【Xbox360】マイクロソフト「独島は韓国の地」に是正【竹島問題】2

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「清和政策研究会」は、自由民主党の派閥。旧称は清和会、略称は公式には清和研としているが、旧称である清和会を略称とすることが多い。
日本民主党の「反・吉田茂」路線を起源に持つため、親米を基調としながらも「自主憲法」の制定や自主防衛路線(再軍備)に積極的であるなど比較的タカ派色が強く、
冷戦期には、その反共志向の反映として、「親韓・親台」に独自の人脈を持った。
一貫して自民党の有力派閥だったが、佐藤栄作の後継争い(角福戦争)で福田赳夫が田中角栄に敗北して以来、
自由党系の平成研究会や宏池会などの諸派に比べると非主流派に甘んじることが多かった。
小泉内閣発足以降、主流派として実質的に政権の中枢を担うようになった。
グランドプリンスホテル赤坂(旧赤坂プリンスホテル)の旧館(旧李王家邸)内に事務局を設置し、同ホテルで毎年1回春頃に政治資金パーティーを開催することが慣例となっていたが、
同ホテルの営業終了に伴い、2011年2月、紀尾井町に移転した。

「日韓共同宣言 21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」は、1998年10月8日に日本国内閣総理大臣 小渕恵三と大韓民国大統領 金大中が、
1965年の日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約によって、国交が結ばれて以来、過去の両国の関係を総括し、
現在の友好協力関係を再確認するとともに、これからあるべき日韓関係について意見を出し合い、「新たな日韓パートナーシップ」を構築するとの共通の決意を宣言した文書。
「対日関係全面見直し決議、韓国国会が採択」
2001年7月18日、韓国議会は、日韓共同宣言の破棄を韓国政府に求める全会一致の決議を行った。
・在日韓国人が、日韓両国国民の相互交流・相互理解のための架け橋としての役割を担い得るとの認識に立ち、その地位の向上のため、引き続き両国間の協議を継続していく。
・2002 FIFAワールドカップの成功に向けた両国国民の協力を支援し、この開催を契機として、文化及びスポーツ交流を一層活発に進めていく。
・二国間での経済政策協議をより強化するとともに、WTO、OECD、APEC等多国間の場での両国の政策協調を一層進めていくと意見が一致した。
・日本によるこれまでの金融、投資、技術移転等の多岐にわたる対韓国経済支援を評価する小渕は、韓国の経済困難の克服に向けた努力を引き続き支持する。
・両首脳は、財政投融資を適切に活用した韓国に対する日本輸出入銀行による融資について、基本的合意に達したことを歓迎した。

「日韓友情年」とは、2003年6月の盧武鉉韓国大統領訪日時、小泉純一郎首相と盧大統領の日韓両首脳による「日韓首脳共同宣言」に基づいて、
日韓国交正常化40周年を記念して、2005年を「日韓友情年2005」と定めた。
実務的には、日本の外務省と韓国の外交通商部が担当する。
日本側の正式名称は「日韓友情年2005〜進もう未来へ、一緒に世界へ〜」。韓国側では「韓日友情の年・・・」となる。
日韓両国では実行委員会を設け、政治経済関係者や学者文化人などを委員として任命している。
韓国側には「冬のソナタ」で、一躍有名になったチェ・ジウが入っているが、委員会での活動は殆どない様子である。(女優木村佳乃は、日韓友情年の関係ではなく、国土交通省による日韓共同訪問年の日本側の広報大使である。共同訪問年の韓国側はチェ・ジウ)。
1月27日ソウルで行われた日本側主催の日韓友情年オープニング行事、
そして28日のソウルのオリンピックホールでのオープニングコンサート「スーパーライブインソウル」では、日本のCHEMISTRYと韓国のリナ・パークが日韓友情年のテーマソング「Dance with me(Korea/Japan Version)」を一緒に歌った。
この曲は2月に日本CHEMISTRYのシングルとして発売したが、韓国での発売は、今のところ言及はない。
しかしながら、10月17日に音楽プロデューサー山本淑稀の呼びかけによって、戦後の韓国で初の日韓28アーティストが参加した公認コンピレーション・アルバム「hearten a day Green」と「happuli a day Yellow」は、4タイトルが日韓で同時に発売され、韓国内では非常に話題になった。
2005年が、日本が大韓帝国を保護国化してから100周年、
朝鮮半島での日本の統治が終了してから60周年という節目の年となる為、韓国の一部からは批判の声もある。
これを象徴するかのように、竹島問題をめぐる韓国の反発は、2月28日韓国国会の「文化観光委員会」で、「日韓友情年」の全面再検討を促す決議案を採択するなど、初っ端から問題が噴出している。