ゲーム研究会:FF、ドラクエ例に「死の表現」を議論 グローコム
22 :
age虫:
ゲームの世界だと「復活する」は有り得るのだが。
現実世界で「体」ってのは”その魂が自分で全部作ってきた物”だから、
”それが死ぬ(動作不能に陥る)”と、もう魂はそこに戻れなくなる。
そして”それは世界に一つしかない”から、代わりに成る物はもうない。
魂が再び現世に来る為には、もう一度”全部最初から作り直さねば”。
それが”転生”だとしても、それはもう前の体ではなく、別人であって。
ゲームの場合なら、「それと全く同じ物」は簡単に用意できる。
”単なるデータに過ぎない”。何より0の、虚無の、夢の世界の話だ、
そこでは何でもある。でも現実では一度死んだらそれっきり。
粘土をこねて、自分で作った愛着のある器がやがて壊れてしまった。
もう2度とそれは作れない。”死”の悲しさは、多分それに近いと思う。
だから確かに、0の、ゲームの世界に埋没しすぎるのは良くないとは思う。
”命の価値”を、ゲームの世界のそれと混同してしまいかねない。
「もう二度とそれは作れないのだ」、そう言う気持ちが、今の文化は確かに薄い。