>>753 >菊田さんは頭が良いなんて一言も書いてないし
三国志オタ(つっても正史なんて読んでないだろうが)が菊田の知力は高いとかぶちあげたのが事の発端だろうが。
その話の流れのなかで、ネーミングから窺える菊田の衒学趣味、
そして衒学趣味は自分を頭よくみせたい、
つまり素のままでは頭が悪いと無意識的に自覚している人間の趣味であるという極めて一般的な見解を提示した。
>>744だけではそこまで掘り下げて理解できない奴もいるだろうから、わざわざネーミングセンスと(外部から窺えるところの)頭の良さの関係を懇切丁寧に説明までした。
この流れを読んだ上で俺の見解と真っ向からぶつかる意見を吐いたら(
>>748)
じゃあ菊田はやはり頭がいいのだと主張したいのだなと受け止められて当然だろ。
頭がよいとは言ってない、というんならそう前置きしろ。
大体メル欄とかで謝るくらいなら長文で反論するなよ。
謝れば何やっても許されるわけじゃないじゃん。
俺は自分がどう思われようが開き直ってるからそれでいいもん。
>菊田さんは自分が影響されたものをタイトルにして
>受け手がより深く曲を探求できる指針にしているとも考えられる
そう受け止めることを否定するものではない。
が、それにしては奇をてらったと思われる曲名が多く、そしてそれらの多くに元ネタがあるとやはり衒学嗜好を疑うよ。
たとえばなんで神獣戦で戯曲子午線の祀りのタイトルが必要なんだ?
その理由は絶対菊田以外の人間には解釈できない、解釈するだけの材料がない。
これはマスターベーションだ。
>キリスト教の教えを元にした音楽だろ?(特に小川さんは)
>だからテーマなんて聴けばすぐ判るんだから曲名は特にいらないし
キリスト教の教えは単純なのか?
同じ聖書のなかでも創世記、ヨブ記、詩篇、ヨハネ福音書、パウロの手紙とめちゃくちゃバラエティに富んでるわけだが。
一口に宗教といっても色々な性格を持つし、歌唱曲などは作品番号のほかに曲名などもついてるが
冒頭の一行がそのままタイトルになっているものが多い。
これはバッハ以前の音楽にも同じことがいえる。
バッハだって世俗的なテーマの曲書いてるし、モーツァルトの時代になるともっとそう。
でもいちいちタイトルつけない、つけないことから作曲者の頭のよしあしをはかることはできない。
しかし、菊田のケースでは上に挙げたような理由から別である。