陸遜(183〜245)
陸公は諱を遜、字を伯言といい、呉郡呉県華亭の人である。呉の四姓にあたる名家、
陸家に生まれ、21歳で大帝に仕官。地方統治と山越討伐で数々の功績をあげる。のち
に虎威将軍に助言を施したことから共に策略を練り、最強の将とされる関羽を撃破、
荊州の平定に貢献し、報復の軍を動かした劉備を夷陵にて迎撃、火計を用いて大勝し
た。大帝の信任も厚く、呉が建国されると政治家としての才能を買われ、事実上軍政
両面で呉の実権を握ることとなった。その晩年まで呉の柱石として現役で活躍、丞相
にも任ぜられるが、太子と魯王の派閥争いが起こるにあたって、最後まで正道を貫き
通し憤死。景帝の時代に昭侯と謚された。
序賛
陸氏系図
陸氏本伝
陸公廟本殿
陸抗(226〜274)
陸荊州は諱を抗、字を幼節といい、陸公の次男であり、長沙桓王の外孫である。
父の憤死に伴い、後を継いだ。武功によって昇進し、父と同じく荊州の守りにあ
たる。西陵督の反乱の際、晉軍との挟撃に遭うも見事これを鎮圧。晉の羊太傅と
互いの才能を認め合う仲となり、徳政家として競い合う。大司馬・荊州牧に任命さ
れるが、数々の激務が祟り病死。