信長の野望・創造 15作目

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61名無し曰く、
>>キレイに退却できればいいですけどね。
寡兵側が追っかけてきたら逆に反転して殲滅すればいいだけ。現に兵力が敵方と五分か少なかった
三方が原とか三増峠でもそうやって殲滅してるし、神流川でもわざとやれれたふりをして退却する所を
敵が追ってきたら逆に包囲殲滅してるし島津の耳川とか木崎原とかもそうやって勝ってる
むしろ大軍ならば寡兵の敵が追ってきたら殲滅する大チャンス
>>実際には混乱と逃散が多かったらしいですよ。
混乱や逃散が出やすいのは圧倒的に寡兵側。小田原合戦とか関が原の小早川離反後の後半の攻防とか
山崎合戦後の逃散とかみてればわかる
>>死者数よりも逃亡兵のほうが多かったという。
それは実際の所は客観的な分析史料がないのでなんともいえない。
合戦の死者はちゃんと史料に書かれたりするけど逃散離散は書かれないのがほとんどだし

錬度なんて関係ないってか戦国期の軍隊が訓練なんてしないし
錬度が圧倒的に劣るであろう一揆勢とかでも大活躍しまくってるもんなぁ
農民が主体で構成される軍隊に錬度なんてあるわけがない
畿内や西日本の圧倒的経済力とそれによってもたらされる装備の充実度と質の高い兵の訓練をゲームに反映させるべき。
鉄砲の火薬の原料の硝石は基本南蛮貿易依存だし西日本や畿内は圧倒的にそろえやすく普及が早いし
兵の訓練には豊かな経済環境が必要。栄養や資材、金銭など環境がそろわないと到底兵の訓練や質の向上など無理。
ゲーム上でも兵力の数による戦争への影響の大きさを表現すべき。
兵力比は実際にはその2乗となって戦争に影響するしこれに装備性能が加わったものが実際の戦力
これをくつがえすのはよほどの幸運・偶発的条件やうまい戦術、両将の指揮能力の差がないと無理(もちろん城攻めは別だが)
普通に平地でガチで遣り合えば100%兵力が二乗の戦力となり、装備差によって戦闘が決着する
ゲームでは統率や経略の少しの差で簡単に覆ってしまうが実際はなかなかそうはいかない
城攻めでも野戦でも兵力差が大きいと少ない方は味方の士気が下がったり離反や逃亡する兵が出たりするようにすべき。
後詰の望みがない防戦なんてよほどの偶発的条件か両将の指揮能力のよほどの差がない限り基本勝つ可能性皆無なんだから
弱小大名はホーム有利とかないわ。戦争において弱小勢力なんて周辺の強国に飲み込まれてくだけだし
小さい勢力で大きな勢力跳ね返し続けた大名なんて佐竹とか田村とか甲斐とか名将しかいない。

攻撃側は兵力に勝るから戦略の幅も大きいし勝てば領土広がるから士気も上がりやすいし
兵糧物資でも圧倒的に攻撃側のが調達が容易で防御側は策源地が攻め込まれてるから長期戦になればいずれおいこまれてくだけだから短期決戦によるしかないし
寝返りが出やすく勝っても領土も広がらんし圧倒的に不利でしかない。現に攻守三倍原則より遥かに少ない兵力で攻略してる例なんていくらでもあるし
圧倒的大軍で寡兵の敵に蹴散らされるのは指揮能力が雑魚の奴だけだよ
地形を生かした陣取りの主導権握ってるのも攻撃側。兵力が勝ってるから
そこで会戦するのが嫌なら別方面に兵力展開したり誘い出す作戦練ればいいだけだし
相手が乗ってこなかったら持久戦に切り替えるなり違う拠点攻めるなりして攻撃続ければ勝手に追い込まれてくだけ
領土安堵状とか防戦側だって出しまくってるのに他国侵略の難しさの例にだすとかアホすぎてワロタw
織田徳川の大軍に対して行われた三河遠州侵攻作戦とか三方が原、長篠の戦いなんて武田が少ない兵力で侵攻しまくってるし対北条今川戦でも武田が侵攻側で
大国今川北条が防衛側だが北条今川相手に勝ちまくってるし信濃・上野の山間の天嶮によって割拠するガチンコ山城を攻撃側としては少ない兵力で落としまくってるからな
長篠の戦いも「まるで城のようだ」と思わせる堅固な陣地にこもった高性能鉄砲・弓で待ち構えた織田徳川の大軍に対して直前の雨でぬかるんだ地面の中、結束力0の烏合の衆で挑んだ
ガチンコ城攻めだったが天正6年成立の長篠日記によると武田軍の9時間近い長時間の猛攻後に撤退。 馬場隊700で佐久間隊6000を敗走させ柵まで追い詰め43人討ち取り
山縣隊1500で徳川隊6000を柵まで敗走させるも 大久保隊が側面へ回りこむのを必死に阻止 さらに馬場の第二次攻撃で佐久間隊崩壊寸前
まで追い詰めるも 鉄砲隊の反撃で武田は撤退。織田方6000討死。武田方7000討死
以上のように織田徳川を寡兵で圧倒しまくってるし圧倒的に戦上手な部隊としかいいようがない
62名無し曰く、:2013/08/13(火) 23:38:08.87 ID:TYYYk2CR
つまり織田系列や雑賀とかは練度ありってことか。
武田も伊達も上杉も徳川も佐竹も史料に訓練なんて全くないしなぁ
淡路って毛利方が本国からの兵站の長さを理由にあっさり放棄して捨てたため
天正9年9月時点でとっくに秀吉の兵站基地と化しててそこを拠点に讃岐に進出してるのが
9/12秀吉→黒田とか9/16秀吉→黒田とか9/24秀吉→黒田の書状でわかるんだが
さらに10/10の秀吉→黒田書状とかだと讃州表事、敵引退とかいてて讃岐でも敵が退却して
ほとんど労せず占領してるのがわかるし
いつの間に光秀方に塗り換わったんだ?
wikiをソースにするなよw
一次資料か、せめてまともな文献でもあげてくれ。俺が今手元にある兵庫県史資料編とか探した限りではそんな事かいてる史料はないし
そもそも淡路方面で敵が動いてたなんて聞いたこともない。

妄想乙だな
神流川関が原大阪の陣川中島合戦三方が原合戦耳川沖田畷摺上原とか普通にかなりの死傷者が出てるし
特に織豊系城郭が出現すると、敵を逃がさないように陣城を攻城の際に築きまくって殲滅戦への変わりつつあると「近世成立期の大規模戦争」
でも書かれてる
川中島の死傷率とか近代戦と比べてもそんなに遜色ないしこれをこぜりあいなどとはいわん
>>先陣がパラパラやり合って終わった合戦に名前なんか付くかよ。
いやだから具体的にどことどこの間でいつ行われた合戦か、と先陣がパラパラやり合って終わっただけという史料だせよ
>>名前がついて記録に残るような総力戦は全国で百年間繰り返された合戦の数からすればごくごく稀なケース
〜の合戦と名前は付く合戦もいっぱいあるし、それ以外が小競り合いだったなんて記録ない
>>大半は示威行動と先陣同士の衝突くらいで決着
だからそれのソースだせよ。具体的にどことどこのいつ行われた合戦の事だ?お前の主張だと大半を占めるというなら
史料つきで詳しく語ってみろよ
>>国が持たないでしょと言ってんだよ。
別に示威行動と先陣の衝突で決着してなくても国は持つ。戦時中の日本とか日清・日露戦争の頃の日本でも国は持ったし
>>毎年全国各地で近代戦術みたいな総力戦やりまくってたら戦死者戦傷者はどんな数になるか。
同じ総力戦でも、兵器の質が違うので近代戦より遥かに戦傷者も戦死者も少なく殺される確率が低いってだけだろ
>>百年もそんなことやってたらどんなことになるか。
百年近く内戦が続いてるアフリカとか中東の国々でもちゃんと持ってるんだが。まして戦国期の戦争なんて兵器が近代戦より遥かに旧式で殺傷性低いので
毎年総力戦やってもたかがしれてる
>>逆に全国で総力戦やりまくったソース出してくれよ
神流川関が原大阪の陣川中島合戦三方が原合戦耳川沖田畷摺上原とか普通にかなりの死傷者が出てるし
特に織豊系城郭が出現すると、敵を逃がさないように陣城を攻城の際に築きまくって殲滅戦への変わりつつあると「近世成立期の大規模戦争」
でも書かれてる。川中島の死傷率とか近代戦と比べてもそんなに遜色ないしこれをこぜりあいなどとはいわん
>>統治機構自体が吹き飛んで経済から農業から何も成り立たなくなった記録
なんでそんな記録が必要なのか不明。死傷者が増えようがそれ=統治機構が成り立たなくなるなんて妄想乙だな