信長の野望・創造 15作目

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129名無し曰く、
織田厨の妄想に史料なんてねぇよw
信長が勝った戦なんて講談くらいしかねぇしなw
織田家はあっさり滅ぼされたしね
一時的に勢力広げたとか言われてるけどほとんど織田マンセーのアホ学者が捏造しただけだし
馬鹿織田厨に文書を読む力なんてないから言っても無駄
アホ織田厨にソースなんかないからね
>>879>>893とかみりゃほとんど自分の妄想ソースの糞レスしかしてないのがわかる
馬鹿織田厨は妄想しかいえない馬鹿の上にwikiしか読まない無知 死んでくれ。
馬鹿織田厨のするレスであってるレスなんて一つもねえよw
ほとんど自分の妄想が史料だし
今日も妄想垂れ流し馬鹿織田厨が悉く論破されまくってるなw
天文時代に石高が太閤記と大きく違ったなんて書いてる馬鹿学者はいないです
別に地形補正で侵攻側不利って事はないな
織田徳川の大軍に対して行われた三河遠州侵攻作戦とか三方が原、長篠の戦いなんて武田が少ない兵力で侵攻しまくってるし対北条今川戦でも武田が侵攻側で
大国今川北条が防衛側だが北条今川相手に勝ちまくってるし信濃・上野の山間の天嶮によって割拠するガチンコ山城を攻撃側としては少ない兵力で落としまくってるからな
長篠の戦いも「まるで城のようだ」と思わせる堅固な陣地にこもった高性能鉄砲・弓で待ち構えた織田徳川の大軍に対して直前の雨でぬかるんだ地面の中、結束力0の烏合の衆で挑んだ
ガチンコ城攻めだったが天正6年成立の長篠日記によると武田軍の9時間近い長時間の猛攻後に撤退。 馬場隊700で佐久間隊6000を敗走させ柵まで追い詰め43人討ち取り
山縣隊1500で徳川隊6000を柵まで敗走させるも 大久保隊が側面へ回りこむのを必死に阻止 さらに馬場の第二次攻撃で佐久間隊崩壊寸前
まで追い詰めるも 鉄砲隊の反撃で武田は撤退。織田方6000討死。武田方7000討死
以上のように織田徳川を寡兵で圧倒しまくってるし圧倒的に戦上手な部隊としかいいようがない

どうみても武田>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>織田

天文記→太閤検地で飛躍的に石高が変化したとか
国ごとの伸び率で大きく差があったとか書いてる学者も史料もないです

信長なんか最初から武田を敵に回した時点で詰んでたんだな
武田方面無視しとけば国許ががらあきになり光秀に殺される事もなかったろうに。
天文年間→太閤検地で石高の伸び率が国ごとで大きく変わったと書いてるアホ学者などいない
天文時代に石高が太閤記と大きく違ったなんて書いてる馬鹿学者はいないです。
大体論文で石高を考察に使用される場合太閤検地を元にされてる
信長や秀吉が広範な版図支配下においたといっても所詮一時期だけだしなぁ
所詮徳川に木っ端微塵にされて滅亡した雑魚でしかない。こうしてみると信玄はやっぱりすごいよなあ
自国の2倍もある、日本で最も険しい山が立ち並ぶ山間の攻略の難しい信濃を
山之内上杉の大軍を大破しながら、また長尾の介入がある中切り取り同じく山間部の大国上野を上杉相手に切り取り
駿河も大国北条と交戦&今川・北条・上杉・徳川・織田の包囲網張られた中で逆転劇で切り取り
自国の1.8倍くらいはあるであろう北条領を、少ない兵力で蹂躙しまくり、撤退戦で北条の大軍を撃破
織田・徳川相手に東美濃・三河・遠州切り取り最強家康&織田トップ格の佐久間・滝川・平手・前田(兄)ら精鋭を撃破
上村合戦や東美濃攻防では信長の大軍は馬場700程度に散々翻弄されまくる始末
信長が甲斐にいたら諏訪や山之内上杉に到底勝てず、甲斐に引きこもって北条今川に攻め込まれて滅亡だろうな
じゃあ太閤検地までに各国の石高がどのように伸び変化したのかとそのソース元の史料か論文をよろしく。
大体変化してるとしてもどの国も一緒だし
徳川時代になってから大規模治水や灌漑がようやくなされるようになったんだし
130名無し曰く、:2013/08/14(水) 07:21:33.06 ID:mZyfsp52
勝山記を読めばいかに甲斐が貧しく連年の災害に苦しんでいたかわかるんだが。
それを信玄が領内開発と法治による信賞必罰で
見違えるような国にしたんだよな。

織田厨の捏造歪曲の実例
信玄の外征で破綻したので「世の中一向悪くなる」と書いてあるよなw
はい、これ自然災害が多発していた晴信初期の国情を書いている部分であり
完全に織田厨の歪曲で、その後の晴信の内政治水の努力により、毎年災害多発の甲斐から
災害記録がなくなってしまうのが史実です。
そして甲斐では妙法寺記に「世間が富貴になった、先代にはなかったことだ」と賞賛され
数百年にわたって神として尊崇された 長野在住の学者も身近で信玄を悪く言う人がいないことに驚いているくらい
本当にまあ、そうやって織田の所業を武田におしつけて印象操作すれば騙せると思う、
姑息なゴミニートの印象操作はいい加減にしとけやゴミ
武田には徳役という税制があった。
これは有徳銭とも呼ばれ、富裕層にだけ税を追加で取るもの。
これを当時は悪政と言っていたが、
これらが河川改修などの災害防止にあてられていた。
逆に北条などは富裕層である高利貸しを優遇して
借金苦で家族を質に入れて流されてるケースが多発してる。

武田は悪政とか織田厨が喚きまくってるが
実際に一次史料のソースを明確に出したためしが一度もなく
なにを根拠に連呼してるのか不明。

つうか武田領国って、織田領国に比べて
一揆も謀反もほとんど起きてない。
むしろ当主権すら制限している分国法すら存在しない織田領の方が悪政だろw
>>俺が見た史料は民明書房刊だった
何それ??
>>信憑性はだがの戦国無双知識よりは高いとして学会で扱われている
戦国無双知識とは一体どの部分の??? ついでにその部分が戦国無双のどこに出てくるの???
学会で取り上げられてるって一体何という文献の何という論文タイトルで???
>>そもそも天文時代に石高などというものは無いし
石高という名前がついてないだけで仕組みというか収入元は一緒だろアホ

ここで問題となってるのは「収入体系の名称」ではなく「実収入の収入元の変化やその国ごとの差」なので
そんなどうじゃあ太閤検地までに各国の石高がどのように伸び変化したのかとそのソース元の史料か論文をよろしく。
大体変化してるとしてもどの国も一緒だし
徳川時代になってから大規模治水や灌漑がようやくなされるようになったんだし でもいい所に突っ込むとかアホじゃね

皆で妄想馬鹿織田厨をいじめてやるなよwwwww

かわいそうだろwwww

各国の国ごとの国力がどのように変化したとか、国ごとでその差異はどれほどかわかる史料がない限り
天文記は検地はあてにならんとか信濃はもっと石高が低いor高いとか妄想でしかないです。
変化の割合が国ごとで一緒なら、結局考察の上では同じ事だからなw
大体どの論文でも国ごとの石高考察のとき検地が元にされるんだから