坂口物語
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最初はアルバイトで入ったスクウェア。大学3年のとき。
プログラムを多少かけた坂口は春休みだけのつもりでスクウェアにはいる。
当時のスクウェアは電気工事会社「電友社」のソフトウェア製作部門。
会社を回す人間は3、4人で残りはアルバイトだった。
そのとき、「鳥人間」のゲームをスクウェアは作ろうとしていた。
ところがある時会社に行った坂口は仕事場に誰もいないことに気付く。
「鳥人間」の仕事を投げてみんな辞めていた!!
しょうがなく、坂口と田中数名でパソコンの「ザ・デストラップ」
を作ることになり「Will」などの製作へと続いていく。
WIllでのキャラのアニメーション「目ぱちのまばたき」は1ドットずつ坂口が
打ち込んだ。オープニング曲も作成。グラフィックの背景も半分坂口が
描いていた。「ブラスティー」ではサンライズと組んで変形アニメーション
に挑戦したりした。
A
当時は「ウルティマ」や「ウィザードリー」が人気だった。
坂口たちも当然に遊んでいた。ウルティマ2を田中と一緒に徹夜でプレイしてお金を
最大まで貯めたりした。お金が9999まで貯まったときにあることに気付いた。
数字が「0」に戻っていた!!お金の上限をしてなかったのだ。これには呆然とした
らしい。それでディスクを解析して中のデータを自由にみてデータの書き込まれた
場所を解析した。その解析がFFが後に生まれ作るときに勉強になったという。
「プラスティー」のあとはいよいよファミコンゲームを作る。
「キングスナイツ」縦シューティングなのに会社は勝手にRPGのジャンル
で売ることに。その後、「飛び出せ大作戦」や「ハイウェイスター」が
製作されていく。坂口チームのメインプログラマーはナーシージベリという
アップルU時代の伝説プログラマー。後のFF製作でも大いに活躍する。
B
当時ドラゴンクエストが出たときは衝撃を受けたという坂口。「ふっかつのじゅもん」
でセーブできて、ちゃんとRPGになっていた。坂口は思ったという「工夫すれば
ファミコンでもRPGができるんだ」と。
こうしてドラクエがきっかけで「FF」を作ろうと思ったと坂口は語る。
その頃のスクウェアはヒットするゲームがなく会社も傾きかけていた。
坂口のチームは「Aチーム」とよばれメンバーが坂口やナーシー、渋谷、石井
の4人だけだった。ほかのチームは15人とかいて、「Aチームは終わったな」と
言われてもいた。
4人しか人がいない原因は坂口が厳しかったからだという。それで次のゲーム
が駄目だったら大学に戻ろうと考えていた坂口。その「ラストゲーム」という
意味でも「ファイナルファンタジー」というタイトルに。
「ファイティングファンタジー」という案もあったが、結果「ファイナル」に
決まった。
C
坂口は思っていた。「自分自身のファイナルなゲームにしよう」
「これでゲームの仕事は終わりになるかもしれないけどがんばろう」と。
この気持ちをナーシーに納得してもらってRPG「FF」を作ることが決まっていく。
製作がはじまってさすがに4人ではメンバーが足りなくなり、河津が加わる。
河津はテーブルトークRPGをやっていて、自然とFFもドラクエに対して硬派で
幻想的な作りへとなっていった。FFは斬新だった。最初に出会った敵が
最後の敵であり、ゲームを進めていきオープニング文が入り、FFメロディー
の要。あのタイトル曲が流れる・・・
D
FFパッケージの顔は天野喜孝。天野のファンの石井が天野に絵を頼みたいと言ったが
断ったと坂口。しかし後日ある時、雑誌を読んでた坂口は「あっこれは良い絵だな
この人に頼みたいなぁ」と思った。その絵が天野喜孝だった!!w
まさに運命的な出会い。そして直接坂口が横浜まで天野に会いにいき
天野と交渉をする。
植松と坂口のFFコンビも今では当たり前だったが、植松とのやりとりも
運命的だった。レコード屋で仕事をしていた植松のところでケイトブッシュ
の音楽を借りる坂口。植松と何気なく世間話をしていたら植松が坂口に
「作曲活動をやりたいんだ」と話す。パソコンゲームを作っていた坂口
は作曲を植松にしてもらう。これが植松と坂口のはじめてのゲーム製作。
当時から植松の音楽はメロディアスだったと坂口。
E
製作スタートしたときは「これは大丈夫なのか?」
と思ったが、製作してる内に「これはいけるんじゃないか?」に変わる。
スタッフも増え、田中も参加。そしてスタッフも増え完成したFF。
プログラマーと一緒に「初めて自分達が納得できるゲームができた!」と
みんなで満足感をわかちあったと言う。
「世間に認められるものが生まれるときはこういう感覚があるんだな」とただ
感動したと坂口。FFは見事50万本ヒットとなり。
輝かしい産声をあげた。
F
坂口が思い入れのあるFFは1・4・5・7だと言う。
1の完成させた達成感は何事にも代えがたく。FF4ではスーファミ初で
非空挺を3Dっぽく飛ばそうとトライした。5では「ジョブチェンジシステム」
でアビリティ習得。この組み合わせを思いついたとき「コレはいける!」と
ワクワクしたそうだ。
FF7の原型ではシリコングラフィックのマシンでテストしていた。
マークをマウスでなぞると敵に技をかけるシーンを作っていた。
それをシーグラフに出展。デモ完成させた時に容量計算し、ゲーム全体
のボリュームを計ったらとても今までのカートリッジには収まらなかった。
それが決定的でハード転向になった。転向したはいいものの膨大なデータ量と
当時驚愕のCGには相当スタッフの頑張りがあったと坂口。
はじめ坂口が提案したミッドガルのオープニングには、坂口さんばかじゃないか?
とスタッフも思った。ミッドガルの都市を上空から遠景で移し、街角のエアリスの
アップにつながっていくという提案に。
しかしそのアイディアが当時度肝を抜き、ゲームクオリティの「壁」を破った。
FF7は世界で900万本以上の大ヒットとなる。
Gラスト
時は過ぎ、映画の失敗を経験した坂口は完全に休息に入る。
企画書も書かずにずっとのんびりと。たくさん映画みたり、本読んだり
犬の散歩したり-
なにもせず「人生ってなんてすばらしいんだ」と感じていたと坂口。
しかし一年半経って、ふとハワイの海を見ていたら、自然と涙が溢れてきた。
ぽっかり穴が開いたような感覚。すべてが空虚に思われ寂しくなってきていた。
それからして、FF1をみんなで必死に作っていった頃の達成感をもう一度
味わいたくなった。それで「もう一度、たったひとりで一からゲームを作ってみよう」
と思い、仕事を再開、ふたつの企画がおもいつく。それが
絶対あきらめない男の話「ブルードラゴン」
1000年生きる男の話「ロストオデッセイ」
ロストオデッセイの1000年いきた男の気持ちは2年間休んでいた最後に感じた
空虚さの気持ちに近いかもしれない、心が乾いて、ふとしたことで涙もろく
なると坂口は語った。
坂口物語〜完〜