織田厨の妄想に史料なんてねぇよw
信長が勝った戦なんて講談くらいしかねぇしなw
織田家はあっさり滅ぼされたしね
一時的に勢力広げたとか言われてるけどほとんど織田マンセーのアホ学者が捏造しただけだし
馬鹿織田厨に文書を読む力なんてないから言っても無駄
アホ織田厨にソースなんかないからね
>>879>>893とかみりゃほとんど自分の妄想ソースの糞レスしかしてないのがわかる
馬鹿織田厨は妄想しかいえない馬鹿の上にwikiしか読まない無知 死んでくれ。
馬鹿織田厨のするレスであってるレスなんて一つもねえよw
ほとんど自分の妄想が史料だし
今日も妄想垂れ流し馬鹿織田厨が悉く論破されまくってるなw
天文時代に石高が太閤記と大きく違ったなんて書いてる馬鹿学者はいないです
別に地形補正で侵攻側不利って事はないな
織田徳川の大軍に対して行われた三河遠州侵攻作戦とか三方が原、長篠の戦いなんて武田が少ない兵力で侵攻しまくってるし対北条今川戦でも武田が侵攻側で
大国今川北条が防衛側だが北条今川相手に勝ちまくってるし信濃・上野の山間の天嶮によって割拠するガチンコ山城を攻撃側としては少ない兵力で落としまくってるからな
長篠の戦いも「まるで城のようだ」と思わせる堅固な陣地にこもった高性能鉄砲・弓で待ち構えた織田徳川の大軍に対して直前の雨でぬかるんだ地面の中、結束力0の烏合の衆で挑んだ
ガチンコ城攻めだったが天正6年成立の長篠日記によると武田軍の9時間近い長時間の猛攻後に撤退。 馬場隊700で佐久間隊6000を敗走させ柵まで追い詰め43人討ち取り
山縣隊1500で徳川隊6000を柵まで敗走させるも 大久保隊が側面へ回りこむのを必死に阻止 さらに馬場の第二次攻撃で佐久間隊崩壊寸前
まで追い詰めるも 鉄砲隊の反撃で武田は撤退。織田方6000討死。武田方7000討死
以上のように織田徳川を寡兵で圧倒しまくってるし圧倒的に戦上手な部隊としかいいようがない
どうみても武田>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>織田
天文記→太閤検地で飛躍的に石高が変化したとか
国ごとの伸び率で大きく差があったとか書いてる学者も史料もないです
信長なんか最初から武田を敵に回した時点で詰んでたんだな
武田方面無視しとけば国許ががらあきになり光秀に殺される事もなかったろうに。
天文年間→太閤検地で石高の伸び率が国ごとで大きく変わったと書いてるアホ学者などいない
天文時代に石高が太閤記と大きく違ったなんて書いてる馬鹿学者はいないです。
大体論文で石高を考察に使用される場合太閤検地を元にされてる
信長や秀吉が広範な版図支配下においたといっても所詮一時期だけだしなぁ
所詮徳川に木っ端微塵にされて滅亡した雑魚でしかない。こうしてみると信玄はやっぱりすごいよなあ
自国の2倍もある、日本で最も険しい山が立ち並ぶ山間の攻略の難しい信濃を
山之内上杉の大軍を大破しながら、また長尾の介入がある中切り取り同じく山間部の大国上野を上杉相手に切り取り
駿河も大国北条と交戦&今川・北条・上杉・徳川・織田の包囲網張られた中で逆転劇で切り取り
自国の1.8倍くらいはあるであろう北条領を、少ない兵力で蹂躙しまくり、撤退戦で北条の大軍を撃破
織田・徳川相手に東美濃・三河・遠州切り取り最強家康&織田トップ格の佐久間・滝川・平手・前田(兄)ら精鋭を撃破
上村合戦や東美濃攻防では信長の大軍は馬場700程度に散々翻弄されまくる始末
信長が甲斐にいたら諏訪や山之内上杉に到底勝てず、甲斐に引きこもって北条今川に攻め込まれて滅亡だろうな
じゃあ太閤検地までに各国の石高がどのように伸び変化したのかとそのソース元の史料か論文をよろしく。
大体変化してるとしてもどの国も一緒だし
徳川時代になってから大規模治水や灌漑がようやくなされるようになったんだし