信長の野望・創造 15作目

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153名無し曰く、
甲斐国は武田の支配した国中 小山田が支配した郡内 穴山の支配した河内 でほぼ三分されてる(少し国中が大きい程度)
この両者は独自に外交権を有して戦国領主として対等な立場にあったが、
天文末期に武田による介入が進み、介入からさらに国衆存続のための武田による保護へ変質した。
これは信玄による法整備と公正な裁判によるところが大きい。
たとえば郡内での領民の裁判などで、小山田一族の暴虐の裁きはまったく進まず
訴訟を信玄の元へ訴え、それを信玄が裁き、小山田の妨害を排したりと介入し、さらに穴山などは信玄の発給文書様式と特徴を学ぶことで、
武田へ従属し領内権力基盤を安定させる方向性へ志向したのである。4
つまり天文末期の晴信時代に武田氏はその内治裁判の先進的整備を通じて甲斐国での民意の支持を得て
国衆への介入と知識提供を通じて、甲斐国の統一権力への進化と臣従を進めていき、
その内治による国力伸張を背景に他の国衆を凌駕し、武田による安全保障体制を構築提供するに至った。
しかも国中には専横重臣ばかりで晴信政権はその家臣団によって擁立された。
これは斉藤道三や長尾為景などと同様に一国の主の資格なしとして否定されたおとと同様である。
>>平和な甲斐に生まれる
どこが平和だよw甲斐国は実質、武田、穴山。、小山田の三国の合同政権でしかも武田の支配していた地域は専横家臣だらけ。
結局、その専横家臣団によって武田の集権化を進め統合しようとした信虎はくにを追放され
専横家臣団に都合が良い傀儡として信玄が擁立されただけ。
>>信玄に無条件で忠義を尽くしてくれる
そうではなく、専横家臣団の意向で信玄が当主に祭り上げられてたくらい武田当主なんて誰もやりたがらない傀儡守護職。
それは戦国時代に大半の守護が家臣による下克上で滅んでいることでもわかる。
>>信玄にやりたいように政治ができる
>>287のように信玄の国の整備と経営の努力によって指導力を発揮していったことを周りが認めていった結果だ。
国人たちによる合議政権だから信玄の意見だけで勝手なことができるわけねーだろ。
>>父親が、自分で身を引いて信玄に全権譲渡
そんなことどこにも書いてない。お前の妄想。

>>152
織田厨が姿勢改めるなら考えてやるよ
まぁ100%そんな事にはならないだろうがなw
154名無し曰く、:2013/08/14(水) 09:01:55.90 ID:HpCy+gHr
道三が信秀の攻勢の前に井の口居城に撤退って、
まんま信長公記に書いてるじゃん。
井の口と申すのを今度改めて岐阜と名付けとも書いてるし。
信長の嫡孫は野垂れ死んだじゃん。
嫡子系以外を持ち出したら後北条は氏規の孫の氏盛が、
後北条本家とは縁もゆかりもない河内国で狭山陣屋1万石で継続したから、
後北条は滅亡してないと見苦しく強弁することと変わらん。
なぜ織田好きは織田だけは特別扱いの例外と妄想するんだ?気持ち悪い。
そもそも岐阜城は竹中重治や斎藤利堯や織田信雄や福島正則などに
簡単に落とされているアホ城だしな。
無能だから優れた者によって下克上され殺されてしまうのは歴史的事実だが、
それによって一挙に家まで乗っ取られて滅亡させられる愚主はさらに少ない。

信長厨って信長みたいに自分が世間からどれだけ嫌われて味方と思ってる人にさえ白い目で見られてるって自覚もないんだろうね
池上裕子氏
丹波柏原2万石
上野小幡2万石
出羽天童2万石
天候不順の甲斐はもっと石高低いし、
流路まで変化したほどの洪水が起きて田畑が流された天正13年以前の尾張・美濃の石高はもっと上だったはず。
えっ、あいつは北畠信雄じゃんw
秀信は織田家臣団の合意を受けて当主になったんだし、
信雄はどっちかと言うと秀信から家督を簒奪した伊勢の奸臣だろ。
155名無し曰く、:2013/08/14(水) 09:05:29.64 ID:mZyfsp52
信秀の稲葉山攻略では25000も動員されてるしね
桶狭間もおそらく2万くらい信長は動員してたんじゃないか
状況で言えば斉藤が南下する意思なしで浅井などと西で戦ってた、対今川戦に全力投入できる桶狭間の時の方が
今川の侵攻に見舞われ、東方面に兵残す必要のある信秀の稲葉山攻略の時より大軍動員できるんじゃないか?
もしそれが無理なら信長の指導力や指揮力や人望に致命的欠陥があったと疑うべき。
しかしそもそも桶狭間の戦いなどなく、義元が不慮によって突然死んだとすれば
いろいろと納得できる。
だいたい尾張の石高と経済力は協力で、駿河・遠江を支配した義元は
北条と連絡を取りはじめた信秀を恐れていた。
そして尾張からの脅威に対して、是が非でも三河を領国化させないと
滅ぼされる恐怖から義元は氏真に家督を譲ってまで三河の安定支配に乗り出す矢先の急逝だし。
北条は遠江の国人と連絡を取り今川をいつでも騒乱にすることができていて、
いまだ遠江ですら安定支配できてなかったことからも義元の焦りは相当な危機感からだろう。
そもそも信長が家督を継いでまもなく三河で反今川大規模決起まで起きてるし
今川の支配はかなり空気。

信長は尾張や三河の水野分や身のの大垣城分もあるので初期段階で75万石
しかしアホ無能だった信長を支えてきた後見役の平手や林が呆れ果ててしまうほどで
せっかく信秀が信長に残したものがどんどん失われていく。
特に後見役道三が信長保護に全力を尽くしたために義龍に打倒されるや
尾張は崩壊を見せ、義龍は信長の弟へ取次役を通さず直接書状を出すなど
離反策を推し進め、義龍が当主だった実質4年の間に信長は義龍によって
尾張の半分を奪われてしまう。しかし義龍が急死し無能幼君の竜興が斉藤を継いだために信長は滅亡せずに済んだ。
織田厨の無知さは義龍によって尾張半国が奪われたことを
知らずに信秀が失っていたと思い込んでいて
しかも指摘されても認めず、信秀は無能ニダ!信長天才ニダとキモイ発言を繰り返していること。
伊達厨が父を不当に貶していたり、毛利厨が無知すぎて毛利は小国人だったのに元就天才とか言ってるのと同じアホ