイが両手で斧を握る姿は異様でもあったが、この慣れない武器で
必死に人を殺そうとする稚出さが妙に彼に似合っていた。
ミントは声の方を向いている。その表情もまた驚きよりも慈悲に近い悲哀に満ち、マーテルによく似ていた。
2人の聖母の間に立つ憔悴した男は、それほど孤独な存在なのだった。
『そうして罪を重ね、一体何の為になるのです?』
「増えるモンはない。でも、減る訳でもない」
落ち着いた声とは逆に胸を打つ鼓動は更に早くなる。気付けば下唇を噛んでいる。
まるで、衝撃に耐えるかのように。
『いいえ。あなたの心は悲鳴を上げるでしょう』
彼に1度震えが走った。頭で理解するより無意識に身体が反射していた。
ぞわぞわと葉脈が広がっていく。それを隠すように彼は顔を俯かせていた。
内側にある空気のようなものが急に生暖かくなり、肌にまとわり付く。
ミントは急に黙りこんだティトレイの方へと顔を向けたままだ。
「……あんたに何が分かるっていうんだよ」
掴んでいた斧が手から離れ、がたりと重厚な音を立てて落ちる。
彼は膝から崩れ落ち、両手で身体を抱え込んだ。顔には苦悶の表情が広がっており、歯を食い縛っている。
「こうなってる原因すら、俺は分かんねえんだぞ……?」
頬の管が身体の軋みと同時に這い、ハイネックに隠された首の表皮が硬くなっていく。
全身緑の服で覆われたティトレイの身体は、とうに頭を残し樹木へと変貌していた。
汗が出ていれば一筋伝いもしたかもしれないが、変わってしまった彼に分泌といった機能は消え失せていた。
マーテルの顔が悲痛に襲われるが、すぐに強い、凛とした表情へと塗り替えられる。
暗い中、光に映える姿はいやでも彼に見せ付けられ、まざまざと網膜に刻まれる。
『答えに至るピースは、全てあなたの中で出ている筈です。
でもそれがあまりにばらばら過ぎて、何よりもあなたが目を向けるのを恐れていて、掴めずにいる。
見えないものを苦しめられる程恐ろしいことはありません……私は、ただその恐怖からあなたを救いたい』
手を組むマーテルは心からそう言った。膝を付けたままの彼は辛辣な面持ちで彼女を見る。
身体を地に付け、苦しむ人間に差し伸べられる女神の手。
彼女が纏う厳かな光は、正に天から下りて来た使いのように思えた。
何故自分はここへ来たのか。苦しみを和らげてくれた鈴の音に、光の糸に、何かを縋り求めていたからではないのか。
無意識の内にではあったのかもしれないが、確かにそんな思いを抱いてはいた。だからこそ足は勝手に動いていた。
自分は、優しい鈴の音に、差し伸べられた手に、救いを見出していたのではないか?
「……救ってどうなるんだよ。俺のことなんか」
一層強くなった全身の痛みを堪えるように、ティトレイは互いの両腕を強く握り、搾り出すような音で言った。
『救える人が目の前にいるのなら、私は救い出したい。それだけです。
あなたが本当にそのままでも構わないのなら、私はそうします。
でも、どうしても私には……あなたは苦しんでいるようにしか見えないのです。今のように』
沈黙する彼。無音の世界が痛々しく、彼は静寂という音が無数の針に思えた。
日が差さず、昼間でも少しひんやりとした空気に心地よさなど全くなかった。
むしろこのまま気温が下がって下がって冬になり、木々は枯れ始め――――自分も枯れるのではとさえ思った。
そう考えてしまう程、胸が詰まった感覚がするのは半植物として光が足りず活力が得られないからだと信じたかった。