496 :
猫侍:
『猫と市蔵』
町を散策していた十兵衛は、体の異変に気づいた。妙にけだるく、目眩がする。
ふらつく足取りで自宅に戻ると、倒れこむように横になった。
暫くして目を覚ました十兵衛は、焼け付くような喉の渇きを覚えた。
ちょうどいいところに、自宅に誰かが訪れてきたので、十兵衛は良く確かめもせず、
その者に水を頼んでしまう。
貪るように水を飲み干し、再び眠りについた十兵衛が目を覚ますと、心配そうに
覗き込む市蔵がいた。
先ほど十兵衛が水を頼んだのは、この市蔵だったのだ。
(不覚…)
「そんな顔するなって。別にお前を打ったりはしないよ。そんなことしたら、
おきさちゃんが悲しむもんな。秘密は守るよ。その代わり、いきなりいなくなったり
しないでくれよな。お前がいなくなると、おきさちゃんが心配する」
「さっきからきさ、きさと、お前きさの事が好きなのか? 変わった奴だ」
「それだけ言えればもう大丈夫だな。また遊びに来るよ」
そう言って市蔵は帰っていった。
(いくら熱に浮かされていたとは言え不覚だった。しかし、感謝だけはしておこう)
そう、一人考える十兵衛だった。
『日々努力』
炊事洗濯掃除に吾郎左の世話と、家事全般をよくするきさだが、裁縫だけは苦手だ。
この日も、きさは指にいくつも刺し傷を作りながら縫い物に挑戦していた。
「やはり、小さい頃に針で怪我をしたのが尾をひいとるのか」
吾郎左の呟きを聞いた十兵衛は、きさには日ごろ世話になっている事だし、と、
縫い物の指南をしてやることにした。
指を突いては泣き言を言うきさをなだめ、諭し、時には激を飛ばし、
浴衣作りを補助してやる十兵衛。その甲斐あって、一応の形にはなった。
ところが、いざ吾郎左に着せる段になると、袖が通らない。
吾郎左が無理に腕を出そうとすると、浴衣はビリビリと破れてしまった。
失敗した、としょげ返るきさ。しかし吾郎左は、
「あれだけ針を怖がっていたお前が、よくここまで出来たものだ」
と、感慨深げに笑った。
その様子を見ていた十兵衛は、二人の団欒を邪魔すまいと、静かに自宅を後にした。
『善住、屋根に登る』
ある日、十兵衛が心形寺に行くと、善住和尚がしきりに屋根を見上げている。
不思議に思った十兵衛が話しかけても、はぐらかす様にして立ち去ってしまう。
妙な事を…と思いながら自宅へと戻った彼は、何やらコソコソと長屋を
出て行く源七の姿を目にした。源七が心形寺の方へ行くのを見て、
はて、と思った十兵衛は後を尾けてみる事にした。
寺に着いた源七は、茂みからハシゴを取り出すと屋根に掛けて上ろうとした。
ところが、そこを和尚に見つかってしまう。和尚が源七の前にばら撒いたのは、
極彩色で描かれた春画だった。源七は春画を集めては寺の屋根に隠していたのだ。
和尚にこってりと絞られ、しょんぼりして帰っていく源七。
十兵衛は、やれやれとため息をついて夜の町へ散策に出かけた。
497 :
猫侍:2006/12/02(土) 02:01:58 ID:hmbJSVhO0
『売れない講釈師』
ある日十兵衛が塀の上を歩いていると、難しい顔をした総髪の人間を目にした。
総髪とは珍しい、と好奇心を抑えきれなくなった十兵衛は、その男を観察し始めた。
どうやら講釈師らしい伯楽というその男は、初老の男に借金の催促をされていた。
それは伯楽にとっては初耳であるらしく、彼は苦い顔で頷いただけだった。
借金取りの伊蔵が帰ったあと、伯楽の妻ようが入ってきた。
「およう、店賃の工面が出来んのか?」
「いえ、なんとか知り合いに工面して頂きますので……」
「……ともかく、あのような男からは二度と借りるな」
芸人とは言え生活は苦しいらしい、そんな事を思いながら、十兵衛は塀から降りた。
『遺産騒動』
心形寺裏長屋の近所に、木下紅梅という翁が住んでいる。この老人、実に気のいい爺様で、
日和のいい日などには十兵衛と一緒に縁側で日向ぼっこをしていた。
ところが、ここ数日紅梅の様子がおかしい。体を悪くしたようで、昼間から寝ている。
気に掛かった十兵衛がこの日も様子を見に行くと、紅梅の息子と娘が見舞いに来ていた。
しかし、この二人と言うのがまた碌でもないもので、旦那は遊女屋通いで散財、
女房は無駄な買い物をしては金をばら撒くといった調子で、紅梅も毛嫌いをしている。
父親の体のことよりも、遺産の事ばかりに気をとられている二人の様子を見て、
紅梅を気の毒に思った十兵衛は、源庵の下に相談に訪れた。
人間に効くかどうか、と言われながらも薬を受け取り、紅梅宅へ戻る十兵衛。
「お、なんじゃお前、薬を持ってきてくれたのかえ?」
「にゃあにゃあ」
「どれ、せっかくじゃ、頂くかの。肉親より猫に助けられるとはの。ありがとうよ、
これでいつ死んでも悔いはないわい」
「! 縁起でもない事を言うな!」
「お、お前、今喋って……」
「にゃ…にゃあにゃあ」
「ははは、気のせいか。猫が喋るわけが無い」
数日後、どうやら良くなった様子の紅梅。
この間のことは、夢だと思っているようだった。
紅梅のくれた煎餅を齧りながら、十兵衛は内心胸を撫で下ろしていた。
498 :
猫侍:2006/12/02(土) 02:04:59 ID:hmbJSVhO0
『偽者騒動』
きさの用意した汁掛け飯を食べ終わり、何やらこのごろ内猫風情が板について来て
しまったな、などと思いつつ十兵衛が藁束の上で毛づくろいしていると、
仁右衛門が血相を変えて飛び込んできた。
なんでも、十兵衛が仁右衛門の大事にしていた蘭学書を破り捨ててしまったという。
全く身に覚えの無い言いがかりに十兵衛が目を白黒させていると、仁右衛門は、
絶交じゃ、などといいながら飛び出していってしまった。
慌てて後を追おうとした十兵衛だったが、自宅を出たところで壱之新に襟首をつかまれた。
壱は、十兵衛にいきなり殴られたと言って憤慨していた。
これまた身に覚えの無い事。十兵衛は率直にそう告げるも、壱の怒りは収まらず、
結局捨て台詞を吐いて帰ってしまった。
一体何事だと十兵衛が首を捻りながら町を歩いていると、珍妙な場面に出くわした。
なんと、十兵衛と瓜二つの侍が、十兵衛の名を騙って町人から金を巻き上げていたのだ。
全てこやつの仕業か、と十兵衛が駆けつけるも、偽者の逃げ足だけは本物以上のようで、
姿を見失ってしまった。
このまま捨て置けば名誉に関わると、町中を探し回る十兵衛。八幡宮でようやく
偽者を見つけ、隠れ家まで尾行することに。
頃合を見計らって詰め寄った十兵衛は、周りをならず者に囲まれているのに気づいた。
してやったり、とばかり、偽者はその正体を現した。
「誰あろう、貴様の最大の宿敵、天真様でござるよ!」
あっという間に斬り伏せられる天真の手下たち。
「貴様も聞くか…蕭風の音を」
さっきの威勢はどこへやら、三十六計逃げるにしかず、とばかり走り出した天真だったが、
突然現れた壱之新に襟首をつかまれてしまった。
「十の字の様子がおかしいと後をつけてみりゃあ……覚悟はできてんだろうな、あん?」
「すまん、まさかあの野郎が十の字に化けてやがるとはよ」
「古い付き合いなのに十兵衛を信じてやれなんだとは。今日はおごりじゃ、呑め呑め」
ひげ屋の席に座る十兵衛の杯には、壱と仁右衛門の銚子が途切れることなく運ばれていた。
499 :
猫侍:2006/12/02(土) 02:06:20 ID:hmbJSVhO0
『禅兵衛鬼左衛門』
十兵衛が珍しく自宅で時間を潰していると、墨壷が訪れて来た。
なんでも、刀鍛冶の知り合いに引き合わせたいと言うので、
十兵衛は一も二も無く同道した。
その刀鍛冶が、七代目禅兵衛鬼左衛門と言う名だと知り、十兵衛は驚いた。
十兵衛の腰の刀「蕭風」。これは、五代目禅兵衛の作だった。
蕭風刀を一目見た鬼左衛門は、感慨深げに嘆息した。
鬼左衛門「今の俺にはここまでの物は打てねぇ。修行が足りん」
墨壷「まだ若いということかな」
鬼左衛門「墨壷さんから見たら誰だって若造だぜ」
などと笑いあう二人を見ながら、妙な縁に驚きつつも十兵衛は、
"弟斬"の名を聞いても動揺一つ見せぬ両職人に感服していた。
『夜釣りをしよう』
十兵衛が淡島屋へ遊びに行くと、仁右衛門がしきりに釣竿を磨いている。
この仁右衛門という男、なかなかの凝り性で、道具の手入れにも余念が無い。
聞くと、この竿は十兵衛に渡そうと思って磨いていたらしい。
心づくしを有難く頂いた十兵衛。早速夜釣りをしに行く事に。
先日の釣り場に着くと、仁右衛門と釣り対決をする事に。
僅差で仁右衛門に敗れてしまう十兵衛。仁右衛門が得意になって
やたらとはしゃぎ回るのを見て、今度は一人でこようと思った十兵衛だった。
『見世物小屋の猿一』
永代橋のたもとに見世物小屋が出来た。夕暮れ、きさがそんな事を十兵衛に語った。
珍獣怪魚などには興味は無いが、芸をする猫がいると言うのが気になり、
十兵衛は様子を見に行ってみる事にした。
小屋の中の人の波を辟易しながら縫っていくと、確かに猿の真似をする猫がいた。
もちろん、そのオス猫は猫又であったが、酷くやせていて見るからに憐れだ。
そばに行って話しては見たものの、その猿一という猫又は全てを諦めたかのような
口ぶりで、外に出たくないのかと十兵衛が問うても、俯いて背を向けるだけだった。
一度はその場を去った十兵衛だったが、心にささくれができたようでどうにも
気持ちが悪い。結局、夜になって見世物小屋に忍び込み、猿一を逃がしてやった。
何度も頭を下げる猿一に背を向けて自宅に戻った十兵衛。
やれやれと寝床に入ると、きさが話しかけてきた。
「ねぇ十兵衛、見世物小屋の猫なんだけど……」
「あぁ、何でも逃げ出したらしい。俺が行ったときにはいなかった」
「そう。…………十兵衛、ごくろうさま」
笑顔で十兵衛の頭を撫で、きさは部屋に戻っていった。
(きさのヤツ、初めからそのつもりで……)
やられたな、と苦笑いして目を閉じた十兵衛だった。
500 :
猫侍:2006/12/02(土) 02:07:54 ID:hmbJSVhO0
『いかさま・導入編』
『いかさま・壱之新編』(一続きのイベントの為、併記)
ある日十兵衛が自宅で寝ていると、壱之新が酒を携えて訪れた。
ひとしきり酒を酌み交わして帰ってゆく壱。
いい酒が入ったから今度のみに来てくれ、と誘われたのを受けて、翌日、
十兵衛が浄心寺へ行くと、何やら壱の機嫌が悪い。
話を聞くと、州崎弁天あたりで流れ者がいかさま賭博をやっているという。
賭場潰しに協力してくれと頼まれ、十兵衛が引き受けると、壱はニヤニヤ笑いを浮かべた。
「…何がおかしい」
「へへへ、十の字が来てくれるんなら、面白くならないわけがねぇ!」
「……」
善は急げと、賭場にやって来た二人。小屋の中は堅気の客たちで賑わっている。
賭場の主である喜多八に挨拶を済ませてとりあえず席に着いた十兵衛たち。
暫くは何事も無く掛けに興じていたが、突然、十兵衛が壷振りの腕を掴んだ。
間髪をいれずに壱がサイコロを握りつぶすと、中から鉄の塊が転がり出てきた。
いかさまをやられていたと知った客たちは憤慨し、暴れ始める。
喜多八たちも、客の剣幕にほうほうの体で逃げ出してしまった。
さぁいよいよお楽しみ、とばかり腕まくりした壱を、十兵衛は外に引きずり出した。
「十の字、これからって時に何しやがんでぇ!」
「騒いでいた町人たち、あれは陣五郎配下の者たちだ」
「……縄元の計算通りってわけかい」
「ひとつ貸し、と言うことにしておこう」
「そういう事にしとくか。どれ、白けちまったし、飲みなおしと行くかい」
二人は、肩を並べてひげ屋へ向かった。
//『引き受け候』の別展開
『壱の賭場』
州崎弁天の一件から数日後、壱之新に呼ばれて十兵衛は浄心寺へやって来た。
なんでも、壱が賭場を開いたと言う。
喜多八の件を教訓に、金銭のやり取りを廃して芝居小屋の優待券を
賞品にしたものだった。
とりあえず、と一勝負打ってみる十兵衛。しかし、賽の目が悪く負けこんでしまう。
勝負事は引き際が肝心。十兵衛は壱に手を振って浄心寺を後にした。
501 :
猫侍:2006/12/02(土) 02:09:47 ID:hmbJSVhO0
『追憶』
夜。十兵衛の鼻が異常を感じ取った。血の匂いがしたのだ。
その強さに多量の出血と見た十兵衛が急いでそちらに向かうと、若い侍が、
火車衆という御神楽党の暗殺集団の者に襲われていた。
十兵衛の登場により火車衆は去ったものの、若侍は致命傷を負っていた。
その顔を見て、十兵衛はうろたえた。弟の又次郎と瓜二つだったのだ。
とにもかくにも、と十兵衛は男を源庵の診療所に運んだ。
「又次郎、お前は弥四郎にそそのかされているだけだ!」
「俺は兄者を越えねばならん…」
「よせ又次郎!」
斬りかかる又次郎。その一撃を受け流した蕭風刀は、そのまま又次郎の胴を薙ぎ…。
そこで十兵衛は目を覚ました。
診察室を覗くと、昨夜の男も目を覚ましていた。
練蔵と言うその男は、弥四郎の方針に異を唱えて御神楽党を脱党したが、
裏切り者を許さぬ弥四郎によって命を狙われていたのだという。
どうせこちらも追われる身、と十兵衛は、練蔵の傷が癒え、江戸を
出られるようになるまで自宅で預かる事にした。
火車の動静を探りに、市中を見回る十兵衛。しかし、どうしたことか、その足取りは
ようとして知れず、待てど暮らせど襲ってくる様子も無い。
そうこうしているうちに、練蔵の傷もすっかり良くなり、出歩けるまでになった。
そんなある日、十兵衛が自宅に戻ると、練蔵が荷造りをしている。
明日には江戸を発つという。十兵衛は、一抹の寂しさを覚えた。
「練蔵…もし、お前さえ良ければ、ここに……いや、なんでもない」
その夜、藁束の上で眠る十兵衛は、殺気に目を覚ました。
刀を取って飛び起きた彼は、刀を抜き払った練蔵の姿を見た。
「…ごめんなさい、弥四郎様には逆らえないんです」
泣くように言って斬りかかる練蔵。
「やめろ……やめろ、又次郎っ!」
蕭風刀がくぐもった音を伴って鳴いた。
「…なぜ刀を引いた……」
「俺は何をやっても半端者なんです……御神楽党に入っても…。こんな、闇討ちのような
事しか……。そんな俺に、あなたも、源庵先生も、良くしてくれた……。もし…黄泉路で
又次郎さんに会えたら、あなたを欺いた事を、謝って……」
そう言って、練蔵は事切れた。
(俺は……俺は、また…弟を切ってしまったのか? ……又次郎)
502 :
猫侍:2006/12/02(土) 02:11:06 ID:hmbJSVhO0
『炎上』
十兵衛が壱の所へ遊びに行くと、何やら小物の出入りが多い。
壱が言うには、見慣れない流れ者がうろついているのだと言う。
御神楽党絡みでは、と言う壱の言葉に緊張感を漂わせ、十兵衛は市内を見回る事に。
ひげ屋前。行商人風の男が、十兵衛の顔を見るや近寄ってきた。
男は、火車衆の一人、『もらい火』の千七と名乗り、取引を持ちかけた。
十兵衛を見逃す代わりに江戸から出て行ってもらう。
「悪い話ではないと思いますがね。返事は後ほど、御用石置き場で……」
そう言うと、千七は音も無く去っていった。
さてどうしたものか、と思案に暮れながら十兵衛が自宅へ戻ると、
壱之新の子分の半次が血相を変えて飛び込んできた。
「十兵衛さん! ひげ屋が…ひげ屋が、燃えてます!」
(そういう手段に出たか……!)
二人がひげ屋へ駆けつけると、壱がせんとたかを助け出したところだった。
とりあえず無事な様子を確認した十兵衛は、御用石置き場へと急いだ。
「千七、何の真似だ!」
「たかが居酒屋が燃えた程度で……随分と甘いお方だ」
牙を剥いて刀を抜き払う十兵衛。しかし、彼を無数の火の玉が囲んだ。
「見たか、我が火術! 近寄れなければ剣術など役に立つまい!」
不適に笑う千七。しかし、その笑いは一瞬にして凍りついた。
十兵衛の一振りした蕭風刀が、事も無げに火の玉を吹き飛ばしたのだ。
うろたえる千七の腹を、一足飛びに距離を詰めた十兵衛の刀が貫いた。
「甘いのはお前の方だったな」
十兵衛が戻ってみると、ひげ屋は跡形も無く焼け落ちていた。
未だチラチラと火の手を残す残骸を前に立ち尽くす十兵衛に、墨壷が話しかける。
「何しょげてるんですかい。この程度、七日もあれば元通りですよ」
「すまぬ……俺が…」
「付け火の下手人は十兵衛さんが始末した。この一件はそれで仕舞いですよ。
建物の方はあっしに任せておくんなせぇ」
「頼む……」
墨壷に頭を下げてその場を後にする十兵衛。土手の上から改めて焼け跡を見返し、
(御神楽党は手段を選ばぬつもりか……)
苦い思いを抱いた十兵衛だった。
503 :
猫侍:2006/12/02(土) 02:12:45 ID:hmbJSVhO0
『平和な出来事』
ようやくひげ屋が元通りになったと聞き、十兵衛は早速足を向けた。
店内に入ると、おたかの姿が見えない。まさか…、と思ってせんに尋ねると、
たかは嫁入りするのだと言う。しかも、相手はあの壱之新だ。
そろそろ私も…等と言いつつしなだれかかって来るせんから慌てて逃げ出し、
十兵衛は壱を冷やかしに浄心寺へやって来た。
思った通り、壱はすっかり舞い上がっていた。明日の祝言の準備に慌しく
動き回る小者たちを叱り飛ばす顔も、でれでれとしまりが無い。
やたらとのろける壱から祝言への招待を受け、十兵衛はその場を後にした。
翌日、十兵衛が寺を訪れると、小者が袖を引っ張るようにして宴席へと招いた。
見ると、上座に座る壱之新はコチコチにこわばった顔をしていた。
「やっと来たか十の字、こっちに座れ」
「さっきからあの調子ですよ。十の字はまだか、十の字はまだかって」
小者の言葉に苦笑いしつつ、十兵衛は席に座り、一通り祝いの言葉を述べた。
十兵衛が来て緊張がほぐれたのか、壱は立て板に水がごとくベラベラとよく喋る。
冷やかしに壱が顔を真っ赤にする所をなどを見て、十兵衛は腹の底から笑った。
(俺がこんな目出度い席に出られるとは……。こいつらの為にも、
御神楽党とは早くケリをつけなければ……)
宴席が落ち着いた頃、席を辞した十兵衛はそう、決意を新たにした。
504 :
猫侍:2006/12/02(土) 02:13:50 ID:hmbJSVhO0
『真実』
ある日、法禅寺へ昼寝に行った十兵衛は、酒瓶を携えた老猫又と出会う。
「お前さんは不思議な目をしている。人を斬ると、きたいに目が変わる。
お前さん、身内を斬りなすったね」
「……!」
「死に場所を探すのも悪くは無いが、お前さんはまだ若い。短気はいかんぞ」
そう言うと、その猫又は去っていった。
老猫又の正体をあれこれと思案しながら自宅に戻ると、墨壷が待っていた。
なんでも、『寝待』の陣右衛門という盗賊の隠し金を狙って、火車衆が
江戸入りしていると言う。
「旦那、奴らの仕事を見物しませんか」
物好きだな、などと言いながらも、火車の動向が気になった十兵衛は、
明後日に待ち合わせをする約束をした。
墨壷が帰ると、入れ替わりに見覚えのある猫又が入ってきた。
昔まだ十兵衛が又次郎と御神楽府にいた頃、道場で二人を執拗に
狙っていた男で、名を鉄五郎と言った。
「何の用だ。用が無ければ去れ。さもなくば、斬る!」
「仕事が終わったら遊んでやる。いつまでも貴様の後ろにいる俺と思うな。
貴様も『漁り火』の名くらい聞いたことがあるだろう」
そう言って、『漁り火』の鉄五郎は去っていった。
(奴が火車だったのか……)
明後日の夜。正覚寺に十兵衛と墨壷が潜んでいると、火車衆が、法禅寺で
出会ったあの老猫又を引きずって現れた。
「さあ、金のありかを吐きな」
そう言って鉄五郎が老猫又の腕を切り落とすのを見て、十兵衛は墨壷の
制止も聞かずに飛び出していった。
対峙する二人。
「俺は又次郎のようにはいかんぜ。……冥途の土産に教えてやる。又次郎と
貴様の斬り合いをお膳立てしたのは、この俺よ」
「何っ! ……貴様が、又次郎を……!」
両者の刀が閃き、血飛沫が舞った。
「……あの世で又次郎に詫びろ」
そう言って、十兵衛は刀の血を払った。
「隠し金は、本当に隠されてしまいましたね」
墨壷の腕の中で、老猫又はすでに事切れていた。
老猫又を静かな所に埋めてやり、二人はその場を後にした。
505 :
猫侍:2006/12/02(土) 02:16:28 ID:hmbJSVhO0
『復讐』
鉄五郎の事件から数日後、またしても墨壷から火車衆の情報が入った。
今度は、十兵衛の命を狙っているらしい。既に、心形寺裏長屋にも
手が回っていると言う。火車の本領は暗殺にある。危険な自宅を避け、
十兵衛は法禅寺で休息をとっていた。
その十兵衛に、仁右衛門から情報がもたらされた。
火車が、毎晩木場に集まって連絡を取り合っていると言う。
罠だ。十兵衛はそう直感した。しかし、とも思った。
「相手の出方を待っていては結果は見えている。あえて罠に嵌ってやろう」
「十兵衛……死ぬなよ」
材木置き場の井戸の近く。やはり火車衆の男が待っていた。現れた火車衆は数人。
「これだけか……」
「火車を名乗れる者は最早これだけ。みな貴様に斬られてしまった」
「貴様らも後を追うがいい」
「貴様を道連れにな!」
十兵衛が、飛び掛ってきた火車の一人を斬ると、突如その者が爆発した。
吹き飛ばされた十兵衛は、火車たちに羽交い絞めにされてしまう。
「火車爆殺陣! 斬らねばば爆死、斬っても無事ではおられまい!」
飛び掛る火車たち。十兵衛は一瞬の隙をつき、井戸に逃げ込んだ。
血と火薬の匂いが入り混じる中を、十兵衛は去っていった。
(これで御神楽党が諦めてくれればいいが……)