【NPC不要厨は】続RPGの問題点・方向性37【ヒキコモリ】
いや、SRPGとローグライクも違うものなんだが、SRPGにしたい
ということか?
>>952 ターンで微分する
ヘックス/スクエア/位置取り/距離概念が明確であり、重要な戦術要素である
ローグライクは一般にSRPGであるとは言わないが、戦術性に通底する部分は多い
>>951 元々はDQの仲間集めなど順番にイベントをこなせるような仕掛けだろ。
>>950 何を言ってるの?
932のようなゲーム性は一本道には望めないと思ってる。
その説明を今してる。
で、じゃぁ一本道じゃないとデバッグコストが高くて商売にならないんじゃない?
という話になる。
なばら、その資金を確保するためには、ムービーを削ればいいんじゃないの?
という話に行きつく。
何か問題?
>>951 それはダウトだな。
FF2は「ストーリーを語る」ものだったが、今ほどガチガチの制御を
行っていなかったから、ミンウを連れてミシディアに行ったりといった
ストーリー上の破綻も平気で発生した。
制御の強化はそれを抑えるためのモンでしょ。
装備の段階的強化は、それが単にバランスとりが一番やりやすいから。
「次にどこに行ったら」云々のアフォが溢れるようになるずっと前の話だよ。
>>956 うーーん、そうなのかな。
装備問題とか行き先の選択とかは、一本道の要素ではないのかな。
>>953 少なくとも移動がターン制で敵と主人公が同時に行動しないと
ローグというゲームにはならない。
>>957 「一貫性のあるストーリーを無矛盾に語る」ことが一番先にある。と思う。
「無矛盾に」というのは無論バグ無しで、ってことでもある。
実際問題として、FFみたいに金があまりまくるゲームならともかく、
DQみたいな金の足りないゲームで最初ッからドラゴンキラー売ってても
バランス的には何の問題も無いはずなんだがな。
LVあげまくってアバカム手に入れれば、盗賊の鍵無しでゲーム進められるのと
同じことなんだから。
>>958 ローグのは同時に見えるだけで同時ではなく交互だ。プレイヤーの操作を見て
CPUは動くのだから。つまり交替ターン制だ。
交替ターン制なのは紛れも無く典型的なSRPGと同じだ。
>>957 同じ一本道でもそこにはゲーム的か映画&小説的かで大きく違うよ
先に上げられたものを突き詰めていくとゲームではなく映画や小説的になる
>>959 ストーリーのバグを無くす事が一本道の目的である事は間違いないんだが…
それは上にも書いてるし…
だがなぁ…。
>>960 だから、どうプログラミングされてるかという話ではなくて
同時に見えるようにしないとローグにならないということなんだよ。
>>963 まぁそれは分かるよ。だから、等号で結ぶわけではない。
ただ、本質において似ている部分があると言っただけだ。
そこが俺の主張の重要な部分というわけでもないし、拘るつもりもないがな。
DQ3のレビューで、「どこに行ったらいいかわかりません」
て指摘がすでにあったんでしょ。
やっぱり切り離して考えることができない…。
>>964 いや、そうじゃなくて一本道とどう結び付くか?って話でしょ。
>>965 その辺はまた微妙な問題になる。
自由度というよりは、総当り的な「正解探し」(昔のADVで一番嫌われた要素だ)
が嫌われていたってことでもあるんだから。
DQ2の水門の鍵、みたいに、DQは完全にフリーなゲームではなかった。
正解探し要素があったからこそ「正解が分からない=総当りなんかやってられるか
ウザ」という不満が出てくるんだ。
>>966 いやだから、そのターン制と同時行動って、「一本道」とは全く独立した
概念だろ?だから、「一本道にローグライク?ハァ?」ってアンタの感想も
どっから来るもんだか、一体何に拘ってるんだか、俺にはわからんね。
一本道でローグライクのエッセンスを取り込んだ例として、エストポリス2を
既に挙げたはずだが。
>>967 ん〜、だから目的地だけ示してルートはプレイヤーに選ばせればいいのでは?
正解は既に示されてるし
>>969 で、選択性だけ増やすことにどんな意味があるの?という話になるんだが。
一本道でもステージ内での戦術性は幾らでも凝れる(これは面クリゲーと同じで、
面クリゲーで、ルートが選択できないことを批判するヤツはいない)し、
武器防具のお約束的な段階的強化も、ストーリー制御には何ら関係が無いから、
別にんなことやらなくたっていい。
>>967 つまり、一本の連続したストーリーになっているから
1つの正解を探し始めるわけか。
そこで、次にどこに行ったらわからない、っていう話になるのか。
ストーリーが一本道だから、「次どこ?」になるのか。
わかった。すまなかった。
>>972 シレンとエストポリス2では大分違う。シレンの方がはるかに本来のローグライクに
似ている。
エストポリス2は、ダンジョン攻略部分以外は、ほぼ典型的な一本道RPGと
言っていい。
ダンジョン部分だけが、ローグライク+ゼルダ、なんだ。
つまり、あの1マス移動ターン制のシステムで、ゼルダ風に色々なアイテム等を
駆使するパズルチックな仕掛けがある。
もっとも、バトルが画面切り替わってのコマンド戦闘だから、台無しだがなw
>>971 そうそう。俺はそう思ってる。
特にDQ6あたりは、「実質的な自由度は極めて狭いのに正解探し=総当りの労力が
大きい」という不満があったように思うね。
969と970は同じ事を言ってるように思うんだが。
しかし、
目的が決まってて後は自由、っていったら
もはや一本道とは呼べないと思う。
過程が全て一本道で、初めて一本道だと思う。
ストーリーだけ一本道でも他が自由なら、別に不満は無いと思う。
少なくとも、不満が出てる「一本道」というのはそういうものを呼んだものだと思う。
そもそも非・一本道の例としてDQの1が出ているのが理解できない。
例えば、ガライの墓をクリアする前にゴーレム倒せるほどに鍛え上げてもプレイとして許容されはする。
しかしそれには途方も無いレベル上げがまず要求され、次に単純な作業でしかない墓もぐりを要求される。
後者の作業というのは、レベルも装備も想定より数段上の状態であり、それこそゲーム性もへったくれもない行動だ。
ゴーレムを倒す段階ならともあれ、墓もぐり段階には感動もなにも生まれない、ただダルいだけ。
もちろん、ここまで極端な例は少ないとしても、想定された強さと実際のプレイヤーの強さが離れていた場合、これのようなことは常に起こりうる。
進行上でのバグが生まれなかったとしても、こういうののバランス取りは非常に難しくなる。
つまり、よほどのことがないと非・一本道に見えても実は選択肢は少なかったりするのではなかろうか?
もしくは、むしろ非・一本道こそレベルや装備の概念を捨てたほうがバランスが取り易い、と。
一本道での装備やレベルは、各段階でとりあえずの一定量足踏みを要求することで、その各段階での緊張感を意図的に維持できるわけで。
>>973 まあ、一本道でゲーム性に凝るとしたらそういう方向に
行かざるをえないよな。
>そもそも非・一本道の例としてDQの1が出ているのが理解できない。
たぶん、その道を自分で選んでる事に意義があるんだと思う。
自分で選んで諦めるのと、人に強要されるのとでは、心証が全然違うから。
>>976 まあ、竪琴を取る前にゴーレムを倒すというのは極端にしても
竪琴を取る前に妖精の笛を取るくらいはありえる。
ローラ姫など救出しなくてもクリア出来たりするし。
ただ、あまりにも出来ることが少なすぎて自由を感じるまでは
いたらなかっただけ。だけど、あれだけのイベントでも
十分に楽しめたしゲームになってた。
頭の悪い罵り合いと、
内容の皆無な長文と、
ここはとってもためになるスレですね。
頭の悪い奴は自分の理解出来ないことをけなすことしか出来ないんだね。
何をしていいか分からないとかどこにいけばいいか分からないという不満が出るのは、
何をしても変化や展開が感じられない、つまり展開のトリガが決まっていて内容がない自由度の話でしょう。
そうでないif的な影響を持つ自由度は双方向で成り立つゲーム性の最たる物でしょう。
というかね、次にどうしたらいいか次に何をしたらいいかなんて
わからなくていいんです。だからこそ自由に動ける意味がある。
引き込まれる世界観も良く出来たオブジェクトも気のきいたセリフも
全てが必然となり全てが活きてくる。それがゲームということなんです。
たまには、そういうRPGがあってもいいんじゃないんですかね?
自由に動けるがゆえに
「上手く動けすぎても」「うまく立ち回れなくても」詰まらない体験をさせられる事になる
具体的に言えば
自由度が高いのに「攻略」されると
とっても効率よく事が進められ「すぎる」し
そこには危険も不確定性もないだろう
逆に当然ながら「下手な」進め方でも高い自由度の元では容認され、
さらに窮地に陥ることも、ややもすればどうしようもない「ハマリ」の状況すら容認する事になる
自由度と一般化はバーターなんだ
そすて一般化のほうが金になる
売れなくてもいいから自由度高いの作れってのはプレイヤーの視界からほ良く判るけど
問題点とか方向性なんて言い出すのは大仰に過ぎるな
>>979 いや、DQ1そのものが面白かったかつまらなかったかはこの際別にどうでもいいんだ。
問題は、あくまで極端なたとえではあったけど、やれることが少なかったDQ1でさえこういう非・一本道のバランス調整の難しさがあったということ。
そして現在のように育成から装備の概念からなにまで要素の増えた現在、ストーリー面での自由度の高さは、少なくともよほど抜本的なシステムチェンジでもない限りはバランス崩壊に直結しているしかないってこと。
987 :
いてっ! ◆kanonSElMM :2006/10/28(土) 23:26:32 ID:teb8rp7G0
今のRPGってDQ1より退化してるよ
>>986 バランス云々も既存の一本道を元にした考え方でしょ。
例えばThe Elder Scrollsシリーズでは動的に変更できる難易度バーが用意されてて、
これで自由に難易度を変更できる。
考え方を根本的に変えないと。
>>894 そんなかんじするよね
とあるMMOやってたけど
「何していいかわからない。このゲーム何すればいいの?」
なんて言うプレイヤーには「やりたいことをやれ」「やることないならやめろ」と返すのが当たり前だった
>>986 よくわからないが、それはDQ1のバランスが崩壊していたという話?
それなら、そうじゃない。バランスはしっかりしていた。
もう少しマップが大きく行ける町やイベントが増えて
NPCのセリフも増えれば、自由を感じられたのでは?ということ。
要は戦闘のバランスひとつで進行は制御できるし、きちんと面白い
ゲームになるんだ。一本道のようにガチガチに物語通りにしなくてもね。
ストーリーなどあってもなくてもいいとは、そういうこと。
RPGは特別じゃない。アクションやシューティング等と同じ
紛れもないゲームなんだよ。
ぶっちゃけ“意識の低い”一般層が求めているのって
ロールプレイング“ゲーム”じゃなくて数十時間の
“時間つぶし”であって、それにゲーム性なんて
求めてないんじゃないか?
暇つぶしだからこそ
しっかりやらないとやりなおしを要求され、
プレイヤーによって展開にムラのあるものより
適当に遊んでも大体8割は味わえる
一本道ゲームの方向に行くんじゃないかと。
自由な展開ってことはプレイヤーが
主体的に動くことが要求されるってことでもあるし
ひぐらしの人気の高さを考えるに、
一本道なのはたいした問題ではないんじゃないかなかな。
「クロちゃんのRPG千夜一夜」だったっけか。
ウィザードリィの中毒性のある面白さは、
えんえんとダンジョンを歩いてザコと戦い続ける
「なんか面白いこと起きねーかなー」っていうダルさにこそあるのだという話があった。
脳が超低レベルな非活性状態で働いているところに
「見たこと無いモンスターが!」「よさげなアイテムが!」「フラグっぽいなにかが!」っていう
ピンポイントな「刺激」が与えられることで、一気に目が覚める断続的な活性化の快感。
これがいいんだと。
この話の通りだとすると、古典RPGの楽しさをそのまま追求しようと思えば
長い長いプレイ時間の大部分を占める反復作業は、
むしろ「魅力的なものであってはならない」ということになる。
「刺激」がその分薄まる(落差が縮まってしまう)から。
そんなのやってられるか
>>992 ゲームがそういう立場に甘んじるのなら他のメディアに
取って代わられるのは時間の問題だね。ゲームを求めないなら
ゲームを買う必要は無い。
たとえ携帯電話やパソコンが普及して需要が低くなって来てるとはいえ
"ゲームがしたい"という欲求はなくならない。だが、
ゲームがゲームであることを捨て他のメディアで補える程度の
エンターテイメントしか提供しないとしたら、それは要らなくなって当然だろう。
忘れられて最初から知らないとなれば要求されなくなるのだから。
とりあえず、ウィザードリィ、初期ドラクエ、などの
『自由度の高かった時代のRPG』には
「今はさっぱり先に進める見通しが立ってなくても、いずれはたどり着けるはず」
という希望があった。
この点で、「自由度が高い→解けない奴が出てくる」という問題は存在しなかったといえる。
誰でも解けるはずだ。
死んで死んで死にまくりながらでも、レベルを上げていけばいずれはあの敵にも勝てる。
どれだけ右往左往して、ムダな回り道を繰り返していこうとも
いずれは「ここはまだ行っていない」ルート、消去法でたどり着ける正解ルートがある。
一度エンカウントして経験値が入るたびに、
一歩移動するたびに、
誰もが確実に正解に近づいている。
これは「無限の選択肢の中からある程度満足のいく『最適解』を模索する」行為ではない。
つまり知力は必要ではない。
(マークシート式のテストよりも簡単だ。選んだ番号が間違いなら、次の番号を選べばよい。制限時間もない。)
いや、だから出したのは極端な例だよ。DQ1が全部の部分でバランス悪かったといっているわけではない。
ただね、もう育成要素がレベルと装備ぐらいしかなかった時代じゃない。
レベルにしたって、単純にレベルからスキル系統の育成やらなにやら。装備だって属性考慮やら、特性をつけたりで絶対数が増加しているやら、ある意味相当絶大な効果が出るアクセサリー類やらなど。
魔法だけでなく特技もある、魔法の概念と意義が広がった、補助魔法も多様化した、ステータス値の項目も増えた。アクション要素が加わるとさらにバランスどりは難解だが、近年そういうのは増加傾向にある。
他にも山ほどこういうのはある。これらはRPGがゲーム性をあげていこうとした結果だ。上の一つでもバランス取りをミスれば、ゲーム性は大きく損なわれる。
んで本来かなりバランスのとりやすいはずの一本道でさえ、結局良バランスと呼べるものは少ない。
そんな不安定な状態で、自由だからとランクの高い場所行ってからそのあと低い場所に行くなどすれば、ダンジョンもイベントも作業に過ぎない過程が出てくる。
大仰なボスが出てきても、シリアスな場面に出くわしても、一瞬でなんの緊張感もなく戦闘が終わっては感動もへったくれもないのでは?
それを防ぐために敵の強さで行動範囲を絞る工夫をしても、それは自由度の制限以外のなにものでもない。結局いつもと大差ない。ひたすら制作に手間がかかるだけだ。
その克服のために育成面での自由度を大きく下げる必要が出てくる。
また、現代ではDQ1より遥かにダンジョン・街の数もフラグ類も、その他諸々ストーリー面では確実に大量になる。
行く先、やれることが増えれば、敵の強さでバランス取りというのはさらに煩雑になるのは目に見えている。
正直、今の作品ではフリーシナリオかつゲーム性を劣化・破綻せずに調節できるとは思えない。
>>988のようなシステムも散見するが、バランス取りをプレーヤーに預けるというのは一つの回答ではあっても、解決にはなっていないように思える。
>>997 >死んで死んで死にまくりながらでも、レベルを上げていけばいずれ
この時点でDQやWizに限らず大抵のことは達成できるのでは?
>>999 その通り。それがこの「RPG」というジャンルだ。
知能不要。
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