信長の野望・創造 14作目

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435名無し曰く、
地政学的な見地でいって
京から近い勢力はできる限り本拠地を京に近づけて
京の変事への即応能力を高めるだろうけど(三好などが好例)
それ以外の勢力にとっては、その支配圏の支配に最も効率のよい拠点(街道の集まる点)に置くだろう。
移転するとすれば、より魅力的な場所への移転ということになる。

武田の場合は甲斐が駿河や信濃や上野に進出するに軍事・経済上、都合がよいので
甲斐ほどよい場所はないだろう。
しかし三河や尾張を奪った場合は中仙道国家から東海道国家への変貌となる可能性が生じるとともに
京へ近い勢力となるので拠点移動の必要性が高まる。
(中仙道国家なら美濃・東海道国家なら尾張もしくは伊勢)
上杉の場合、直江津経済圏を中心とした北陸道国家・日本海貿易国家であり、その通商ルートから京へも行ける。
ただ関東管領の重荷を背負っているので旧山内上杉領に対する軍事プレゼンスも必要で
越中・加賀と春日山。春日山と厩橋の距離はぼ同距離なので移転の必要性を感じない。
また扇谷上杉圏や古河公方圏を守る必要性は皆無なため関東国家足りえず、
越前の攻略が達成された場合は若狭・近江通商圏の重要性から移転の必要性が生じる。
北条の場合は関八州国家樹立が目標な為、伊豆から本拠地を小田原へ移転。
小田原から移転しなかったのは謙信や信玄の小田原包囲を凌いだことでもわかるように
懐が深い・海からの補給が可能という点でもわかる。
また支拠点というものも重要だろう。北条兄弟が置かれて北関東拠点として機能し、上野や下野への進出機能を有していた。
武田であれば高遠城や駿府がそうであるし、
上杉であれば厩橋・沼田・魚津・七尾であろう。ただ上杉の場合は越中西部の放生津など楽市通商自由都市を育成しており
海洋国家として日本海での収益を重視しており、下越〜七尾のラインを押さえた上杉はより西へ進む意欲が増すことは明らかであり
それは日本海利権の独占を目指すことになり、その拠点は柴田勝家が本拠を置いたように福井に移転するのが望ましい。