ただ悪いだけの敵って最近流行らないのかな.3

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673名無しさん@お腹いっぱい。
善と悪の戦いにしろ、正義と正義の戦いにせよ、そこに至る背景や動因なんて、
もう殆ど、あらゆる分野で描かれ尽くされてるからな。斬新なものはそうそう出ない
だろうな。
しかし現実の世界でも、社会的に悪とされる行為と分かっていてもソレをやるDQN
が存在するあたり、こういう話は事欠かないだろう。
で、個人的には勧善懲悪の話が好きだな。多少時分勝手な正義でも、最後に「だが、
ちょっと待って欲しい」みたいな事いっときゃ丸く収まるし。
674名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 03:25:30 ID:0FQ3Ea/m0
そして悪と悪の戦いは禿しく中二病というわけか
675名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 09:11:23 ID:Y5nDRSE4O
>だが、ちょっと待って欲しい
この後に語られる理論って大概ろくなもんじゃないんだよな
下手に語るから寒くなるんだ。主人公なんて煩悩全開の冒険者でいいよ
676名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 11:30:20 ID:pObVi9RS0
本人もしくは中心人物キャラクターが自ら語ると直接的だし押し付けがましく感じて寒くなるな
ウケなかったギャグを「いや、だからね」って自ら説明するかのごとく

イベントに何ら関係ないところでのNPCの一見どうでも良さげなふとしたメッセージ、
ナレーション的なものが何となく意味深にも取れる締めくくりをするとかなら個人的にはアリかな
「物語の登場人物」とそれを語る語り手や受け手の関係は別であるべき
677名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 13:47:37 ID:y3YU8rWK0
>>675
はいざんねん。おまえの説「だがちょ後理論非ろく」はこのコピペによって否定されましや

59 :そして名無しさんへ…:2015/59/23(風) 00:41:09
論座2月号『「子どもを守れ」という快楽』から。

人が犯罪などを気にせずに暮らしてきた日常は、子どもたちが無邪気に公園で遊ぶ牧歌的な風景は、もはや遠い昔の過去に属するものであるかのように考えられている。
そして、そのような日常を過去のものにした犯罪者の出現を、人びとは恐怖とともに心の底から憎んでいる。

だが、少し立ち止まって考えてほしい。治安が悪化していると統計的な事実はない。にもかかわらず不安意識のボルテージが上がり、地域社会を治安管理でもって覆い尽くそうとするならば、かつての長閑な日常を破壊しているのはわたしたち自身だということになる。
しかも、わたしたちはそのような営みに快楽を見いだしつつ、率先して治安管理にのめり込んでいっているように見える。

結局のところ、不安と快楽とがない交ぜになって、セキュリティーの意識が先鋭化している。しかも、それは現在、子どもたちを守らねばならないという「善意」と、犯罪者が怖いという「恐怖」の両輪によって回っている。
善意と恐怖はその際限がきわめて判断しにくい。よって、不安と快楽を燃料に昂進し暴走していく可能性がある。

だが、快楽と不安とによって、人々がもろ手を挙げて治安管理に付く進むとき、失われるものが自由だとしたならば、それはあまりにも大きな代償ではないか。
そして、わたしたちが手にするのが安全や安心どころか、ただ団結し恐れあう仲間たちの一体感だけだとしたら、そこに何の意味があるというのか。