【ヴェイグ=リュングベル 生存確認】
状態:HP45% TP30% リオンのサック所持 左腕重度火傷 絶望 深い怒り 極めて冷静
両腕内出血 背中に3箇所裂傷 中度疲労 左眼失明 胸甲無し 半暴走
エクスフィギュアの正体を誤解 キールの惨たらしい死に動揺
所持品:ミトスの手紙 メンタルバングル 45ACP弾7発マガジン×3 ナイトメアブーツ ホーリィリング
エメラルドリング クローナシンボル フィートシンボル
基本行動方針:優勝してミクトランを殺す
第一行動方針:見つからないよう観戦
第二行動方針:漁夫の利を狙う
現在位置:C3村中央広場・民家屋根上
備考:フォルスによる雪は自然には溶けません
【SD】
状態:自分への激しい失望及び憤慨 後悔 ヴェイグの感情に同調 感情希薄? エクスフィギュアの正体を誤解
基本行動方針:優勝してミクトランを殺す
第一行動方針:ヴェイグをサポートする
第二行動方針:シャーリィやミトスの戦力を見て分析する
第三行動方針:アトワイトが気になる
現在位置:C3村中央広場・民家屋根上
【アトワイト=エックス@コレット 生存確認】
状態:HP30% TP20% コレットの精神への介入 ミトスへの羨望と同情 エクスフィア侵食 “コレット”消失
思考を放棄したい 胸部に大裂傷(処置済) エクスフィギュアの正体を誤解
全身打撲 全身に擦り傷や切り傷
所持品:苦無×1
ピヨチェック ホーリィスタッフ エクスフィア強化S・A(エクスフィア侵食中)
基本行動方針:積極的にミトスに従う
第一行動方針:ミトスと合流したい
第二行動方針:エターナルソードを回収する
第三行動方針:可能であればヴェイグを懐柔する
現在位置:C3村内
特記事項:エクスフィア強化S・Aを装備解除した時点でコレット死亡
【シャーリィ・フェンネス@グリッド 生存確認】
状態:エクスフィギュア化 シャーリィの干渉 ???
所持品:マジックミスト 占いの本 ロープ6本 ハロルドレシピ プリムラ・ユアンのサック
ネルフェス・エクスフィア リーダー用漆黒の翼バッジ メルディの漆黒の翼バッジ
ダブルセイバー エターナルソード 魔杖ケイオスハート ソーサラーリング ベレット セイファートキー ジェイのメモ ダオスの遺書 首輪×3
凍らせたロイドの左腕 邪剣ファフニール C・ケイジ@I(水・雷・闇・氷・火) マジカルポーチ 分解中のレーダー
実験サンプル(燃える草微量以外詳細不明) ハロルドメモ1・2 フェアリィリング
ハロルドの首輪 スティレット 金のフライパン ウィングパック(メガグランチャーとUZISMG入り)
基本行動方針(グリッド):???
基本行動方針(シャーリィ):全員殺してお兄ちゃんと会う
第一行動方針(シャーリィ):ミトスを殺す
第二行動方針(シャーリィ):生存者を見つければ殺す
第三行動方針(シャーリィ):グリッドを完全に乗っ取る
現在位置:C3村中央広場・雪原
備考:持ち物は全て体内に取り込んでいます
グリッドの意識は現在ほぼありませんが、
ショック等あればアリシアやアンナの時のように正気を取り戻すかもしれません
正気に戻った場合支配権はグリッドに移ります
【ミトス=ユグドラシル@ユグドラシル 生存確認】
状態:TP90% 良く分からない鬱屈 高揚
所持品:ミスティシンボル 大いなる実り ダオスのマント キールのレポート
基本行動方針:マーテルを蘇生させる
第一行動方針:シャーリィを殺害して魔剣を奪う
第二行動方針:状況の再整理
第三行動方針:蘇生失敗の時は皆殺しにシフト(但しミクトランの優勝賞品はあてにしない)
現在位置:C3村中央広場・雪原
【シャーリィ・フェンネス@グリッド 生存確認】
状態:エクスフィギュア化 シャーリィの干渉 ???
所持品:マジックミスト 占いの本 ロープ6本 ハロルドレシピ プリムラ・ユアンのサック
ネルフェス・エクスフィア リーダー用漆黒の翼バッジ メルディの漆黒の翼バッジ
ダブルセイバー エターナルソード 魔杖ケイオスハート ソーサラーリング ベレット セイファートキー ジェイのメモ ダオスの遺書 首輪×3
凍らせたロイドの左腕 邪剣ファフニール C・ケイジ@I(水・雷・闇・氷・火) マジカルポーチ 分解中のレーダー
実験サンプル(燃える草微量以外詳細不明) ハロルドメモ1・2 フェアリィリング
ハロルドの首輪 スティレット 金のフライパン ウィングパック(メガグランチャーとUZISMG入り)
基本行動方針(グリッド):???
基本行動方針(シャーリィ):全員殺してお兄ちゃんと会う
第一行動方針(シャーリィ):ミトスを殺す
第二行動方針(シャーリィ):生存者を見つければ殺す
第三行動方針(シャーリィ):グリッドを完全に乗っ取る
現在位置:C3村中央広場・雪原
【ミトス=ユグドラシル@ユグドラシル 生存確認】
状態:TP90% 良く分からない鬱屈 高揚 頬に傷
所持品:ミスティシンボル 大いなる実り ダオスのマント キールのレポート
基本行動方針:マーテルを蘇生させる
第一行動方針:シャーリィを殺害して魔剣を奪う
第二行動方針:状況の再整理
第三行動方針:蘇生失敗の時は皆殺しにシフト(但しミクトランの優勝賞品はあてにしない)
現在位置:C3村中央広場・雪原
風圧で吹き飛ばされた粉雪がようやく舞い落ちるだけ舞い落ち、新しい降雪だけになった。
視界が気休め程度に復活する中から、ユグドラシルの姿が現れる。
転移によって出現したであろう移動距離であり、怪物の攻撃を完璧に避け―――否。
ユグドラシルが面を上げる。その頬には大きな傷がジュウジュウと泡を立てていた。
指で拭い、その黒い液体を嫌そうに見つめた。
「毒か。しかも、血管を巡って致死に落とすと言うよりはその場で確実に壊すことに特化したようだな。天使殺しの毒とは」
全く、正しい戦争だなとミトスは思った。天使然り、エクスフィア然り、技術が促進するのは何時だって闘争本能がその倫理観を上回る時だ。
怪物が足に力を溜めた。
ユグドラシルが掌に意識を通す。大きく深呼吸を一度。外気の冷たさが温く茹だった脳を冷やす。
確認できるのはキールの死のみ。ならばアトワイトは生きているだろう。
しかし、エターナルソードとは、僕のいない間に少なからず面白くない事態にはなっていたようだな。
魔剣が向こうの体内にある以上纏めて吹き飛ばすという訳にも行かなかった。それでは闘う意味すらない。
目線だけで一、二度辺りを見回し、舌打ちをしてユグドラシルは怪物に目を向け直した。
この雪を仕掛けた人間が少なからず居る。アトワイトは僕の命令無くこんな大掛かりな仕掛けを行う余裕はない。
手堅く漁夫の利を取ってくるならば暫くは放置せざるを得ない。
アレは第三の伏兵を気にして闘えるような生やさしい相手ではない。
アトワイトの援護は…飛べない奴に雪は少し厳しいか。期待はしない方が良い。
直轄援護を諦めたユグドラシルの眼球が鋭さを増した。
ああ、この感覚だ。世界に僕一人しか居ない。居場所がない。
そして、眼下にあるは、姉様への最後の鍵。ならば僕がこの手で奪わねば締まらないか。
怪物が駆けた。ユグドラシルが大きく唇を歪める。
シャーリィ同様、ミトスの曖昧な苛立ちも、その全てが一つの怪物へと向けられた。
さて、戦争は終わり、これより戦闘の時間か。そう自嘲するミトスは四千年前の大戦に還っていた。
股間の痛みは疾うに失せていた。
その雪原にぼこりと穴が開いた。主の居ないデイバックの蓋が開く。
「………ッキー」
ブルブルブルと雪を払う。
大きな雪は落ちても粉雪は付着したままで、水色の下地に付いた白の斑は消えそうも無い。
「クィッキィィィィィィィィィィィィィィィィ」
そんな小動物の瞳は、いまや野生とは対極の狂気を写していた。
主を無惨に殺した者への報復を。紛う事なき復讐装置としての色彩を。
この世で三番以内に無意味で詰まらない色を写していた。
【シャーリィ・フェンネス@グリッド 生存確認】
状態:エクスフィギュア化 シャーリィの干渉 ???
所持品:マジックミスト 占いの本 ロープ6本 ハロルドレシピ プリムラ・ユアンのサック
ネルフェス・エクスフィア リーダー用漆黒の翼バッジ メルディの漆黒の翼バッジ
ダブルセイバー エターナルソード 魔杖ケイオスハート ソーサラーリング ベレット セイファートキー ジェイのメモ ダオスの遺書 首輪×3
凍らせたロイドの左腕 邪剣ファフニール C・ケイジ@I(水・雷・闇・氷・火) マジカルポーチ 分解中のレーダー
実験サンプル(燃える草微量以外詳細不明) ハロルドメモ1・2 フェアリィリング
ハロルドの首輪 スティレット 金のフライパン ウィングパック(メガグランチャーとUZISMG入り)
基本行動方針(グリッド):???
基本行動方針(シャーリィ):全員殺してお兄ちゃんと会う
第一行動方針(シャーリィ):ミトスを殺す
第二行動方針(シャーリィ):生存者を見つければ殺す
第三行動方針(シャーリィ):グリッドを完全に乗っ取る
現在位置:C3村中央広場・雪原
【ミトス=ユグドラシル@ユグドラシル 生存確認】
状態:HP95/95%(毒特性:最大HPカット) TP90% 良く分からない鬱屈 高揚 頬に傷
所持品:ミスティシンボル 大いなる実り ダオスのマント キールのレポート
基本行動方針:マーテルを蘇生させる
第一行動方針:シャーリィを殺害して魔剣を奪う
第二行動方針:状況の再整理
第三行動方針:蘇生失敗の時は皆殺しにシフト(但しミクトランの優勝賞品はあてにしない)
現在位置:C3村中央広場・雪原
【クィッキー】
状態:憎悪
基本行動方針:メルディの仇を討つ
現在位置:C3村中央広場・雪原
支援と保守を兼ねてあげ
始まりは、ナイフが一本。お終いは、魔剣が一本。
突き刺さったのは同じ脚。倒錯する愛情と他への憎悪と。
平たく言って、親近憎悪と何が違う。
深々と降り積もる雪の中、結晶が吸いきれなかった戦場音楽が漏れ響く。
左手を大きく振り上げたユグドラシルが雪を押し固めるようにして雪原に掌を叩き付けた。
「ディースネル!!」
高らかと言ってもいい成句に従い、光の柱が五条落ちる。
光柱は地面に判を押し無数の羽と霧散する様は本来ならば荘厳であろう光景だが、積もり積もる雪の中では同じ白としてしか判別できない。
そして、荘厳とは対極にあろう怪物が滑空する以上、その手合いの幻想は懐きようがなかった。
雪の合間に覗く巨躯は地面から数メートル上を滑らかに飛んでいた。90度身体を傾け、器用にも旋回する。
“翼”を持つ水の民としての先天だった。悉く光を避けて、天使へと接近する。
徐々に高度を落としていく怪物の口が深呼吸するように開いた。
その黒々とした異海の門の向こうから、紅いモノが吐き出される。鼻先の雪すらを蒸発させながら怪物は焔を手のように伸ばした。
ユグドラシルの羽根を焼き払うように、彼の立つ点から半径数メートルの地面を露出させる。
怪物から充分な距離を取った位置に出現したユグドラシルはさも何事もなかったかのように、しかし確実な苛立ちを示しながら言った。
「当てずっぽうでは掠りもしないか」
エクスフィギュアとしては異常な速度。それに加え、あの奇形の翼は少なからず翼としての最低限の職務を忘れていない。
あの火炎を含め、雪に脚を取られるという僥倖は一切期待できなかった。
ユグドラシルが敵の異変に気付く。
既に着地した怪物の片翼が蛇のように収納され、同時に左腕が膨張していた。膨張量はロープの総体積の半分にほぼ一致していた。
その左手を怪物が身体全身を使って振り抜く。同時に延ばされた触手は地面の雪を薙ぎ払いながら、出現した直後の天使を狙い撃った。
咄嗟に右手を振り払いユグドラシルは左からの猛撃を弾く。しかし、充分な加速の付いた触手は縄というより棍棒に近く、
防御したユグドラシルをそのまま吹き飛ばした。
羽根を羽ばたかせて飛ばされる速度を抑えるが完全にとはいく訳もなく、膝を突いて地面に対し斜めに入った天使は積もった雪を再び宙に浮かす。
ユグドラシルはそのまま転がり、遮蔽にしては幾分心許ない木を支点に怪物と点対称の位置を取った。
翼を広げ天を自在に舞う怪物と膝を突いて地を這う天使の図は、想像以上に滑稽だった。
舌打ちをしながらユグドラシルは膝に手を突いて立ち上がろうとする。
鼻を通る息が止まった。右手の甲の肉が溶けて、骨が少し露出していた。
弾いただけでコレか。ユグドラシルは心底嫌そうな顔をする。状況は最悪、かどうかは分からないがこの雪のように不透明だ。
逃げてしまおうかという気分が横合いからはみ出たのだ。理屈ではなく、純粋な嫌気として。
とりあえず退いて、ネレイドかこの天候を操る鳶―――状況から考えてヴェイグか―――にアレの相手をさせる間にアトワイトと合流する。
少なくとももう一度三竦みの状態に持って行くことは出来るはずだ。戦術としては悪くない。定石故、悪くないというだけでしかないが。
だが、この目論見は実現しないであろう事を判断する程度にはユグドラシルの恐怖は高ぶっていなかった。
まずネレイドはもう生きていない公算が高い。メルディがネレイドであろうが無かろうが。
キール=ツァイベルがネレイドの話を持ち出した時点で、その可能性は考えてはいたのだ。向こうもそれは承知の上だっただろう。
こちらとしては寝た子を起こすリスクを負ってまで喧嘩をする程血が余っているわけでもない。闘わずに済むならそれで放置していた話だ。
だがこの状況に照らし合わせれば、どちらにしても生きていないことは疑う余地がない。
前者ならキールが死んだ時点で行動は自由、シャーリィを排除にかかるはずだ。いや、それ以前にキールがこうもあっさり死ぬのが不自然になるか。
後者なら話は早い。両方とも普通に死んだだけで片が付く。
どちらにしてもアトワイト利、無しとして戦線を離脱する。もう少し厳格に命令を定めて於かなかったのは僕の過誤だな。
どうやらネレイドの話はブラフだったと考えるのが妥当だ。
ユグドラシルはこの予断に関してはさほどの嫌悪を覚えなかった。いや、嫌悪自体は既に幾らでも体内を蠢いているが。
少なくとも既に手札を切り尽くした虫螻に感慨など沸こうはずもなく、寧ろあまりの細工の小ささに面白さすら感じる。
多少の気分転換を行ったミトスは立ち上がりながら現実に視線を向けた。
ヴェイグもここまで自分を嵌めきったのだから、そう易々と今の座を捨てる気はないだろう。下手に状況を崩せば即1対2の構図になってしまうかもしれない。
逃げても、逃げるだけの意味を果たせないのだから、これはこれで結局意味がない。
無論、生理的な嫌悪だけで行動を変えられる立場・状況ではないというミトス本人の事情もある。
空を見上げても夕日はどこにも見当たらない。時計を引っ張り出す余裕もない今、時間を瞬時に判別できる要素が無い。
アトワイトが言うところの刻限、日没が過ぎれば彼女は故障する。魂が失われる。肉体を維持できない。
詰まるところ、引いて立て直す時間はミトスには与えられていなかった。
さてどうしようか。
木に寄りかかるようにして、ユグドラシルは怪物の方を向いた。
何故シャーリィがここにいるのか、何故生きているのか、何があったのか、何処までエクスフィギュアの枠からはみ出ているのか。飛び道具はあの火炎と触手だけか。
それを解決する手法は無く、徒に疑問だけが積もっていく。この循環の果てにあるのは堆積した汚泥による配管の窒息だ。
アトワイトは居らず、手持ちと呼べるほどの情報もない。エターナルソードが向こうにある内は焦土作戦と言うわけにもいかない。
問題を解決するのではなく、問題そのものを排除してしまうと言う明快且つ単純な方法も至難だ。
ああいう手合いはじっくりと分析にかけた上で呵るべき手法を用いて粉砕すべきなのだ。
実際、ユグドラシルは不確定要素たるシャーリィとネレイドに関してそれを行うに足る準備を備えた積もりではあった。
コレットを用いて索敵は可能な限り行った。その後知る限り誰も村には入っていないという事実。
キールの言が誤りで、シャーリィが死んでいなかったと仮定しても時間と人数が合わない。一体どういう絡繰りか。
首を戻して、ユグドラシルは溜息を一つ付いた。
いや、とユグドラシルは思い直す。今更自らの行動を批評する時間はない。
ましてやその結論が采配の過誤を悔やむ心情に引き摺られることは分かり切っている。ならば無駄だ。
まずは、エターナルソードを…
『ねえ、いつまでダラダラしてるつもり?』
ユグドラシルは半ば反射的に声ならぬ声の方に向いて固唾を呑む。その先には、怪物が両手を広げて待っていた。
支援
シャーリィは、否、怪物の左手の中で蠢く蒼い石の中の意志は大声で叫んだ。
『アハッ!こっちを向いた。聞こえた! やっぱり聞こえた!! ねえ、私の声が聞こえてるんでしょ!?』
嬉しそうに、それは本当に純粋に嬉しそうに響く波だった。
『良かった……少し、怖かったんだ。このまま誰にも“私”のことを知らずに死んでしまうんじゃないかって。
ただの挽肉になっちゃうんじゃないかって!! 皆皆私を知らないまま私に殺されるんじゃないかって!!
嫌よね、 誰にも覚えて貰えないって!! 私はここにいるのに。私はここにいたのに!!』
喜悦を弄ぶように触手がユグドラシルの方へ伸びた。
まるで自らの指のようにしてユグドラシルがいるであろう木を掴み、決して軽くは無い根を引き抜いた。
そのまま掴んだ木を上に持ち上げ、叩きつける。木はあっという間に木屑になった。
その破片の向こうに、天使の姿は確認できない。
『またその技? 馬鹿の一つ覚えみたいにピョンピョンピョンピョンピョン飛んで、つまんない』
姿を消したミトスにシャーリィは心底あきれた様な意をみせようとして、一つ思い出した。
『そうだ! あの時もそうだったよね!! 自信たっぷりに私の後ろから切りつけたのに、全然浅くて、私に蹴られたの!!
痛かったでしょう? 痛かったよね!? 大切なところだもんね? ざまあみろ!!』
怪物が上を見上げて揺れる。その肉体ゆえ、げらげら笑うという印象は殆ど無かった。
『……そんなに大声を出さなくても聞こえてるよ。出来れば一生黙ってて欲しいけど』
不意に聞こえた少年の声に、怪物は単眼を見開いてそちらを向いた。雪原だけで何も目ぼしいものは無い。
『ごめんなさい。でも私嬉しくってしょうがないの!
こんな様に成って、もう誰も私のことを分かってくれないと諦めてたから、貴方が生きててくれて本当に嬉しい!! でも殺すけど!!』
それは“怪物”の正直な感想だった。既にそれに与えられた役目は唯の怪物シャーリィであり、“誰もシャーリィ=フェンネスという少女を認識しないから”であった。
『話をしましょう! 何の話がいい!! そうだ、貴方のお姉さんは、マーテルさんはどうなったの!?』
大気がざわつく様な感じを、怪物は一身で受けた。シャーリィはユアンの言葉をしっかりと覚えていた。
『やっぱり、やっぱり死んじゃったの? 私を置いて? お姉ちゃんみたいに? 何で?何で?』
『死んでないよ。これから僕が取り戻す』
ミトスが割って入った。
満足そうに怪物が身体を振りかぶった。
『それは無理よ。私がお兄ちゃんを取り戻すから! お姉ちゃんを取り戻せないのは少しだけ悲しいけど、仕方ないよ!!』
「僕の姉様だ!!」
突如怪物の主攻正面、その雪原の一部がボンと噴水のように吹き上がった。
舞った雪の銀幕をから、雪の上で伏せていたユグドラシルが怒り心頭、その形相で怪物に突進する。
その汚れ一つ無い純白の衣は、実に雪原の迷彩として機能していた。
「お前の、だと、おこがましい。姉様は僕の姉様だ。お前の、じゃあない!!」
滑るようにして、天使は怪物の懐に直進する。
『駄目!! アレは私がここで最初に見つけたの!! だからダメッ!!』
怪物が右手を突きだして触手を伸ばす。緩やかな弧を描いて、しかしその延びはとても鋭く侵食する。
触手はユグドラシルの肩を掠め、彼の白絹と仮初の肉を黒く泡立たせた。しかし彼に痛みなど無く、更に低く疾駆する。
「それが姉様を傷つけた餓鬼の言う台詞かッ!!」
ユグドラシルの右手に乳白色の光が纏う。
『お姉ちゃんが悪いの! あんなのに、私を見捨てて、あんなのを抱きしめるなんて!!』
怪物は大きく振りかぶった左手をユグドラシルの横合いに向けて殴りつけた。脇の下を潜るようにしてユグドラシルは浸透する。
『それだけじゃない……私の気持ちを知ってたのに!! お兄ちゃんを奪って!! 私を、私を、私ヲヲヲヲォォォォッッ!!!!!!!』
怪物が大気で肺を満たすようにして仰け反る。完全にそりきった瞬間、弓を打つようにして跳ね返った身体と同時に、怪物の口から業炎が吹き上がった。
怪物は誰のことを叫んでいたのだろうか。ユグドラシルには判別が付かなかった。付けようもなかった。
それで良い。ユグドラシルにはそれで構わなかった。
記憶が混交している? それともエゴが崩れ始めたか、あるいはイドが表層に湧き出た?
何とも豪毅な。少なくともエクスフィギュアにはそんな症状は無いというのに。
何とも奇っ怪。まだまだ僕の計画には僕の知らない要素が満ちあふれている。
ユグドラシルの右手は既に消えたと思うほどに輝いていた。犬歯が見える程に凶相を露わにする。
“そんなことはどうでも良い”
ただ誰とも知らない誰かと、“姉様”を混ぜた。それだけで不快。それ故に万死だ。
伏せていた理由も忘れ、輝石の中のミトスは完全に血が昇っていた。
しかし、その勘所の良さは寧ろ鋭さを増していた。
ミントの一挙一動に心を揺らしていたミトスとはあまりにもかけ離れた即応性で左腕を前に出す。
炎の直撃を腕で避ける。しかし、炙られていたのは僅か一秒間にも満たない時間だった。
既に天使は、股下を潜らんばかりに、怪物に最接近していた。業火過ぎる故の、発射口が頭部故の、ある種必然的な死角が確かにある。
その巨躯と重量故に拳と触手は円軌道を描かざるを得ない。高すぎる砲口は直下の敵を直火に晒せない。
大戦を駆け抜けた身体が確信した、大きすぎる怪物の唯一の安全地帯だった。
彼の右手は、アウトバーストのトリガーへ手を掛けていた。接触した瞬間に怪物の肉体全てを塵芥に帰す心根だった。
この瞬間、確かにミトス=ユグドラシルは、敵が持つエターナルソードを失念していた。
「このまま滅んでしまえ!! 姉様は、僕の、僕の……ッ!?」
ミトスはもう一つ失念していた。それは失念と言うには些細すぎることだったが。
敵の放火を受けないこの安全圏では、静かに狂い嗤う怪物の表情を知ることが出来ないことに、思い至らなかった。
ユグドラシルの瞳が一瞬泳ぐ。瞳孔の黒が忙しそうに白色の中を駆け回った。
怪物の下腹部から剣が肉を掻き分けて、その姿をもう一度露わにした。
その魔剣、エターナルソードはまるでその形で埋め込まれたかのように安置しており、その偉容と異様を見せつけていた。
『そんなの使ってイイの? そんな危ないの、本当に使って、いいの? またあのレーザーで吹き飛ばすの? 壊れちゃうよ?』
反動音が鳴ったかと思うほどに、ユグドラシルの身体が急激に制止したのを確認して、シャーリィはにんまりとした。
解放の場を失った光が、苦しそうに、やがて諦めたように霧散する。
二度目となれば、必然を、せめて蓋然を疑う他ない。
「……それを……貴様ァ……」
漸く、ユグドラシルの口から魂を切り売りするかのような声が絞り出された。
嗜虐心を満たしながら、それを増幅させるようにシャーリィは笑う。
『やっぱり、欲しかったんだ。そんなにコレが欲しかったって、この身体が言ってるもの。
お前がこんなモノを欲しがったせいでこうなったって、言ってるもの!!』
嗤いを噛み殺したような音が、腕と触手で囲んだ空間に響き渡る。
ミトスがこれを求めている。まるで消印も差出人も書かれていない風の便りがふと届いたかのように、
自分が知らぬ自分の記憶以下の何かが、それを確かに教えていた。
『でもコレもだめ……だって、私も欲しがってるもの』
怪物の左肩が粘性の高い水泡を立てて隆起した。次いで、右腿の内側にから何かが顔を出した。
『ダメ……ダメ……お姉ちゃんは私のモノ……渡さないよ』
肩から出たそれは、取っ手を付けた金属の板―――フライパンだった。黒色の粘液が落ちた部分からかろうじて金色が覗く。
腿からは外に出るのも辛そうという感想を抱いてしまいそうな遅さでベレッタが半分姿を現していた。
『この剣だって私のモノ……これがこれのこれで為に走ってきたんだから』
左脇腹から、瓶の破片が鱗のように生えた。それぞれがサンプルの化学薬品に晒され色とりどりに変色している。
右肘から邪剣が突き出る。刀身を捩らせて獲物を待ち望んでいるかのようだった。
右指の間だから首輪が三つ水掻きのようにして沸いた。
掌には手の甲から突き刺すようにしてスティレットが伸びる。
『全部……全部私……私なの……私が欲しがってるものなんだから……私“を”欲しがってるから……』
左の二の腕から出た金属は分解されたセンサーではなく、唯の石ころと同義だった。
植え付けたかのように、左手にメガグランチャーが、右腕には短機関銃があった。
『お兄ちゃんは、私のモノなんだから』
右胸からポーチが、鎖骨からマジックミストが、
右脛から妖精の指輪が、
喉からケイジが、肋骨から本が、
紙類は固めて丸めて全て頭部へ、
『でも、私だけが独り占めするのも佳くないよね』
もう、体外に出た体積は容積を超えていた。臀部のウイングパックが無かったら納得すら出来ないだろう。
ありとあらゆる、“ゴミ”が怪物を内側から覆っていた。
その全ての表面が毒に染まり、黒く穢れていた。
丁度身体、右腕、左腕が一辺として、正六角形の半分を構成していた。
中心に天使が一匹。面に垂直に伸びる射線は六角形の中心で重なる。
『だから、あげる。これ、全部』
最後に、既に黒く染まった誰かの腕が、人はそこから生まれたのだと無条件に信じられる場所から生まれた。
怪物が、とても穏やかそうに、或いは未来の穏やかさを前借りしたかのように、言った。
『本当に詰まらないものですけど、どうぞ!!』
ユグドラシルの姿が光に包まれる。二歩遅かった。
無数の役立たずが、まるで最後の見せ場と言わんばかりに、一斉に射出された。
アトワイトがその光を見たとき既に中央広場に入ろうとしていた矢先のことだった。
踏み固める度に雪は地面に与えるべき加重を分散し、無駄な力みを必要とする。
雪は靴の中に入り、歩きづらさを容赦なく累乗していた。不快感というべき概念を持っていないだけで幸いだった。
『……戻るだけで、一仕事ね。ディムロスの指示か、それとモ』
既にこの雪への苛立ちをぶつけるべき相手を彼女は誤らず了解していた。
雪の中で思考を止めれば糸が切れてしまう。恐怖を閉じこめる時間だけは充分にあった。
ヴェイグという男が氷使いであることは怪物を追い払った時点で理解の埒外ではあったが事実として知るところではあった。
あとは呵るべき情報解析に晒せば、数秒かからず推論は出る。
しかし、理由を知ったとしても、彼女には選択権がなかった。と、いうよりも、選択する時間が刻一刻と摩耗していた。
雪の中で片膝を付く。本当は身体全部で盛大に倒れてしまいそうだったが、彼女を彼女たらしめる何かがそれを辛うじて拒んだ。
『……もウ、時間が残ってなイのに。最後まで邪魔ヲするのね、でぃムロス』
このか細い身体では幾ら力があろうとも、ロスが目立つ。移動時間の増加、体位制御、何れもアトワイトを削り取っていた。
微かに笑おうとしたが、表情は変わらない。人形の唇が少し凍っていた。
立ち上がって、正面をむき直す。光景は色以外の全てを一変していた。
光と、白い雪煙が夏の雲のように高く伸びる様は、着弾音と相まって微かに弱まった吹雪の中でも見て取れる。
アトワイトは、五秒ほどの時間で最低限必要を理解する。
少なくとも、闘っている相手と自らのマスターの苦境を察する程度には。
『ミトす』
不味い。そう思ったアトワイトは人形の脚を無意識に駆け出そうとした。しかし、再び雪に脚を取られ、今度は盛大に突っ伏すことになる。
『ッ……こんな所で足止めをクらっテる場合じゃなイのに……!!』
キールを見捨てたときとの温度差は、ミトスに捧げたモノの分量と合致していた。
雪を握りしめるが、冷たさは伝わらない。熱もないから溶けもしなかったが。
『――――――――――――――――アトワイト…………こえるか?』
『ミトス!!』
突如の通信に生娘のような声を出した自分に驚く自分をアトワイトは感じた。
『……近くに、いる……重畳……だな』
断線しながら聞こえる、石の声はか細く、主の肉体の異常を察するには過分すぎた。
『無ジなの!? 相手は!? いや、いイわ!! すグにそっちに向かうからそれまで……』
『アトワイト、私の願いは、なんだ?』
唐突すぎる問いに、アトワイトは息を止めた。止めたように言葉を区切った。
『何ヲ、いきなり』
『私の願いは、なんだった? 答えろ』
『そんなコとを言ッてる場合じゃな』『答えろ。命令だ』
もう一度、ミトスはアトワイトの言葉を封じた。将校としての絶対原則がアトワイトの根幹から引き摺り出される。
結局、アトワイトは命令を履行する他なかった。
『…………マーテルの復活、そしてその確保』
戸惑いを差し引いても素早い解答だった。数秒、会話が途切れる。
クク、と笑い声が聞こえた。
『そうだな。そうだった。何でそんなことに気付かなかったんだろう……矢ッ張り、どうかしてた』
子供のような声が響く。切れ切れの波に似合わない陽気さだった。
そうアトワイトが思った途端、ユグドラシルとしての波が、アトワイトに強く届けられた。
『晶術準備。完了状態にまでして、射程圏外の際で待機』
『レイズデッド?』
素早く応答し、必要な問いを返す。馴れ馴れしい口調以外は完全に上官と部下だった。いや、違うのかも。
『いや、術種アイスニードル。特装・四連だ。少々規定とは異なるがユニゾンで放つ。タイミングはこちらに、いや、“鳴き声”に合わせろ』
アトワイトが朽ち行くコアの中で微かに頬笑んだ。この戦争ごっこはどうにも何かが危なっかしくて見ていられない。
もう少しばかりは、私に縋って、私に甘えて、私を使い潰してもらわないと。
『操るなら兎も角、恨みを買うのは面倒だ。劣悪種は劣悪種同士で殺し合って貰うに勝る効率はない。そうして生きた4000年を忘れるなんて、どうかしてる』
アトワイトは何かを言いかけて、口を噤んだ。それはきっと貴方が、子供に戻っていたからよ。
何かを察したのか、一言だけ言葉を述べて、通信は切られた。
『何をしている? 仕事の時間だ』
『了解しました。マスター』
怪物の目の前には、破壊の痕と呼ぶべきモノが広がっていた。
剔れた土が雪を汚し、数少ない建造物の壁に穴を開ける。それが三方に伸びて、まるで弾痕の爪痕だった。
『ギャハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!』
その集中点で、怪物は高らかに笑う。
『バッカじゃないの!? 本当にバカじゃないの? 見え見えの挑発に引っかかって、中に入っておいて勝手に安全だと思いこんで!
そんな訳ないじゃない!! 虫は虫籠に入れてからの方が潰しやすいに決まっているじゃない!!』
懐に誘い込んでの集中斉射だった。策が見事に嵌る快感に万人を隔てるものはない。
快楽に身を包みながらシャーリィは其方を見た。雪の煙が、風で緩やかに晴れていく。
爪と爪の間、そこに傷を羽根に負った天使がいた。
右肩に穴が開いていた。左足の指を全部無くしていた。左脇腹に手を当て、漏れ出そうな何かを押さえていた。
右の腿をパックリと割っていた。無数の傷跡、その全てが、黒く染まっていた。
かつての華やかさを一気に失ったユグドラシルは、息を荒げて、俯こうとする面を下げないようにするので精一杯だった。
『そんなんでお姉ちゃんを取り戻すなんて、よく言えたよね。全然ダメじゃない』
シャーリィは呆れたようにユグドラシルに言った。視線が俯いたままの天使は彼女の期待する反応すら出来なかった。
『甘ちゃんばっかのあいつらよりは少しだけまともだったけど、やっぱりダメ。私と貴方じゃ覚悟が違うよ』
怪物は握り拳を作り、足を一歩前に出した。余裕を見せても武器を奪う機会は与えない。
左はいつでも触手を出せる状態を維持し、テレポートを牽制していた。
『……何が、どう違うって?』
ユグドラシルがぼそりと呟いた。歩きながら答える。
『決まってるわ…………想いよ! お兄ちゃんともう一度会いたいって想い!!
貴方のお姉ちゃんともう一度会いたいって想いじゃあ、私の想いには!願いには敵わない!!
私の願いは神を下した。だから身体が朽ちてもここにいる!! お前なんかの想いは、私に踏み潰されて終わるだけ!!』
確信を煮詰めたような声だった。迷いは一辺もなく、後悔は何処にもない。
『そうか。そうやってお前はあらゆる敵を踏み潰してきたのか。成程な』
ユグドラシルが頭を上げた。怪物が手を振り上げたまま走る。打ち下ろす前から殺せる速度が付いていた。
『分かってるじゃない!! 私は神に勝った私に、踏みつぶせないモノなんて無い!!』
射程に収めた怪物が拳を振り下ろそうとした時、完全に怪物を見据えた天使は、
「クゥゥゥゥゥィッッキィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
『じゃあ、潰し損ねたモノに関してはその限りではないのか』
怪物の肩越し、その先の青い影を見て、陰険そうに笑った。
怪物を殺す。それのみに特化することを決意したとはいえ、クィッキーは自分の能力を完全に把握していた。
正面から挑んでも勝ち目が無い。いや、四方八方上下左右、どの面から攻めたところで勝ち目など微塵もない。
だが、勝たねばならない。いや、殺さなければならない。
喩え、それが理想とは程遠かろうとせめて肉体的な意味でメルディを救うとクィッキーは決めた。
其処までに至る苦渋は、決してキールに勝りこそすれ劣らないとクィッキーは思っていた。思い込もうと信じていた。
その過程は、あっという間に無意味なモノに転じた。それをバックの中で見続けるだけで三回は死ねそうだった。
袋の中でクィッキーは思った。これからどうするか。何をどうしようも何もならない。
自分が小動物だからという根源的な意味合いも勿論あったが、仮にヒトだったとしても何が出来るというわけでもない。
キールとロイド、立場は違えど二方向から希望を求めた対極の二人は潰えた。ならば、もう可能性は何処にもない。
ならば、どうするか。クィッキーは動物らしくすぐに答えを弾き出した。
決まっている。生に望みを繋げないなら、死に望みを繋ぐしかない。自分が気に入る形で、殺し合いの縮図に組み込まれてやろうじゃないか。
雪の中を慎重に這いながらクィッキーは思考を済ませていた。思考と言うよりは、手段の検討だ。
あの化け物を殺す。それが生半可な行為でないことは一番よく知っていた。他の連中ならば、まだ喉を噛み切れば死にそうだが、それで死ぬかも疑わしい。
あのユグドラシルとかいういけ好かない奴に、殺させる、という手も考えた。それが一番合理的に思えた。
しかし、クィッキーはそれを拒否した。奴の死体が見たいのではない。殺すことに意味があるのだ。
そこまで考えて、自分の理不尽さ、その無い物ねだりの原因に思い立った。
自分があの怪物に奪われたモノは、主人だけじゃないのか。クィッキーは筋骨隆々とした、牛の背を思い出す。
あれはターニングポイントであり、節目だ。敵おうが敵うまいが自分の手で清算を付けたがるのも当然か。
既に召された彼ら二人に許しは請わなかった。仲睦まじくやっているだろう二人は絶対に自分を止めるだろうし、何より無粋だと思った。
現実と理想に折り合いを付けたクィッキーに思いつけた手段は、ユグドラシルを利用することだった。
戦闘が始まって、ずうっと観察を続けた。見続けたのは、石の位置。
ユグドラシルと同じような羽根を持っていた男が、あの石を狙っていたことを思い出した。
確証は無くとも、それしか自分の牙が通じる場所が無いと思った。
憎悪が眼球から零れ落ちそうになった時、一瞬、ユグドラシルと眼があった。
気付かれぬようにと位置を変えたとき、自分よりも蒼いそれを漸く怪物の左手に見つけた。
銃声のような騒音が轟く中、自らを丸め、クィッキーは注意深く待つ。
それは外敵に対する防御というよりは、自らの気持ちが折れぬようにと堪える体勢だった。
轟音が鳴り止み、フラフラとクィッキーは雪の中から這い出る。一歩足を出して雪跡を刻む度に、焔に薪が入った。
背中を迂回して、左側面に踊り立つ。あのバカみたいな散弾はもう無い。
殺す。絶対に、絶対に。怪物が奔った。平行して走り、距離を詰める。
糞、何でこんならしくないことをしてるんだ。
「クゥゥゥゥゥィッッキィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
疑問に思った時には、既に身体をそこに向けて踊らせていた。
目測通り怪物の手の甲にしがみつく。その小さな手が半液状の皮膚にめり込んだ。
恐怖を噛み殺すように、歯を石の縁に掛けた。突如、自分の身体がめっためたに揺さぶられる。
眼を瞑ったまま、クィッキーは懸命に噛んだ。これだけは放さない。
ダンダンと身体に何かが打ち付けられる。肉の線維が切られていくという感覚をリアルタイムで実感した。
意識を飛ばしながらも、クィッキーは泣きながら噛み続けた。これだけは話さない。
こんなはすじゃ無かったのに、畜生、畜生。
クィッキーだったモノが引き離されたとき、まだ歯は、その縁に挟まったままだった。
横合いからの虚撃に怪物は全くの無防備だった。
怪物よりも二歩前にそれを察していたミトスは素早く、詠唱を開始する。
『あああああああ!!!!!!!! 何を、何をッ!! 何してんのよォ!!』
ゴミが、襲ってきたと油断して、“ゴミがピンポイントでアキレスを狙ってきた”という重大さに気付いたシャーリィは完全にミトスに横合いを晒した。
想定外の事態に、彼女の視野が急速に狭まる。
振り解こうとして一秒。叩き付けようとして、全力で殴ればエクスフィアが傷つくかもしれないと躊躇して半秒。
右手を完全に使って叩き、それでも離れず握り潰すのに一と半秒。合わせて三秒の時を要した。
『ハンッ!! ゴミ屑が頑張っても精々これよ!! 私の想いの前には、これだけにしかならない!!』
混乱と昂揚を混ぜ合わせたまま怪物は腹に右手を深々と突き入れ、魔剣を取り出した。
攻撃と防御を一挙に行える一策だった。
よりにもよって詠唱。シャーリィは自らの想いが神に通じていることを噛みしめた。
この剣に気を遣って術撃を選んだのだろうが、上級術でこの身体を滅しようにも、あと数秒の時は要する。その間に大切断だ。
『私は、絶対にお兄ちゃんに会いに行く!! 絶対に、この想いは絶対よ!!』
号砲一喝と雪原表面の雪がふわりと舞った。その霞の中で、ユグドラシルは。
『生憎と、死者に想いを馳せるなんて非生産的なこと、僕の趣味じゃないよ』
手首に掛けたミスティシンボルをクルクル回しながら、ユグドラシルが指を弾いた。
「第一節・ファイアボール」
ユグドラシルの頭上に炎の球が出現し、怪物を目掛けて襲いかかった。
怪物は剣を盾にして構える。
『ご大層なこと言った割にこんな術? こんな弱い術で何が出来るっての……ガァッ!?』
「キープスペル解凍―――――第二節・ライトニング」
怪物の頭上に雷撃が落ちる。生きている神経群が、強制的に反射を起こした。
剣が蹌踉めき、その右手首に炎が狙い澄まして集中する。たまらず魔剣が落ちた。
『クソ……小細工ばっかりしてえ!! もう種切れの癖ににいcう゛!!!!!!』
怪物の声をかき消すように、鈍い音が数度雪の中微かに鳴り響いた。
その背中に剣ほどの大きさの氷の針が数本、突き刺さった。最後の一本が右手を地面に縫いつける。怪物の上体が崩れた。
半ば自然と、怪物の顔が向いていた。
『晶術並列運行―――――第三節・アイスニードル』
射程圏ギリギリから、アトワイトが、自らを怪物の目線に向けていた。
シャーリィはここまで来て、漸く悟った。自分はこの技を知っている。いや、この島に来た者ならば誰もが知っている。
果敢にも王に挑んだ、魔王の手札。常識破りの連殺術式。
ミスティシンボルが回転を更に強める。ユグドラシルの12枚の羽根が雪に舞い散る。
「魔術直列起動―――――第四節・グレイブ!!」
怪物の身体が地面から浮いた。土塊の大槍は怪物の真芯を射抜く。
完全に封じられた怪物は、ただもがくだけだった。
支援
『晶魔四連―――――――――――――――テトラスペル。奴が生きていたら遣うつもりだった、僕の切り札だ。
オリジナルより些か精度に落ちるが、第三節以外は術を選ばないのが自慢でね。冥土の土産にでもするといい』
ユグドラシルは魔剣を取り、そばに寄ったアトワイトに持たせた。
『僕も、お前も、少し勘違いをしていたんだよ。あの動物を見て思い出した。動物は何時だって賢くて、気高い』
ミスティシンボルを再び回し、ユグドラシルの周りに魔法陣が起動した。
『お前は、そのお兄ちゃんとやらを救うのに、全員を殺そうとしているんだろ? 大変だね。ご苦労様』
巨大な円陣が雪原を刻む。
『でも、僕は、そんな面倒なことをする必要がない。だって、姉様はここに生きてるんだから。
だからお前を殺すことは諦めるよ。恨み辛みは、操る方が性に合ってる。ま、エクスフィアは逃がさないけどね』
紋章を持たない手の方に、一つの実が存在していた。
『死んだ奴が生き返る? あの莫迦な王が生き返らせてくれる? 僕は信じないね』
天に光が満ちる。
『僕は僕の手で、全てを叶えてみせる。王なんてお呼びじゃない』
黄泉路に続く門が開く。
『何が違うのか、最後に教えてやる』
世界が帯電する。雷雲が轟いた。
『神はいない。故に、神を越えることは出来ない。それが出来てしまったお前は、願いを享受する側から与える側に回ってしまった。
お前は、上り詰め過ぎたんだ。甘えることを覚えるべきだった』
ユグドラシルが背を向けた。
『最後にチャンスを上げるよ。セネルを諦めれば、ひょっとしたらお前は生きて戻れるかもしれない。お前が死ねば、僕の姉様は確実に蘇る。
自分か、お姉ちゃんか、好きな方を選びなよ』
言い終わった瞬間、ミトスは術を撃った。既に解答は聞くつもりが無かった。
神の雷が、怪物の左手に落ちた。爆音が開けたこの広場を満たす。雷の通った路にあった雪と雲は強制的に電解しイオン臭を放った。
怪物の左手、その意志は、粉々に砕け散った。雪の中に混じって、文字通り消え失せる。
『そんなの決まってる。お前が死んで、お兄ちゃんが生きるよ』
スカーフを口元まで上げる。
終ぞ、ユグドラシルは望む死を観ることが出来なかった。
「終わったな」
ヴェイグが剣を持ちながら、雪の向こうに目を凝らしていた。
『ああ、予想通りというか、クィッキーが動いた分、僅差でミトスが勝ちを握った』
ディムロスが淡々と戦況から熱を抜いた言葉を放つ。
『ミトス、怪我ノ治リョうを』
「不要だ。それよりもアトワイト、あの肉塊にレイズデッド一発。無いとは思うがあの細胞一辺にシャーリィの意志が残留していた場合面倒だ」
ユグドラシルは押さえきれない焦りを早口に表しながらまくし立てた。
キョロキョロと辺りを見回し、何かを探っている。
ヴェイグが背に掛けたディムロスの柄に手を掛ける。
「仕掛けるか?」
『いや、まだだ。向こうも今この瞬間を待ちかまえているだろう』
そういうディムロスに、ヴェイグは納得できないという溜息を付いた。
『確かに、回復されては面倒が……あの毒はそう簡単には治療できまい』
「なら?」
ヴェイグの問いに、ディムロスは一拍を置いた。
「仕掛けて来ないか……出来れば完全排除したかったが仕方あるまい。アトワイトの時間も残り少ない、か」
ユグドラシルは苦々しげにスカーフを千切り、深手を縛り付ける
『情報が正しければ、絶好の奇襲点が一点残っている』
ディムロスのレンズが暗く輝いた。
「アトワイト、時間だ。これを何とかするのにソーディアンが要る以上はこちらを先にするしかない。その身体を返して貰う」
ユグドラシルが首をこつりと叩いた。アトワイトから魔剣を手に取る。
『失敗するにせよ成功するにせよ、儀式の結果が出た瞬間こそ、奴が無防備になる一瞬だ』
「さあ―――――――――――――――――――――――――――――万願成就の瞬間だ」
ありとあらゆるモノが蠢く中、最後の歯車が回り始めた。
【ヴェイグ=リュングベル 生存確認】
状態:HP45% TP30% リオンのサック所持 左腕重度火傷 絶望 深い怒り 極めて冷静
両腕内出血 背中に3箇所裂傷 中度疲労 左眼失明 胸甲無し 半暴走
エクスフィギュアの正体を誤解 キールの惨たらしい死に動揺
所持品:ミトスの手紙 メンタルバングル 45ACP弾7発マガジン×3 ナイトメアブーツ ホーリィリング
エメラルドリング クローナシンボル フィートシンボル
基本行動方針:優勝してミクトランを殺す
第一行動方針:ミトスの儀式終了後、襲撃
現在位置:C3村中央広場・民家屋根上
備考:フォルスによる雪は自然には溶けません
【SD】
状態:自分への激しい失望及び憤慨 後悔 ヴェイグの感情に同調 感情希薄? エクスフィギュアの正体を誤解
基本行動方針:優勝してミクトランを殺す
第一行動方針:ヴェイグをサポートする
第二行動方針:シャーリィやミトスの戦力を見て分析する
第三行動方針:アトワイトが気になる
現在位置:C3村中央広場・民家屋根上
【アトワイト=エックス@コレット 生存確認】
状態:HP30% TP10% コレットの精神への介入 ミトスへの羨望と同情 エクスフィア侵食 “コレット”消失
思考を放棄したい 胸部に大裂傷(処置済) エクスフィギュアの正体を誤解 全身打撲 全身に擦り傷や切り傷
所持品:苦無×1 ピヨチェック ホーリィスタッフ エクスフィア強化S・A(エクスフィア侵食中)
基本行動方針:積極的にミトスに従う
第一行動方針:儀式を行う
現在位置:C3村内
特記事項:エクスフィア強化S・Aを装備解除した時点でコレット死亡
【ミトス=ユグドラシル@ユグドラシル 生存確認】
状態:HP40/50%(毒特性:最大HPカット) TP60% 良く分からない鬱屈 高揚 頬に傷 右腿裂傷 右肩貫通 左足指欠損 左脇腹裂傷
所持品:ミスティシンボル 大いなる実り ダオスのマント(治療に消費) キールのレポート エターナルソード
基本行動方針:マーテルを蘇生させる
第一行動方針:蘇生儀式を行う
第二行動方針:襲撃者を警戒
第三行動方針:蘇生失敗の時は皆殺しにシフト(但しミクトランの優勝賞品はあてにしない)
現在位置:C3村中央広場・雪原
【??? ???】
状態:???
所持品:プリムラ・ユアンのサック リーダー用漆黒の翼バッジ メルディの漆黒の翼バッジ ダブルセイバー 魔杖ケイオスハート
基本行動方針:???
現在位置:C3村中央広場・雪原
【クィッキー:死亡確認】
ドロップアイテム(全て汚染):マジックミスト 占いの本 首輪×3 ソーサラーリング ベレット セイファートキー
凍らせたロイドの左腕 邪剣ファフニール C・ケイジ@I(水・雷・闇・氷・火) マジカルポーチ 分解中のレーダー
ハロルドの首輪 スティレット 金のフライパン ウィングパック メガグランチャー UZISMG フェアリィリング
白い壁が視界を覆う。全ての輪郭は朧げになり、存在なのか幻なのか曖昧となる。
目の前の物すら何とか目視できる程度。
既に雲のない夕焼け空は菫色の要素を混じり合わせていたが、この事実すら確認できるかも危ぶまれる。
激戦により開けた戦線も、ただ何事もなく白雪に隠されていく。雪を降らせている人物がそんな心象であるかのように。
雪は強くなってきていた。意図は容易に分かったが、荒々しい変化は今から始まる復活への予兆だと肯定的に捉えることにした。
時は遂に訪れた。
幻のようでしかなかった願望は、薄がった輪郭線が強調されていくように明瞭となっていく。
幾千年を経ての願いがやっと叶う。姉様が、復活する。
隣には姉様の器。
手には魔剣エターナルソード。
もう片方の手には大いなる実り。
完璧だ。障害は最早何もない。
隣にいる金髪に赤い眼をした彼女は、しっかと小振りの曲剣を胸元に寄せて握っている。
どうやら既にレイズデットの処置も終わったらしい。
シャーリィがいた方へと視線を遣るも雪で分からず仕舞いだったが、どうでもいいと割り切った。
無表情ながらもあどけない相貌をこちらに向けている。
今は動きのない表皮が柔らかく歪んでくれるのを想像しただけで、身じろぎしたくなる程の歓喜を覚える。
思わず高笑いたくなるのを必死に堪える。今、この喜びを使っては姉様が蘇った時に分かち合えない。
息を吸う。冷えた空気が機能していない肺を針で突き刺すように幻で痛める。
内側から湧き出る熱を下げるイメージ。頭が無色透明に澄み渡ったような気がした。
「アトワイト、準備は?」
『完了シていまス。意識が完全ニ着床シたノを確認次第、操作を解きまス』
アトワイトは問い掛けに淡々と答える。
弱々しく、と言い換えることもできたが、その淡々さが昂騰した気分を落ち着かせるようでまた心地よかった。
笑みを浮かべて、彼は大いなる実りに装着された、姉の眠るエクスフィアを一瞥する。
大いなる実りに取り付けて丁度1日は経つ。ほんの少しでも意識も実りに溶け込んでいるだろう。
魔剣を用いてコレットの身体にマナを充填し、輝石に眠る意識体、大いなる実りに滲み出した残滓、共に器に移す。
そしてマーテルを完全に器に定着させれば全ては終わる。
1つの欠片も取りこぼさないように。取りこぼした時点でそれは姉ではなくなるのだ。
コレットの精神が完全に消えている以上、余計なジャミングもなく、書き換え自体はすんなりと進むだろう。
しかし、実際――装置もなくエターナルソードの力だけで意識を移すというのは、自分が思っていた以上に不確定要素が多い。
救いの塔にある装置ならばエターナルソードという機構を使う必要はなく、装置を通じてマーテルの意識を器に流し込めばよかった。
だが、この島にそんな大それたものがある筈もない。
精神というのは脆いもの。もし、少しでも失敗すれば、現れる姉は自分の知らない存在かもしれない。
感情の一部が欠落した、止め処なく溢れる感情の処置法も知らず狂い果てた――それこそ、あのクレスのような。
(そんな訳があるか。あってたまるものか)
ぎり、と歯が軋む音がした。そして酷く顔をしかめた後、ふっと笑い、表情筋を和らがせる。
一体何を慄いている? どこから失敗するなどという考えが出てきたのか。する訳がない。
これは簡単なことだ。簡単すぎてプロセスが可笑しくすら思えてきた。
和らいだ笑みは次第に押し殺された笑声となった。それでも、高笑いはしない。
一息の後、彼はエターナルソードを両手で握る。かちゃ、と鳴らし、高々と掲げる。
大柄な剣も、大人の体躯をした彼には最後の時空剣士として似つかわしい。
「応えろ、オリジン。全ては世界を救うためだ」
彼は平坦に言った。強烈な風雪の中では掻き消されそうな声量だったが、落ち着き払ったそれは妙に空を行き渡った。
世界を救う、そんな麗句が自分には空々しかったからかもしれない。
吹き荒れる雪の中で、吹き飛ばそうとでもするかの勢いで光の柱が迸る。
雪が光を反射し金色に染まり、影すらも失せ、あたかも1つの光の粒のような姿となって柱を取り巻く。
眼を閉じていた少女にも光が纏い始める。
縁取られた金髪や、光の衣に包まれた白い装束は神々しく、これから起こることへの期待を予感させた。
彼の口元に弧が浮かぶ。
「あれが……儀式の光か?」
片目のみが映す視野が狭まった世界で、民家の屋根から様子を眺めるヴェイグは呟く。
殆どが白1色となりつつある中、金色の光の柱だけが荘厳に立ち昇っている。
両側にまっさらな白、金の色彩は真ん中にありサンドイッチ状態。
サンドイッチにした所で何を挟んだかも分からない、異質な組み合わせと状況下であったが、
目の前の光景は白と金の2色だけにすり替わりつつあった。
『そのようだな。残り人数が少ないから良いものの、大多数が生存していたならばこれ以上ない自己主張になるぞ』
尤も、この村で演説を行った少女よりは些か劣るだろうが――と付け足され、
ヴェイグは昨日の演説の内容を、ひいてはベルサスで演説を行った女性のことを思い出した。
思い出し、目前の光の色が彼女の綺麗な髪を連想させてしまう。
雪からを目を守るという名分を立ててヴェイグは目を閉じる。光の残滓が瞼の向こうでちらついた。
そして、それは残滓となってでも残り続けているのか――それとも成り果てるまでに価値が落ちたのか――そうヴェイグは自嘲した。
目を閉じることほど、現実から逃れようとしているものはない。
「広場には反応が3つ。状況から考えて、ミトスとアトワイト、シャーリィだろう」
瞼を上げたヴェイグは背に掛けられたディムロスへと告げた。
『シャーリィはまだ生き永らえているのか』
「いや、動きという動きがない。瀕死だろうな」
ふむ、とディムロスは1人ごちる。雪も光も強い以上、広場の中心がどうなっているのかは把握できない。
『……ならば、こちらからも1つ報告しておこう。アトワイトの反応が弱化している』
「どういうことだ?」
『アトワイトは器となるコレットが所持していた。儀式が何らかの形でアトワイトに影響しているのかもしれん』
ディムロスは極めて淡々と答え、そのまま口を閉ざした。
堅気な性質の人間としては妙に声がおぼついていない。
黙りこくったディムロスに対して、ヴェイグは違和感を覚えた。
違和感が顕わになっている訳ではない。栗が立つような、極小の波が短い間隔で打つとも、あまりに微細過ぎる変化だ。
敢えて言えば、その短間隔の波は、あるかも分からぬディムロスの心臓の鼓動かもしれない。
ディムロスにしか分からない何かが、何かを告げている。
それを彼は上手く理解ができない。「その手の類への理解がない」感情なのだ。
少し背面へと移していた視線を前方へと戻す。
「……あまり、何かに気を取られるな」
正体も分からない以上、どう言っていいかも分からないため曖昧なことしか言えないが仕方がない。
ディムロスは息を呑んだような、呻き声にも似たそれを発して、少しの後ゆっくりと息を吐いた。
自嘲か嘲笑か、単に溜息だったのかどうかは判じ得ない。
『口の利き方も知らない奴め』
軽口を吐いて連続した波は少しだけ収まっていった。
『儀式も始まった以上、ミトスもこちらに気を向けられないだろう。今の内に接近し急襲に備えるぞ』
ああ、と返してヴェイグは立ち上がり大剣を抜く。剣に熱と冷気が入り混じる。
屋根から飛び降りるも深い雪がクッションとなり衝撃は元より音も少量で済んだ。
民家の影に隠れたヴェイグはディムロスを強く握り締め、壁に身を納め様子を眺める――
『聞こえるかシら、ディムロス』
――もう一度、波が起きた。しかし微細な短間隔の波ではなく、大きくたった1度の波紋。
ヴェイグはディムロスを見遣る。コアクリスタルは輝いているが、反応はない。
支援
『今ノ位置ナら届くと思うノだけど』
『アトワイト!? 何のつもりだ』
『いいえ、ただ、話シてみたくナっただけ』
突然過ぎるアトワイトの通信に、ディムロスは何を話せばいいのか分からなかった。
疑念、というものが二義的にあったのも確かだが、
「そうか」と言うには味気なく、実のある話をするには2人の関係は冷戦下にあるようなものだと思った。
『……アトワイト、何が目的だ』
結局出てきたのは敵としての言葉だった。重く、冷え切った。
喉下で言葉が詰まったような、出来損ないの息遣いが聞こえていた。
『……位置が筒抜けだと言いたいノよ』
数拍置いて呆れ返ったような声でアトワイトは言う。
その反応にどことなく安心感すら抱いてしまった。
『だが、今のお前には手出しも出来ないだろう』
『確かニネ。腑抜けた貴方ニシてはまともナ判断ネ』
『そんな下らないことを言う為か? 儀式の最中に通信など、暢気でいられたものだな』
互いを傷付け合って重い沈黙が戸張のように降りる。
これの何処がかつての恋人同士の会話だろうか、と思うことすらおこがましいと感じた。
だが、空虚か失望か、奥底にあるものはインクが水に滲んでいくように、緩やかに遅々と広がっていく。
『悲劇が起こるわ』
アトワイトは歴然と言った。
『悲劇、だと』
『ええ、望まれザる、ネ。本当ニ、……本当ニ』
しかし、通信は次第にノイズ音を発し始め、アトワイトの声も聞こえなくなってきてしまった。
アトワイト、と名を呼ぶが、それきり何も返ってこなかった。
そして、立ち昇っていた光が消える。
彼はエターナルソードを雪原へと刺し、雪の中佇む眼前の少女を見据える。
少女の背に生えていた赤紫の羽がすうっと消えていく。
顔面に浮かぶ表情は大人の皮を取り払って、期待に満ちた輝きを隠そうともしない子供の顔が表れている。
胸元のソーディアンから発せられる光はどことなく弱々しいが、何も言わないアトワイトの前に彼は関心を寄せない。
少女は瞼を開ける。覗くのは赤い瞳ではなく、快晴の空のように澄み渡った碧眼。
それを見た瞬間、彼はぱっと表情を明るくし、彼女の下へと近寄る。
彼の顔はクルシス主導者としての冷淡かつ辛辣なものではなく、大人が時折見せるからこそ惹かれる無邪気なものだった。
姉様、と言った彼の言葉に反応して、少女は面を上げる。
「ミトス……」
だが、すぐにアトワイトをぎゅっと握り締め、顔を少し斜め下へと俯かせる。
「貴方はなんてことを……」
少女が本来持つ声とは違った、大人びた女性の声が彼の名を呼ぶ。
憂い気な声でも彼は疑問すら示さず、喜びを隠そうとしない。
「姉様? ああ、この身体のことですか? 少し理由があって、成長速度を速めたんです。
待って下さい。今、昔の姿に戻りますから」
まるで違う背丈の差の中、羽根が散り彼の身体が光に包まれ、大人の姿から元の少年の姿へと戻る。
身体が少年の時に遡っても、肩や足や脇腹の損傷は小さな背丈に合わせて形を相似に縮小しただけだった。
幼顔には無邪気な表情がよく似合う。目で受け取れる傷の酷さから連想されるその痛みをまるで感じさせなかった。
しかし、彼女は微かに首を振って目を閉じる。
少女の相貌でありながら、しとやかな振る舞いを見せる彼女は確かに人格は別人のものであった。
「ミトス、そうではないのよ。
私はずっと貴方を見てきました。動かぬ体で、ただなす術なく貴方がしてきた愚かな行為を。
こうなるのも、最早必然だったのかもしれない。この子を通じての私の声でも、彼らは来てはくれなかった。
いえ、届かなかったと言った方がいいのかもしれない」
固まった笑みを崩さないまま、彼は何を言っているの、姉様? と言わんばかりの困惑を見せる。
少年の顔には少なからず、歓喜とは違った感情が生まれ始めていた。
心が波立つ。小さな波紋はやがて大きく広がっていき、振動自体も強くなっていく。
吹雪のこうこうとした音が邪魔だ。耳なんて良くなくていい、もっと姉様の声を。
「せっかく新しい身体を用意したのに。やっぱりそれでは気に入らなかったんだね」
彼は少女の手を握り、何かに縋るように言う。
それでも少女は面持ちを変えず、どこか沈んだ色を見せる。
瞳がほんの僅かに差し込む黄昏時前の光に煌いた。
「ミトス。お願いです。私の言葉を聞いて」
じっと目を見つめ、哀願するかのような音色で少女は語りかける。
それでも変わらぬ彼の面差しを見て、少女は隠すようにふっと瞼を落とし、白妙の世界の中で重々しい影が彼女に落ちる。
「貴方のしてきたことは間違っている。
他人を傷付け、これほどの犠牲を払ってまで……私を生き返らせる意味はあったの?」
はたと風の音が消えた。
目の前で雪がちらつく。白い珠が彼女の顔を隠す。悲しむ顔を隠す。隠した雪が、ばらばらに崩れていく。
意味のない血の気が引いた。
この時くらいか、雪や空気が寒いと思ったのは。
「……間違ってるって? 姉様がボクを否定するの?」
「違うわ。思い出して欲しいの。こんなことは止めてもう1度昔の貴方に……」
彼女は頭を振って言うも、自分の手が強く握り締められていることに気が付いた。
あまりに強く握っているからなのか、そうでないのか、彼の手は震えている。
「姉様までボクを……否定するの? 姉様がそんなこと言う筈ない……」
彼女は不安げになって彼を見遣るも、既に彼は俯いていた。
するりと握っていた手が落ちていき身体の横へと投げ出され、拳が作られる。
ぎゅっと握り締められるのと同時に全身が小刻みに震え始めた。
「はは……ははは。あはははははは!」
頭を擡げ天を仰ぐ。
スイッチがオンとオフとで切り替わるように、彼の笑みが消え悪鬼の如く形相が浮かんだ。
「――そんなこと許さないからな!!」
喚き散らすように暴走した彼の魔力が四方八方へと炸裂していく。
制御もされていない火球が大切な少女の横を掠めていくが、それも彼には意識の埒外だろう。
少女が彼の名を呼んだが反応を示さない。
錯乱状態。絶好の好機。奇襲を行うとすれば今しか考えられなかった。
背後から頭部を一突き、もしくは斬首。
ミトスを始末した後はコレットを殺す。シャーリィに関しては状態を考えても後で構わないだろう。
……あれから、ディムロスは沈黙を決め込みつつも、激しく荒波を打っていた。
打っていたが、やがてそれも落ち着いていった。丁度、高所にある葡萄に手が届かず取れなかったように。
一瞥し、行くぞという合図とばかりに片手でディムロスを強く握り締める。
一気に踏み出そうとして、
「――――ッ……!?」
しかしびくりと身じろぎしただけで身体は止まる。
再び家の影へと身を隠し、両手で剣を握る。臨戦態勢を緩めたことに他ならなかった。
『どうした?』
訝るようにディムロスは問う。
「おかしい……反応が」
ヴェイグは首を振りながら答えた。意識を集中させ、フォルスを展開させる。
――白い白い世界の中を手探りしていくように掻き分けていく。
微かに蠢く存在。
碌な動きもなかった存在が、突如として弾かれるように走り出す。
その疾走は確かに謳われた二つ名に相応しく、雪上であろうと足を捕らわれることなく駆け抜けていく。
雪に埋もれていた細身の短剣を身体を屈め走りながら拾い上げる。
「彼」には見えていた。正式には、位置を把握していた。
冷気を貫くように足を進ませていく。目に雪が入ってくる。
白のカーテンが開き2つの人影が現れる。
我を失った少年の姿と前に立つ少女の姿、互いに互いしか見えていない。
更に速度を上げ一気に接近する。未だ気付かれていない。
「彼」の眼には既に金髪の一糸一糸が見えていた。
左腕を彼女の胴体へ、右手を口元へ。
少女が声を上げるが、彼が反応した時には既に彼女の身体は拘束されていた。
頭部から頬にかけての火傷。右手首にも同じく火傷があり、甲には穴が空いた形跡がある。
しかし括目すべきは右手よりも左手。手首を境目にして黒焦げており、そこから先はない。
服は寒さの中であろうとぼろぼろで、バンダナも少し焼け焦げている。
真芯に突き刺さった槍だけはどうやら蘇生術の影響もあって傷は癒えている。
当然か、組織の細胞を元に戻すのに初めから大幅に欠けていては世話ない。
この様子ならば見えない背には数箇所の刺し傷もある筈だ。
つまり、ヴェイグが察知していた反応はエクスフィギュアでもシャーリィでも何でもなく、
「どうして生きている……グリッド」
元の身体と支配権を取り戻したグリッドその人であった。
支援
スティレットを少女の喉に突き付け、もう片方の手で――といっても手自体はないが――身体を拘束するグリッド。
腕を巻きつけ全身傷だらけであるのに痛がっている様子はまるで見えない。
シャーリィに侵されでもしたか。少なくとも昨夜出会った時の間抜けそうな風貌は微塵も感じさせなかった。
グリッドに笑みといった類の表情が浮かんでいないことが、微動でもすれば弾け飛んでしまうほどの緊迫に更なる緊張感を添えている。
愛する姉が入った器が人質に取られ、彼はどうすることもできない。
互いに言葉を交わそうともしないので、尚更どうしていいのかも分からない。
喉の奥でわだかまった空気の塊を鋭く吸い込む。その僅かな音が沈黙を破った。
「目的は何だ」
低く抑えられた彼の声はボーイソプラノを通り越してテノールでもバスとでも言えたかもしれない。
グリッドは動じずに、更に少女の首筋の皮膚にナイフを添わせる。
何も言わないその行動こそが自分の言葉だとでも言わしめるかのように。
「まさか、何の考えもなく浅はかに行動を移している訳じゃあないよな?」
下手に手出しもできない彼は負け惜しみでも吐くかのように、端正な顔を引きつらせて呻く。
無表情なままのグリッドは彼を見据えたまま、更にナイフを進める。更に進めば皮膚が裂け血管が裂けそうであった。
金と茶の中間のような色を見せる髪に雪が穏やかに積もっていく。
グリッドは首筋に宛がった短剣をすっと降ろしていく。
彼が瞬時に攻勢をかけようとした刹那、グリッドは少女の左肩へと剣を突き刺していた。
「何だっけ?」
悲鳴の中、咄嗟の出来事に処理が追いつかない彼に対して、そうグリッドはにへらと言った。
苦痛の表情を見せる少女と反してさも困ったような面持ちを向けている。
「姉様に……姉様に何てことを……!!」
そして今何が起こり得たのかを理解したミトスは、色をなして、状況すら関係ないとばかりに飛びかかろうとする。
手に集束する光。人間1人に対して過剰なまでの威力を誇る光を放とうとして、
彼はやっとグリッドが更に少女を強く抱きしめていることを知る。
このまま放てば、姉ごと巻き込んで残骸すら残らない。
既に短剣は首筋だ。抜かれた左肩からは白衣を赤く染める程の血液が流れ、
もっと深刻なことに、黒く汚染された短剣の毒によって傷口はじくじくと泡を吹いている。
出血以前に、少女の身体の方が先に壊れてしまいそうだった。
「ええと、ああ、うん、そうだな。言うこと聞かないともっとこの子が傷付く羽目になるぞ」
緩い笑みを浮かべたグリッドに彼は異常なまでの嫌悪感を抱いた。
金まで至らずとも茶と表現するには色素の薄い髪、赤ではなく水色のバンダナ。
つまりは姉を殺したクレスの姿から由来するものであったが、そこまで認識する程まで彼は冷静ではなかった。
かと言って逆上するまで嚇怒する訳でもなく、無闇に手出しもできない彼に術は残されていなかった。
大剣のエターナルソードを扱うにはこの身体は些か小柄、
何より、姿は見えずともヴェイグに背後を取られている以上、下手に隙を見せる訳にもいかない。
「……一応聞く。要求は何だ?」
「そうだなあ。何がいい?」
押し殺された声にグリッドはとぼけた様子で言った。
ふざけた真似を、と彼は心中で怨磋を吐く。
激しく吹き付ける吹雪の唸り声が耳の中で残響する。
延々とリピートされるそれは時間の感覚を失わせ、一種のトランス状態へ至らせる程だと思えた。
相手が凍えるのが先か、少女の全身に毒がじわじわと回るのが先か。
睨み合いで全てを済まそうとするにはリスクの高い2択であった。
「……何故なのですか?」
雪が吹き荒れるだけの静寂、絶え絶えに息衝いていた呼吸が落ち着いてきた中、グリッドの腕内に拘束されている少女は問う。
びくり、と一瞬身体を跳ね上がらせた。ミトスには察知されない程度だったが、密着している彼女には震えは感じ取れた。
僅かに少女に面持ちを向け、否、俯いているのか、グリッドの視線は彼から外れていた。
「言えませんか」
静かな声だった。
「――いえ、語る理由もありませんか」
目にも留まらぬ速さだった。次の瞬間には、左上腕に剣を突き刺していた。
女の美声が苦悶に染まる。
姉様、と彼は叫ぶもグリッドは素早く短剣を抜き取り、尖鋭な切先を彼女の喉下へと向ける。
息を荒くし、ひきつった笑みが彼の形相に浮かんでいた。
思わず彼は手に光を集束させ攻撃に転じようとするも、向こうの少女は片手を辛うじて差し出し、彼を制する。
少女の瞳には苦しみを越えて悲しみの色で目が滲んでいた。
「貴方にそうすべき理由などない筈です。お願いです、剣を降ろして下さい。争う理由など何1つないわ」
短剣の矛先が震える。母親に縋るように強く締め、震える姿は子供のそれだった。
「だって」
笑みが消え鬱屈とした面持ちから実に情けない声が零れる。
「だって、こうしないと俺が消える。そんなの、そんなの嫌だ」
「何を意味を分からないことを!」
「俺は義務を履行してるだけだ! ただ、此処にいたいだけなんだ!」
グリッドの痛哭にも彼は侮蔑の笑みで返す。
「義務? シャーリィのか? それとも他の誰かのか?
どれにしたってお前の命なんか姉様とは比べ物にならないのに!」
彼は集中させたままの輝く手を突き出す。申し訳程度に剣が更に喉元へと突き付けられる。
「ミトス、止めて! 今はこうするべき時ではありません!」
「安心して姉様、そいつの頭だけ吹き飛ばすから。こんな野蛮な奴生かしておく方が危ないんだ!」
確かにコレットの身体はグリッドの背丈より小柄だった。幸か不幸か頭1つ分は抜け出している。
「……殺すぞ」
「逆に聞くけど、じゃあ殺せるの?」
一瞬グリッドの身体がたじろぐ。
「一瞬でも躊躇うなら無理だよ。お前には殺せない」
一気に詰め寄り、グリッドの顔前へと手を翳す。
「殺した時点で、お前の義務は消える」
大きく目の開いた形相に、にやりと彼は笑う。
チェックメイト。ナイトの駒を王の陣地へと差し出すように、手を差し出す。
しかし、目の前の相手は一度、彼を突き抜け彼の背後へと視線を遣る。
一瞬違和感に捕らわれ、足音に、気配に気付いたのはその次だった。
冷気が頬を撫でる。
背後に目を向けることなく攻撃を解除しテレポート。
貫くべきを失った剣に形成された氷の槍がグリッドの右肩を貫く。
予期していなかった激痛にグリッドは短剣を離し、拘束の緩んだ隙に彼女は腕から抜け出す。
グリッドの後方へと転移した彼は雪の中埋もれ、新雪に彩られたアトワイトを拾い上げる。
凍死者のように単なる物としては冷え切っていた。
冷たい矛先を、死を与えるかのようなそれを腹部に向かって突き出す。
振り向くよりも速く、事実に気付くのよりも速く、剣は飛び込んだ彼女の胸へと挿し込まれた。
「ミトス……だめ……」
グリッドが向いた時には、背から生える刃と動かない2人の姿があった。
背に、じわじわと真紅の染みが広がっていく。死が手を伸ばしていく。
曲刀を媒介に2人の身体は接し合っていた。
少女が血を吐き、少しの水滴が彼の顔にかかる。
彼の眼は忙しなく動き、焦点の定まらず、魚の眼のように大きくぎょろぎょろとしていた。
「昔の、貴方に戻って……」
彼女は剣を持つ彼の両手にそっと掌を添える。
刃を伝って流れ出てきた自身の血で、彼の手ごと赤く染まる。
「ボクが、姉様を、刺した?」
――庇われた。理解したグリッドの顔に驚愕と困惑が浮かぶ。
自分は、俺は、割れたキールの頭が入ってくるのを見て、やっと分かった。
あのキールの意思を、どれだけメルディを想っていたか知って、根底に何があるのか理解して、同時に手段がとてつもなく限られていることを。
だから、模倣であろうと、何もない俺には――――
彼女の身体が自然と後ろへと重心がかかり傾いていく。その表情は痛みの中に慈愛を確かに湛えていた。
どうして自分が傷付いているのにそんなに優しく悲しそうな顔を出来るのか?
最中に、ぞりゅ、と鈍い音がした。
下腹部を見遣ると剣が縦に飛び出ている。炎のレリーフが血塗れているが微かに見える。
再び振り向くと更に肉が切れ血が溢れていく音がした。
「お願い……争わないで……」
長躯の男が大剣を握ったまま立っている。真顔で、少しの苦さも混ざらず躊躇いのない面だった。
むしろ、幾許かの憎悪さえ見えた。
当然だった。俺があの時キールに憎しみを抱いたのと同じだ。
勢い良く剣が抜かれ、赤い飛沫が舞う。引きずり出された肉片も混ざっていた。
「何も……何も生まれない……お願い……」
折り重なるようにして、グリッドの身体は少女の上へと倒れていく。
彼女の身体は雪原の冷気の中では厭に熱かった。
けれども、彼女の命がどんどん奪われていっていることは確かに分かった。
同じ感覚を、熱と寒さが同居する感覚をグリッドも持っていた。
「グリッドの身体を乗っ取ってまで生き永らえるとはな……シャーリィ」
血反吐を吐くグリッドに切先を突き付けヴェイグは言う。
「ち、ちが、おれ、は」
力なくゆるゆるとグリッドは首を振るも、ヴェイグは阻止させるかのように更に剣を突き刺す。
碌な悲鳴も上がらなかった。
「……本当にグリッドならば、あんな卑劣な手段は取らない!」
グリッドは振り絞るように力を込めてヴェイグの方へと向いた。
熱り立った言葉はグリッドの変遷、もとい崩壊を知らないが故の言葉だった。
「ああ、お前、シャーリィなの?」
彼がふらりと立ち上がる。俯き加減で、長い前髪に表情は隠されて窺えない。
視線がグリッドの下に向けられていることだけが辛うじて分かる位だった。
「お前のせいで姉様がまた傷付いて、ボクにこうしてまた鬱積とした気持ちを募らせて、お前、何がしたいの?
そうだ。お前のせいだ、お前のせいで姉様が死んだんだ。お前のせいで、お前が、お前が殺したんだ、あははは」
俯首したまま曲刀だけが揺らめく。
「ボクが姉様を殺すものか……大好きな姉様を殺す訳ないじゃないか……」
声は実に虚ろで、消え入りそうな声はそれだけで胸を悲愴と恐怖で締め付けた。
前髪が風に開け瞳が覗く。黒く、光の消え失せた冷酷で牢乎とした瞳がグリッドを捉える。
「価値に残ると思うなよ」
その瞳も、直ぐに銀色の刀身と暗い影で視界が埋まり見えなくなった。
顔面に剣を突き立てられ、全身の至る所に剣が入り込んでくる感覚の中。
剣に篭った「シャーリィという存在への怨念」が末端まで身体を満たす。
意識が離れていくのと同時に、自分という存在がシャーリィに追い立てられ奥へ奥へと追いやられていく。
(ああ、そうか)
模倣とは他を真似ること、そこに己の意思は介在しない。
(俺、もう何処にもいないんだ)
ならば人質を取り立ち回ったグリッドという存在は初めからなかったのではなかろうか。
脚本すら演じられぬ只の凡人に舞台に立つ資格があるのだろうか。否、ある訳がない。
初めに顔に一撃を喰らい、視覚を奪われたのは幸いだろうか。
聴覚と触覚だけで把握する世界、
股関節に刃を入れられ腕を切り離され腹を抉られ人間の姿から掛け離れていくのを感じながら、自分は一体何だったのだろうとグリッドは思った。
雪は降るのを止めたが、雪原と冷え冷えとした空気は未だ残っている。
2つの、いや、1つの屍を隔てて2人は対峙する。
少女の華奢な体躯は上に被さった男の血で表情さえ伺えぬ程に真っ赤になっていた。
まるで、その血で傷も何もかも隠してしまうかのように。
ヴェイグは彼がグリッドを解体するのをただ見ているより他はなかった。
邪魔をした所でグリッドの死は揺るぎなく、彼も手を止めこちらに攻撃してきただろう。
つまり、手を出して変わるのは死体の形だけだ。そこに大した差はない。
キールもこうやってグリッドに襲い掛かったのだろうか、と血塗れたミトスと眺めながらヴェイグは思った。
幼くも辛辣な双眸がヴェイグを見つめる。
彼は曲刀を横に振るい血と肉を払った。嵌められたコアクリスタルはくすみ、光を発していない。
ディムロスが息を呑み、そして全て吐き出すように重い息をつくも既に届いてはいなかった。
「大丈夫」
彼は誰に言うともなしに虚空に呟いた。
「悲劇はやり直せる。姉様は死んでいないもの」
彼の眼はヴェイグの背後にある、雪原に突き刺さったままの魔剣へと向けられていた。
ヴェイグは、ディムロスの切先を彼へ、最後の1人であるミトスへと向けた。
儀式の最中のことである。
握り締められた剣に填め込まれたコアクリスタル、そこから発せられる光はどことなく儚く、
彼女を支配するアトワイトはまた異なった様相を見せていた。
当の支配されている側は何の表情も表れていない。
けれどもアトワイトは長らく発してなかった、歯を食い縛って堪えるような息を漏らす。
(……魂が大きスぎる……必然ね、コレットの場合は既に塞ぎ込んでいたのだから。
このままでは、私の方が耐え切れない……)
そうなれば意味がない。
アトワイトという外部端末の意識があったからこそ、コレットの身体は辛うじて肉体という形での生を保ってきたのだ。
(エクスフィア能力拡張、最低限を残シ全エネルギーを意識保持に集中。
例え一時的でも……今だけは、意識を失くス訳にはいかない)
意識レベルが安定するのを確認する。このプロセスを通してもマーテルの意識は大きい。
挫けるわけにはいかない。
姉のマーテルを復活させる。それがマスターであるミトスの本願。
ならば、マスターに忠誠を誓う自分が朽ち果てる道を更に歩もうと、阻害してはならない。
構わない。道具としての何よりの存在意義だ。
いざとなれば、全エネルギーを放射してでも儀式を成功へと導く。
それにきっと――姉が復活することに比べれば、いずれ訪れる消滅など、些細なことでしかないだろうから。
ふと、アトワイトは流れ込んでくる感情を感じ取って、己の破壊はもっと些細なことになるだろうと悲しんだ。
それでいいのだ。誰にも愛されないことが堕ちた自分には相応しいのだから。
片手を頬の辺りへと遣り、静かに目を閉じる。
道具というものは、通常己の本分を越えることはない。何らかのイレギュラーがなければ成し得ないだろう。
しかし、もし道具が己の本分を越えようとするならば、それは人間と同様ではないだろうか。
常に人間というものは我が身を上回る本分を求めがちになってしまうもの。
そういう意味では、アトワイトもまた例外ではなかった、ということだ。
頬へ当てていた手を髪の方へと伸ばし、繊細に動く指が髪を少し払わせる。
殊に、恋愛は障害が多いほど炎は燃え盛るという俗説があるが、果たして本当なのだろうか。
コレットでさえ、腑抜けたと思った最愛の王子は立ち上がり、時遅くとも姫の下へと奔走した。
陰ではどんなに羨ましかったことだろう。いい年になってまで少女のような御伽話を夢想するのも恥ずかしいが。
傷付くならば、期待しても裏切られるだけの愛ならば破棄してしまえ。決断したのは何よりも自分自身。
だというのに、羨ましいという情に未だ囚われるというのなら、今こうして想っているというのなら、
自分はもっと傷付き裏切られたいとでもいうのか。
そうしてアトワイトは自身の感情がどこから発露されるのか、やっと気が付いた。
「最早叶わない」から、安心して想いを馳せることができるのだ。
最後にもう1度裏切られることが分かっているから。
ふっと面を上げ空を、家々の屋根を見上げる。
白く見通せない。不透性の壁が目の前で何枚も何枚も重なる。見えない筈なのに、本当はない筈なのに壁はひどく重かった。
ラディスロウの外で吹雪く雪も、こんなに強かっただろうか。想いのベクトルも、未来ではなく過去へと向かっていく。
(貴方も見えないでしょうに。そこから私を見下げ、何を想っているのでしょうね、ディムロス)
最後に聞いた声の、語尾の絞り出すような声音をディムロスは聞き逃してはいなかった。
ノイズの中言うのだ――あんな、切ない声を出して。
【ヴェイグ=リュングベル 生存確認】
状態:HP45% TP30% リオンのサック所持 左腕重度火傷 絶望 深い怒り 極めて冷静
両腕内出血 背中に3箇所裂傷 中度疲労 左眼失明 胸甲無し 半暴走
エクスフィギュアの正体を誤解 キールの惨たらしい死に動揺
所持品:ミトスの手紙 メンタルバングル 45ACP弾7発マガジン×3 ナイトメアブーツ ホーリィリング
エメラルドリング クローナシンボル フィートシンボル
基本行動方針:優勝してミクトランを殺す
第一行動方針:ミトスを殺す
現在位置:C3村中央広場・雪原
【SD】
状態:自分への激しい失望及び憤慨 後悔 ヴェイグの感情に同調 感情希薄? エクスフィギュアの正体を誤解
基本行動方針:優勝してミクトランを殺す
第一行動方針:ヴェイグをサポートする
第二行動方針:ミトスの戦力を見て分析する
現在位置:C3村中央広場・雪原
【ミトス=ユグドラシル 生存確認】
状態:HP40/50%(毒特性:最大HPカット) TP60% 良く分からない鬱屈 頬に傷 右腿裂傷 右肩貫通 左足指欠損 左脇腹裂傷
所持品:ミスティシンボル 大いなる実り ダオスのマント(治療に消費) キールのレポート
エクスフィア強化S・A(故障により晶術使用不可。アトワイトの人格は消えています)
基本行動方針:マーテルを蘇生させる
第一行動方針:エターナルソードを奪取する
第二行動方針:時間を戻し、マーテルを復活させる
第三行動方針:失敗した場合は優勝してマーテルを復活させる(但しミクトランの優勝賞品はあてにしない)
現在位置:C3村中央広場・雪原
放置アイテム:
プリムラ・ユアンのサック リーダー用漆黒の翼バッジ メルディの漆黒の翼バッジ ダブルセイバー 魔杖ケイオスハート
苦無×1 ピヨチェック ホーリィスタッフ エターナルソード
【コレット=ブルーネル 死亡確認】
【グリッド 死亡確認】
【残り2人】
神? そんな都合が良い存在はこの世には無い。
万に一つ、居るとしても。こんな現実を叩き付ける奴が果たして神と呼べようものか。そんな愚かな神、こちらから願い下げだ。
それ故ポジティビズム。
今、俺はこうして誰の手も借りず理想を追求している。
たがその理想は、本当に理想としての意義を全うしているのだろうか?
こうして“理想”と豪語しておいて何を今更、と言われるかもしれない。
確かにそう。しかし俺の中の理想は果たして“理想”として正しいのだろうか。これは完全なのか?
こうしてこんな些細な事を考えるのは果てしなく意味の無い事だと思う。けれども、俺は本当にそうしたいのだろうか? それを考えずには居られないんだ。
迷い、じゃない。もう道は決めている。引き返すつもりもさらさら無い。
これは只の葛藤。
不完全で漠然とした理想は理想と言えるのか? 答えは否。元から破綻してるじゃないか。
“完全”なのが理想だ。
雲の様に捕らえどころが無く、霧が掛かった様に鮮明な姿すら分からない、漠然としたイメージ。
こんな形なのだろうか、と予想しているだけ。それが理想の形と一致していると思っているだけだ。或いは、無理矢理その形にしているのか。
何れにせよ、何て脆いんだ。脆くて脆くて薄くて薄くて儚くて、無いに等しいじゃないか。
いや待て。俺を動かしているのは理想だけなんだ。それが無いに等しいならば、俺に何が残ろうか?
自分はゼロなのだろうか?
嫌だ、怖い。ゼロになるのは怖い。
俺は俺じゃなくて、ゼロ?
中身が何も無い。理想も、意味も無い?
それは最早ヒトあらざる存在じゃないのか?
俺はヒューマじゃ、ヒトじゃない? 違う、そんな事は無い筈だ。
こうして手がある。足もある顔もある。俺はヒトじゃないか。
……中身が無くとも?
じゃあヒトの形をした機械や人形もヒト? 果たして一概にヒトの形をしているモノ全てがヒトであると言えるのだろうか。いや、言える訳がない。
人形は人形で、機械は機械だ。
一義的なのは中身と器なのだ。ヒトは、中身とそれを受け止める器が揃って初めてヒトなんだ。
料理だって同じ。どれだけ美味しそうな料理でも器、つまり皿を蔑ろにする事は出来ない。
……受け売りだがな。
中身と、器。それが揃って初めてヒト……。
スカスカな俺はヒト?
漠然とした靄を無理矢理理想に仕立て上げ、それを生きる理由にしている俺は、ヒト?
馬鹿な。その疑問自体が馬鹿馬鹿しい。こうして思考している事はヒトである証明に成し得る筈。
俺はヒト……ヒトなんだ。
欲求だって、当然ある。
『飢え』『渇き』『排泄』『睡眠』
確かにある。しかしそれは、ヒトである証拠か?
生理的欲求。下らない。バイラスと一緒のレベルじゃないか。
足りない。俺はヒトでありたい。
『恐怖からの回避』『安全確保』『苦痛からの逃走』
安全欲求。駄目だまだ足りない。
もっと高次元へ。ヒトである為に。
『所属』『愛情』『親和』
愛情欲求。……おかしい。俺にはそんなもの無いぞ?
馬鹿を言え、そんな筈は無い。俺はヒトなんだから。
『尊敬』『承認』『支配』『名誉』『地位』
尊敬欲求?
『自己達成』『生き甲斐』『理想』
自己実現欲求?
おかしい、無いぞ?
違う?(違わない?)
何処で、落としてしまったんだろう。
俺は―――。
暫く経っただろうか。
降雪は止むがしかし厚い黒雲は晴れる事無く、寒く、薄暗い張り詰めた空気の中彼等は対峙していた。
時刻を確認する隙は無い。が、恐らく空は橙から完全に深い青紫に変わっている頃だろう。
放送された禁止予定エリアも既に全て禁止エリアとなっている事も想像に難くない。
最後の二名、ミトス=ユグドラシルとヴェイグ=リュングベルは静かに互いを睨んでいた。
雪が降る夜は物音一つしないと言うが、正にその通りかもしれない。
重い静寂はただ冷気として虚空に溶けてゆく。
「……どけよ。僕は暇じゃないんだ、姉様が待ってるんだからさ」
最初に静寂を切り裂いたのは数秒の間に痺れを切らせた天使、ミトス=ユグドラシルだった。
しかし激しさを増す天使の剣幕に怯む事無くヴェイグは冷静に様子を伺う。
この少年が今少なからず冷静さを欠いているのは明瞭。だがそれも長くは続くまい。
奴の手はロイドから聞いているし、先程のシャーリィとの交戦も見ている。充分分析も出来ているつもりだ。
早く決着を付けたいところだが、安易に考えてはいけない。
ミトスは、強い。
それは例え天変地異が起ころうとも揺るぎない事実であるからだ。
「マーテルがそんなに大事か」
ヴェイグは柄を持つ右手に力を込め、右足を一歩踏み出す。
熱エネルギーを無視した汚れ無き雪の結晶達はそれにより騒がしく演舞を披露した。
「姉様の名を汚らわしい口で出すな―――」
低く、唸る様な声でミトスは呟く。
本当なら今にでも八裂きにしてやりたい。しかし今は何よりも冷静さを取り戻さなければ。
ミトスは喉元まで上がっている地団駄を踏みたい気持ちを押さえ付ける。
ここで冷静にならなければ、簡単に死ぬ。
それを理解していたからだ。見た目が少年とは言え、四千年の経験は決してお飾りでは無い。
「―――殺すよ?」
ミトスは左手をヴェイグに向けた。同時に七色に輝く光が左手に集中する。
瞬く間にその光は濃度を増し、光弾となりヴェイグへと放たれた。それと同時にミトスはアトワイトを構え走―――否、空間転移。
光弾を横に飛びながら避け、ヴェイグはその瞬間をしっかりと目の端で捕らえていた。
ヴェイグはミトスの空間転移を先程見て理解していた。
僅かに生じる転移前のタイムラグ、転移可能な半径。
ディムロスの助言やロイドの話からもそれらは確かな情報だった。
故に先程はミトスの転移限界の間合いを常に取っていた。
従って、アトワイトを構えたのは直接攻撃だと思わせる為のフェイクだとヴェイグは理解していた。
詰まり、結論を述べるとこの空間転移の意味は直接攻撃では無く、
「消えろ―――レイ!」
詠唱の為だという事!
ヴェイグにはミトスの位置は確認出来なかった。しかし今それは問題では無い。
ヴェイグは極めて冷静だった。
来るのが魔法であると分かっている以上は、相手の位置は大した問題じゃないと理解しているのだ。
「残念だがな、ミトス」
光の球体が片目の青年の頭上に現われ、光線を発射せんと膨張する。
しかし……見切っていた。ヴェイグは見切っていた。頭上より降り注ぐ光線を。
ロイドからレイという技について聞いていたから、という理由も確かにある。
「俺の世界にはその技の上を行く術があるんだ」
しかしヴェイグがレイを完全に見切ったのはそれとはまた別の理由があった。
ヴェイグの世界、カレギアにはレイを超越する手数と速度を持つ上級術があるからだ。
双方の術を威力を除いて比較すれば、そこには天と地の差があった。
故に、躱せる。
「何百何千とこの目に収めてきた」
襲い掛かる光線をヴェイグはフットワークを駆使し躱してゆく。
この程度ならば、絶・瞬影迅を使うまでも無い。
「だから、」
最後の一撃を躱すとヴェイグはミトスを見つけ走る。
構えられた剣には熱気と冷気が集い、気流の衣を纏っていた。
対するミトスはそれを見て歯軋りをする。
避けられた、僕のレイが? 馬鹿な、上級術だぞッ?
くそッ、調子に乗るなよ劣悪種如きがッ! こんな場所で足止めを喰ってる場合じゃない、早く姉様に会わなきゃならないのに!
ああ駄目だ、冷静になれ……!
最早ミトスは客観的に自身を見る事が出来なかった。冷静になるつもりが脳に募るは焦躁と苛立ち。
しかしミトスはそれを把握する事すら叶わない。それ程までに混乱していた。
駄目だ、ここは冷静にならないと。相手の能力は未知数なんだ。
それに先程の動きと間合い。僕の術を知っている? おのれ、何処からのソースだ。
……ああ、ロイドか。
ええい、こんな簡単な事も忘れているなんて僕らしくない。クールになるんだ。
あらゆる状況に最善策で対応する為には、冷静になる事が大切だとミトスは理解している。
「その程度の技で俺を捕えられると思うな―――風神剣ッ!」
地面に向かって風神剣!?
「……ッ」
ミトスは心底嫌そうな顔をした。
真逆、こう来るとは。
乱気流の塊は地面に積もった粉雪に乱舞を命令する。
粉雪は当然、抵抗する事無く命令されるがままに舞いを踊った。
ミトスは軽く舌打ちをした。
パウダースノウの目眩まし、か。どうやら頭はそこまで悪く無いらしい。
……このフィールドは自分に不利過ぎる。奴は地の利を最大限に活かしてくるだろう。
このままでは全身に刃を向けられているまま闘うようなものだ。かと言って炎で焼き払うとなると精神力消費が痛い。それに雪に炎は相性が悪過ぎるし、焼き払う隙も無い。
已むを得ない、気に食わないがこのまま闘うしか無いか。
「何時まで隠れんぼしてるつもり? いちいち遊んでる程暇じゃないんだけどね」
後ろ、前、上、右、左。さあ何処からでも来い。
ミトスは目を閉じた。こう粉雪に舞われては天使の目も役立たず。そう考え耳だけに神経を集中させたのだ。
と、微かな物音を天使の耳が捕える。
(背後ッ!)
ミトスは脊髄反射並、いやそれ以上のスピードで後ろを振り向き光弾で牽制する。
しかし。
「霜柱、だと」
光弾が砕いたのは人の頭では無く、巨大な霜柱だったのだ。
「天使は耳が良いらしいからな……悪いが利用させて貰った」
ミトスの左側から現れたヴェイグにより、フィートシンボルで強化された一撃が振り下ろされた。
「……見掛けに依らずお喋り好きみたいだね」
丁度高い金属音が鳴り止む頃にミトスが呟く。
ディムロスは逸早く刀身をして金属音の正体を感じ取った。
アトワイトだ、と。
間一髪。ミトスは胸を撫で下ろした。
危ないところだった。奴が喋らければ場所、タイミング共に特定出来なかった。
神なんか居ないと信じてきたが、この瞬間だけは感謝してやってもいい。
「ほざけッ!」
ヴェイグは確信していた。
先の太刀筋は確実にミトスの胸を薙払う一撃だった筈。
それが防がれた。
確信した事実をひっくり返される事程の屈辱は無い。
衝撃で舞った雪によりミトスの姿は見えないが、恐らく1ミリたりとも負傷していないだろう事は想像に難くない。
「雪の目眩ましとはなかなかだね、称賛に値するよ」
やっと冷静になれたよ、感謝してやる。
ミトスはクルクルと紋章を回しながら嗤った。
……そう、目眩ましは御互い様。
「けどさ劣悪種」
先ずディムロスが異変に気付く。異常な程早い魔力の収束、しかも強力な。
いかん、これは。
「詰めが甘いんだよ―――ホーリーランス!」
剣士の最大の利点であり同時に弱点であるもの。
それが接近戦に固定される点である。
目眩ましによる術士への接近はミトスの経験上想定の範囲内であった。尤も、雪を使ってくるとは思っていなかったが。
……しかし対するヴェイグは。
「甘いのは、」
一枚、上手だった。
シャーリィとミトスの戦いから、ミトスを倒す事は一筋縄では行かないという事実は明白であったからだ。
油断は大敵、それ故にヴェイグの頭の中では常に最悪のパターンのみで構成されていた。
従って術撃による接近戦の防衛行動は想定の範囲内ッ!
「貴様だ―――――幻魔ッ、衝裂破!」
繰り出されるは神速のバックステップから放たれる絶対の攻撃範囲を持つ十字斬り。
五本の聖なる槍の焦点から体をずらす事により術を華麗に躱し、向こう側に現れるその巨大な十字はミトスを血塗れにすると思われた―――が、しかし。
『ヴェイグッ! 避けろ! 左だッ!』
突然の叫びは期待する天使の苦痛に塗れたものでは無くディムロスのモノで、返事をされる事無くそれは虚しく暗雲の彼方へと消えて行く。
刹那、ヴェイグは手応えが無い事に気付くが時既に遅し。
「二度言わすな、羽虫」
その未だに余裕すら感じ取れる声は寒気がする程ゆっくりと、ヴェイグの前方からでは無く目を失った方の耳元で囁かれた。
「甘いのは、お前だよ」
(死角ッ!)
ヴェイグがその事実に気付きミトスへ顔を向ける瞬間に“それ”は起きた。
“それ”って何? と聞かれるかもしれないが、ヴェイグには何が起きたかが分からなかったのだ、体感したものを“それ”としか表現出来なかった。
ヴェイグは戸惑った。脇腹に猛烈な痛みを感じ、更に自らの足が得も言われぬ浮遊感に襲われたのだ。
突然のそれに感覚器官が麻痺する。従って何故こうなったかをヴェイグには知覚出来なかった。
浮遊感と同時に残された眼球に映された景色が那由多の線で構成される。
御世辞にもその一枚絵は芸術とは言えない。
「な、にッ!?」
地面から足が離れた? 横腹が熱い!?
何だ? 何をされた? 一体何が起こっている?
この浮遊感……! そうか、俺は吹き飛ばされたのか!?
しまった、ならば早く受け身を……ッ!?
「ぐえぁッ!」
しかしそこに至るまでには少々時間が掛かり過ぎていた。
激しい破壊音と共にヴェイグに襲いかかるは全身が何か固いモノにこれでもかという勢いで打ち付けられる感覚。
蛙が潰れた時に口から出す様な音と血が混じった粘液を口から発してヴェイグの体は瓦礫に埋没され、沈黙した。
「……教えてやるよ劣悪種」
石壁の崩れる音が止み、その余韻を楽しむかの様に演奏される土埃と粉雪の二重奏。
その向こう側でミトスは抜き取ったエターナルソードを手の中でクルクルと回しながら、呟く。
まるで旋律を楽しむ指揮者の様に。
息一つ乱す事無く、力の差を見せつける様に、綽然とした態度の天使は更に続ける。
「お前はどう足掻いても、僕には勝てない」
土埃が去り、瓦礫から辛うじて覗くコアクリスタルは、その奥に一人の天使を認めた。
絶対的無慈悲な力を持つクルシスの指導者、ミトス=ユグドラシルという名の天使の姿を。
しかし確かに一瞬、ディムロスには本来天使を意味するその輝く羽が悪魔の羽に見えた。
その悪魔……もとい天使はエターナルソードをサックに入れつつ再び口を開いた。
「理由は簡単。経験の差だよ。決して埋め様の無い千年の経験の差がお前と僕にはある。
先の攻防で分かっただろう? もう諦めたらどうだ」
ヴェイグは瓦礫の中からゆっくりと起き上がる。遠目で見ても分かる程激しく肩で息をしながら。
横腹にはアトワイトに突かれた傷があった。とても浅いとは言えない傷。
しかしその傷は凍り付いている。いつの間に止血したのだろうか。
手際の良さに一瞬驚くが、その脆弱な体にミトスは鼻で笑った。
所詮、血を失えば死ぬ脆いタンパク質の塊。視界に入るだけで反吐が出る。
そのタンパク質の塊……もとい、固有名ヴェイグ=リュングベルは覚束無い足取りで数歩進み、瓦礫に足を取られ倒れそうになるもディムロスを地面に突き刺しバランスを取る。
「……ら……だ」
銀髪は土色に汚れだらんと垂れ、顔を隠している。
右側の頭部を打ち付けたのだろうか、右側の銀髪は血が滲み赤に染まっていた。
「何だと?」
ヴェイグは荒れ果てた瓦礫の山からミトスの顔へと視線を上げた。
天使の顔に浮かぶはよく聞こえないな、という表情であり、それ故大きく息を吸って再び、
「……諦めたらそこまでだッ!」
言い放つ。
その眼光は埋め様の無い力の差を見せ付けられても尚、鋭かった。
それを見たミトスは一瞬目を細め、陳腐な戯言だと言わんばかりにハン、と鼻で笑う。
「あはは……馬鹿じゃない? お前さ……この差を諦めない事だけで埋められるとでも思ってるの?」
思ってる、と言う代わりにヴェイグは剣を抜き、そしてふらつきながらも目の前で構える。
ディムロスはただ無言でミトスを静観する。
「やってみなければ! ……やってみなければ、分からない事だってある。柔能く剛を制すと言う様に!」
「詭弁だね。もう結果は見えてる。
お前が、負けるってね」
しかしヴェイグは気圧される事無く言い返す。
無謀は元より承知、故にヴェイグは諦めない。
「俺は決意した。選択したんだ……この世界は間違っている。だからミクトランを殺し全てを終わらせる……その為には、絶対に、負けられないッ!」
気に入らないな。
ミトスは目を細め歯を軋ませた。
非力な劣悪種如きが何をほざくか。身の程知らずが。
「気に入らない、気に入らないね……お前のその考え、その根拠の無い自信……。弱卒が大口を叩くなよ」
決意だって? 違うね。こいつは大きな勘違いをしている。しかもそれに気付いてすらいない。
実に腹立たしい、そして愚かだ。
こんな馬鹿が最後の相手だなんて、今日の僕はとことんまでついてないみたいだ。
「何とでも言え。お前がどう思っていようが、お前が何処の誰だろうがッ! 俺はお前を斬り伏せて行く! ……それだけだ」
ヴェイグは左手を顔の前まで上げ、地面と水平に振りながらミトスを睨み付ける。
「それは虚栄か? 驕りが過ぎるぞ、劣悪種」
ミトスの声は震えていた。
今直ぐ殺してしまいたい。が、そう簡単に殺せる相手じゃない。
人となりや性格は兎も角、曲り形にもここまで生存した人間。僕も万全の状態じゃない。
決して評価を怠ってはいけない。
ミトスは喉から溢れる殺意を抑える様に拳を握り締めた。
「驕っているのはあんただろう? 過信と慢心は隙を生むぞ」
それはクラトスの口癖だ!
軽々しくお前が口にするなッ!
「もうお前と話していても時間の無駄だ……」
低く、震える声で唸る様に呟く。
スカーフが風に靡き、雪の結晶がその布に触れた。
それを合図にミトスが光に包まれる。
『ヴェイグッ!』
「分かっている!」
空間転移!
しまった、間合いを取る事を忘れていた……俺とした事がッ!
座標は―――?
「……実力で排除させて貰う」
―――真後ろッ!
刹那、高らかに金属音が鳴り響く。
「分かり易くていいな……あんたと俺、どっちが強いか、試してみるか?」
衝撃波により二人を中心にして地面に積もった雪が舞う。
見事なまでのパウダースノウ。御互いが地熱で結合する事も無く、結晶の状態のまま空中を舞う。
これで太陽の光さえあれば正に擬似ダイヤモンドダスト。
しかしそれだけに戦闘では目障り。
溶ける事が無いのは煩わしい、とミトスは思った。
「“試させて”やろうか?」
やはり、空間転移での奇襲も二度は利かないか。
魔力を込めたアトワイトはディムロスの剣の腹に綺麗に収まっていた。
ミトスは喋った後に軽く眉を顰めた。
「その驕慢な態度をどうにかしたらどうだ―――絶・霧氷装」
対するヴェイグは確かにソーディアン同士が接している事を確認すると、にやりと笑った。
「右腕を貰う」
「……ッ? これは!?」
瞬間的にソーディアン・アトワイトと自らの右手が凍り付いてゆく様を翡翠色の瞳が認める。
しかし極限のピンチが逆にミトスに冷静さを与えた。
不思議な昂揚感。全身のありとあらゆる神経と感覚が研ぎ澄まされる感覚。
ああ、これだ。久方振りに感じる戦闘への血沸き。
全てがスローに感じる。一歩間違えば死、極限の世界。
動き方、いなし方。体が覚えている。
そうか、僕も生粋の戦士なんだな。
ミトスの眼光が鋭く光る。
皮膚はもう完全に凍ってしまっている。仕方無い。最善策へ移る。被害が最小限のうちに。
このまま右腕をくれてやる位ならば獲物程度は。
「……壊れた短剣くらい、くれてやるさ」
ミトスは剣を魔力でコーティングした左拳で払い、無理矢理右拳を引き剥がす。
皮膚と僅かばかりの肉が剣に盗まれるが、今はそれを気にしている場合では無い事をミトスは理解している。
そして拳の違和感を無視し同時に腰を捻り回し蹴りを繰り出す。
対するヴェイグは咄嗟に腹筋を固める。蹴りが早い、ガードは不可能、との判断からだ。
「ッぐ……!」
本来ならば確実に口から血と胃液を吐き出す蹴りをヴェイグは受ける。腹筋を固めていても矢張りダメージは小さくは無い。
その口から唾液を吐きながら吹き飛ぶヴェイグは激痛に襲われていた。
只の華奢な少年の回し蹴りの次元を超えている、と素直に思う。
「……濁流に呑まれろ」
と、痛みに目を細めるヴェイグの耳に微かに入る声。
脳内で鳴る警告音。痛みを忘れ目を開いた。―――しまった、詠唱か!?
数メートル足を引き摺られながらもミトスを睨む。
大量の雪がヴェイグの足により左右に大波を作る中、地面の露出により生じた一本道の先に天使は居た。
青い光に包まれ、その腕には確かに反応する紋章。
矢張り詠唱だ、早く回避をしなければッ……!
「―――スプレッド!」
紡がれた魔法により地より出立し水流は、青年に避ける隙すら与えず牙を剥いた。
ミトスは溜め息を吐く。
その白い息が大気に混ざり消えて行く様を見届けた後、体に積もった煩わしい粉雪を払いその白樺を思わせる大樹へ目線を移した。
何だよ、“これ”。
「この広場に大樹なんて無かった筈だけどね?」
呆れた顔でそう呟き向こう側が望める大樹へ嘲笑を浴びせる。
よく見ると自分の顔がその大樹へ映っていた。自分のやつれきった顔を見ると、流石にもう笑えない。
シャーリィめ、僕の顔によくもこんな傷を、と思った時。大樹の頂上から水晶を彷彿とさせるカケラが降って来た。誰かが故意に落としたのだろう。
ミトスはそのカケラを目障りだと言わんばかりに踏み砕く。
飛び散る結晶は見た目の綺麗さに似つかわしくない鈍い音を立てて沈黙した。
「……随分派手で場違いなオブジェじゃないか。悪趣味だね」
独り言にしては大きめの声で呟き、氷の大樹の頂上に立つそいつを見上げた。
目線が合い、何秒か御互いに睨み合う。
「……あんたの翼程じゃないさ」
その沈黙を破るは大樹の頂上に立つヴェイグ=リュングベル。
ディムロスに凍り付く土産をサックに入れながら、溜息を吐く。
ミトスはそれを見届けると肩を揺らして笑った。
「なかなか笑える冗談だね」
「冗談は昔から苦手だ」
ミトスは顔を引きつらせ、再び溜め息を吐く。
―――全く、喰えない奴だよこの劣悪種は。
「……あっそ。
やれやれ成程ね。お前に水属性の魔法は利かない、か」
「そういう事だ」
スプレッドを発動した瞬間、この劣悪種ヴェイグ=リュングベルは剣を下に向けた。
最初は何の真似をと思ったが、理由は直ぐに分かった。何故なら現れた水流が片っ端から全て凍っていったからだ。
その結果がこの巨大過ぎる大樹。
氷の使い手だとはキール=ツァイベルから聞いていた。が、脅威にはならないだろうと対策を考えて居なかった。僕は馬鹿だ。
何とかなるかと思っていたが、なかなかどうして闘り辛い相手だな。
半端な炎系の魔法も効きそうに無い。
氷系の魔法も効かない可能性が高い。最悪、地属性の魔法も無効化されるか? 水分が土にあれば凍らされてしまうからね。
闇、無属性の魔法を僕は使えないから……。
となると雷、光、風か。僕が得意とする光属性の魔法が効くのは助かるけど……面白くない展開だね。手札がここまで制限されるとは。
……まぁいいか、別に。どうせ殺すんだし。
「でもさ、呑気にそんな場所に立ってていいのかい?」
ミトスはミスティシンボルを左手で回す。極限にまで詠唱を短縮した術は唱えられようとしていた。
それに伴いマナが緑色の光と法陣を織り成す。
「知ってるか、ミトス?」
ヴェイグが上空で剣を構えながら口を開く。
ミトスはヴェイグを睨め付けマナを編みながら応答した。
「何をだ?」
「極寒の地ではな、しばしば雪が災害になる事があるんだ。
俺の世界ではノルゼン地方のモクラド村周辺にその現象が起こる」
嫌に落ち着いた声だった。不快感を覚える程に。
怒気や覇気といった類を感じさせない、事務的な声。
この天候の様に、不鮮明な発声目的。
ミトスは怪訝そうな表情を浮かべた。
意味が分からない。
急に何を言い出すんだ、こいつ。寒さに当てられて頭でもおかしくなったのか?
僕の詠唱が見えていないのか?
「雪崩かい?
知ってるけど、それがどうしたんだよ。ただの独り言ならチラシの裏にでも書いておくんだね」
「いや、雪崩じゃない」
俺は、シャオルーンと共に世界中を巡った。
様々な変わった生物や自然現象をこの目に収めてきた。
スールズに籠ったままでは決して体験出来ない事を沢山体験し、勉強した。
本で読んで知るより、自らの目で見た方が百倍勉強になると知った。
これはその旅の途中発見した自然現象。時に美しい白銀の粉雪が猛威を振るう。俺は自然の恐ろしさに震撼した。
黒豹のガジュマがそんな俺を見てその現象を解説してくれたんだったか。
解説の最後に彼はこう付け加えていた。
“物事には全て二面性がある。美しさの裏には必ず人を恐怖に震わせるグロテスクな部分があるんだ。これはその典型だな”
真逆、こんな所でその知識が役に立つとは。
「語ってるところ悪いけど、これ以上お前の独り言に付き合ってる暇は無いよ」
ミトスは大きく息を吸う。
術式は大方完成した。
奴が何を考えて独り言を言ってるかは分からないけど、そんなの関係無いね。
「上空の気流の影響で出来た巨大な雪玉が地上に落下する現象だ。それを、こう呼ぶ―――」
術の名を叫ばんと口を開けたミトスはここで漸く異変に気付く。
“暗い”。そう、有り得ない程急激な変化。これは時間の変化に拠るモノじゃない。暗雲が浮かんでいるんだ。
しかし何故だろうか。“暗い”という表現に微妙なニュアンスがある。
ミトスは地面へと視線を泳がしその理由を理解する。
暗いのは自分の周りだけ、円形の影が時間と比例して直径が大きくなり……真逆ッ!?
そもそも、暗雲が晴れない理由が分からなかった。何故雪があんなに都合良く止んだのか? 雪は止んだにも関わらず何故暗雲は消えなかったのか?
おかしいとは頭の片隅で思っていたのだ。
背中に嫌に冷たい汗が流れる。油断していた。完全な僕のミス。
少し考えれば分かる事だった。
奴のアレは只の独り言じゃなく……ッ!
不味い、とミトスは小さく呟く。そして未だかつてした試しが無い程までに凄まじい勢いで上を向いた。
「なッ……!?」
な、何だこれは!?
ミトスを襲ったのは正に開いた口が塞がらない、そんな状態であった。
“な”の発音の状態のまま口が固まる。
本人は発音したつもりは無いのだが、矢張り人間は予想外の展開に遭遇した場合“な”や“え”、“ちょ”としか言えないのだろう。そして、同時に無意識の内に言ってしまうのだろう。
詠唱は何時の間にか破棄され、瞳孔はこれでもかと開く。
瞬きをする行為すら脳は失念し、瞳孔を開く作業にだけ全エネルギーを捧げた。
突拍子も無い巨大な雪玉に驚きを表す事しか出来ない程、ミトスの脳内は混乱していた。
いや、しかしそれは当然。この馬鹿みたいな雪玉を見て混乱しない方がどうかしているだろう。
……何だよこれ。意味が分からない。雪の塊? 巨大過ぎる!
い、いや、違う。そ、そんな事より回避だ、回避をッ!
間に合わなッ……!
「―――スノーフォール、とな」
フォルスによって作られた人知を超えたサイズの巨大な雪玉は天使の顔に濃い影を落とす。
この広場で三つ目の最高に場違いなオブジェが、二つ目のオブジェを喰い殺そうと覆い被さる。
鼓膜が震える程凄まじい爆発音は終焉を告げる音となるか、はたまた第二ラウンド開始の音となるか。
大樹の上に立つ一人と一本はその音と様を冷静に見届けた。
オブジェが落下した衝撃により雪が舞い、更に足場に罅が入る。地響きも尋常では無い。
これが残り二人の状況で無ければ、この上無い自殺志願届に成り下がっていただろう。
圧死しただろうか、と右脳で考えるが、安直だ、と左脳が否定した。
しかし直撃したのだから五体満足では居られまいという意見は両方の脳のディベートにより可決されたようだった。
相手はあのミトス=ユグドラシル。だがあの速度に加えてこの重さの雪玉を直に食らえばダメージを受けない筈が無い。
ヴェイグは目を閉じてこの周辺の雪の触れたものを確認する。
ミトスはどうやらあの雪玉に埋もれたようだった。
雪玉の中に確かに動体を感じたからだ。
『奴め、出て来ないな。……死んだか?』
数十秒経ち雪達の騒がしいオーケストラが止む頃にディムロスが呟いた。
「それは無いだろう。相手は腐ってもあのシャーリィに勝利した天使、ミトス=ユグドラシルだぞ?」
いや、勿論これで死んでくれれば助かるのだが、
「……やってくれるじゃないか……」
と、まぁ矢張り現実はそう甘くないようだ。
雪玉を形成するため止まっていた雪は再び降り始めていた。
「つくづく勘に触る残滓だ……小賢しい。いちいち気に食わない……ッ」
雪玉が瞬く間に水と化し、中から現れるは想像通り。
話し掛けても返事をしないただの屍……では無く、喋る天使であった。
どうやら、終焉と第二ラウンドの話は後者で間違いは無いようである。
「ミトス、久しぶりだな。雪遊びは楽しかったか?
……“弱卒が大口を叩くなよ”だったか? その言葉、もう一度言ってみろ」
明らかにおかしな方向に曲がった両手の各指を見てヴェイグは鼻で笑う。
恐らく魔力を手に収束させ溶かしたのであろう。
あの刹那に魔力を収束させるとは驚嘆に値するが、しかしあの速度と重量には勝てなかったようであった。
「楽しかったさ、けど少し物足りなかったよ」
俯くミトスの周りを七色のマナの焔が漂う。
その焔は瞬く間に地面に積もる雪を蒸発させた。
次第に焔は球体へと姿を変えてゆく。薄い七色のそれは密度を増し、濃い純白となる。
数にして優に十二。その全てが凄まじい威力を秘めている事は遠目に見ても明白であった。
そして天使は顔を上げヴェイグを睨み付ける。
純粋な憎悪、それだけがその宝石の様な瞳に浮かんでいた。
「お前の命さえ渡して貰えれば、最高に楽しめるんだけどね? ……この、劣悪種風情がッ、僕のッ! 邪魔をッ! ……するなあああぁぁぁぁぁッ!」
エターナルソード無しで空間を裂こうとするかの様な勢いでミトスは咆哮した。数々の修羅場を潜り抜けた者でなければ、耳にしただけで怖じ気付くであろう。
「くッ!?」
そして同時に十二の弾は炸裂する。
三つは空中を滑降し地面へと派手なクレーターを残しながら消え、二つは氷の大樹を貫通し、一つはグリッドだった肉塊を焼き払い、二つは虚空へと消える。
残った四つはヴェイグへと標準を定めたようだった。
しかしこの距離。ヴェイグにとってそれを避けるには十分過ぎた。
四つの光弾を冷静に見切りヴェイグはミトスへ声を投げる。
「血迷ったか、ミトス! この距離で当たる訳が―――『違う、布石だヴェイグ! 避け「フォトンッ!」
―――光弾は視線を自分から逸らさせる為の布石ッ!?
「……何度でも言ってやるよ、劣悪種。“弱卒が大口を叩くなよ”」
後悔する隙すら与えず、灼熱の光はヴェイグの体を拘束する。圧迫により中途半端に飲み込まれた酸素が激痛の念を乗せて口から吐き出される。
苦痛に歪む叫び声。悲劇は、まだ幕を下ろしてはいないようだ。
じゅう、と皮膚が焼ける不快な音。
ヴェイグは堪らず膝を崩そうとするが光の拘束具はそれすら許さない。
吐き気がする程素敵に香ばしい匂い……もとい、臭いが鼻に入った。
しかしミトスの攻撃は止まない。
「まだだ。まだ終わりじゃないよ―――フレイムランス!」
束縛から開放されたヴェイグの右目が次に認めたのは、崩れ行く足場だった。
ミトスが発した焔の槍は見事に大樹を貫き、その半透明な幹を複雑に砕いていた。
「くそッ!」
ヴェイグは痛みに倒れる暇すら与えられず行動を強いられた。
『ヴェイグ、ミトスは私が見張る! お前は氷の破片を足場にして地上へ降り……ッ』
「そんな暇僕が与える訳無いでしょ?」
最早イニシアティブは完全に天使にあった。
空中に放り出されたヴェイグの後ろで甘く優しく、小さな声で囁くはミトス=ユグドラシル。
(空間転移……!)
「アハハ、大層な包帯だね。何処かで転んだ?」
くすくす、と笑いながらミトスは手にマナを込めた。
狙う先は左目。
ミトスは迷う事無くその右手を古傷に深く打ち込んだ。
激しい視界の歪み。
この世のものとは思えない激痛、不快感。目の内側を抉られる感覚。
ぐちゃ、という水分を含んだ柔らかい肉が潰される不快な音をヴェイグは内側から聞いた。
叫ぶ暇すら無かった。自分の体が地面に打付けられたのは、それを理解するのとほぼ同時だった。
「自分の氷の下敷きになって死ぬのは本望だろう?」
ミトスは小さなクレーターとそれに重なる様にして落ちる砕けた氷をゆっくりと降下しながら見下ろす。
「まあでも、やっぱりそう簡単にうまくはいかないよね」
土埃と粉雪で構成された粉塵が晴れる。
土台、ミトスは下が柔らかい雪の地面である事を考慮するとこれだけで殺せるとは思って無かった。
そしてヴェイグ=リュングベルが雪を操作出来る点も考慮すると、この生存は必然だった。
「……しぶとい奴」
ヴェイグ=リュングベルはクレーターの中心に立っていた。氷の破片が綺麗に中心を避けている。
上空から一瞥すると、それは蓮華を彷彿とさせた。同時に大いなる実りをも。ミトスは拳を強く握る。
どうやら操作出来るのは雪だけでは無いようだった。
「少々、効いた……」
ヴェイグは血が溢れる左目があった場所と開いてしまった脇腹の傷を押さえながら呟く。
何が“少々”だ、と自分で言っておいて思う。
まだ動ける。が、体中が悲鳴を上げている。
地面が雪に覆われていて本当に良かった。
「さて、と」
ミトスは神々しい光に包まれながらその華奢な足を地面に下ろし―――否、空間転移。
「第二ラウンド、開始だね」
座標は数メートル離れた屋根の上。
ミトスは天使の羽を震わせ、両手を広げながら笑った。
どうやらこの世界で一番場違いなオブジェは、この羽で決定なようだ。
「イノセント―――」
それを合図に七色の羽と共に体を蝕む光が辺りへ放出されんと膨張する。
しかしロイドから技を聞いていたヴェイグは冷静に自らに迫らんとするその球体を見る。
……この技を待っていた。
「絶・瞬影迅」
その悲鳴を上げていた右足は、とうの昔に蓮華の中心を、小さなクレーターを離れていた。
「―――ゼロ!」
膨張した翠の球体は破裂し、速度を増しながら360゜全方位を蝕む。
しかしヴェイグはそれを恐れる事無くただ真っ直ぐに走る。
全てを蝕む筈の天使の羽と翠の輪が体を通過しようとする。しかしヴェイグの体は障壁があるかの様にそれらを弾く。
その青黒い服の下、胸元に光るは全ての状態変化、状態異常を回避する究極の紋章、イノセント・ゼロを凌ぐ切り札。
その名はクローナシンボル。
そしてヴェイグはミトスへと飛翔する。
「喰らえッ!」
俺には遠距離系の技は無い。
しかし至近距離では空間転移が出来るミトスにいなされる可能性が大!
イノセント・ゼロを発動した瞬間に現れる隙はコンマ一秒という刹那にも等しい、少な過ぎる時間!