ゲームでは下記の事情が全く反映されてないからな
スタートでは毎年餓死者が続出する貧国甲斐と自立性高い国人から主導権を確保する所から始めた信玄に対し、豊な尾張で最強の弾正忠家を継いた織田
貧しい山国で自立性の高い国人で、毎年のように飢饉や水害が発生しまくる土壌が有りとかいわれてもな。織田なんざ異常に裕福な所を勢力にしてただろうが
信長は津島湊や知多南郡の木綿の生産地を掌握し、尾張でもダントツの経済力を有していた信秀の子に生まれた。織田は美濃、尾張で信玄の最大版図くらいになる国力。
北伊勢含めばもっと上がる。幼君でガタガタな斉藤はクーデター起こるぐらいだったし相当弱体化してた。尾張は石高的にかなり条件の良い国
京から遠くも無く近くもない程よい位置でもある。京の動乱に巻き込まれず濃尾両国を有すれば思い立ったら上洛できる位置。西は木曽・揖斐川の大河に守られ東と
結べば背後に敵無し。尾張、伊勢、畿内等は国高の高さの割りに領土面積が狭く平野部が多く移動も楽。美濃も地形的に東から侵略されずらく武田の本拠地も遠い。
周りの大名も今川義元は運良く戦死跡継ぎの氏真は暗愚松平家は独立 同盟で後方の安全を確保 斉藤家の義龍は早死して、跡継ぎの龍興は暗愚
朝倉家の朝倉義景は惰弱で暗愚の代名詞のような大名六角家は観音寺騒動や対浅井の敗戦で弱体化しきっていた 三好家は分裂状態で統制が取れずバラバラ
織田と本格的に戦う前に信玄は病死 跡継ぎの勝頼は猪武者 織田軍45000を大破した後に謙信は病死 その後上杉家は内乱で自滅 足利義昭も信長の所に来た
信長があれほど簡単に畿内での支配が可能になったのは
1561年に 十河一存 斉藤義龍
1562年 三好義賢
1563年 細川晴元 細川氏綱 三好義興
1564年 安宅冬康 三好長慶
と相次いで主要人物が馬鹿みたいな勢いで死んでいき有力者が誰もいなくなっちゃう。
これで畿内は力の空白が生まれたんだな。
特に父祖に劣らず器量に勝りて一度は天下の乱をも相鎮めた人なりと
賞賛された長慶嫡男三好義興が22歳で死去したので長慶がボケ老人になったのが痛かったな。
この畠山高政と六角義賢の挟撃策に三好義興が芥川城で指揮して勝利したことで事実上、
畠山氏と六角氏が決定的に衰退することになり果て将軍を巡るシーソーゲームに終止符が打たれた。
そして三好は分裂崩壊し、大仏を燃やした天皇は激怒し疲弊しきった勢力群の外側にいる信長に上洛を促すことになる。
しかし北条は謙信や信玄らがなかなか死ななかった。これでは関東制覇も難しいだろう。
そういう意味では大内義隆や尼子晴久が死んだ元就もおいしい。
永禄3年に六角軍は北郡征伐に失敗し浅井長政に敗北。これをもって長政は家督を継ぎ六角からの再自立を達成(肥田・野良田の戦い)
六角は斉藤氏と共同しての浅井攻め戦略に移行。
>>168 まぁ織田厨が黙ったらやめてやるわw