信長の野望・創造 13作目

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695名無し曰く、
>>689
>結果から見ても、毛利は地方豪族だし、織田は守護の家来の分家だし、松平は今川にやられまくりだし、どこをどう見たって数の大小だけで天下が決まってないのは明らかなのにね
敵対勢力の寝返りとか降伏とか他勢力との同盟関係全く無視したアホな考察乙w
大内や尼子も内紛で分裂してたじゃんよ

>それまで治めていた守護大名がパッと出の戦国大名に打ち負かされていったって

有力者の死亡とかが相次いで衰退期に入ってた守護系大名が新興勢力に負かされていっただけで、
数の多寡がひっくり返ったわけじゃない
信長の畿内進出直前でも1561年に 十河一存 斉藤義龍
1562年 三好義賢
1563年 細川晴元 細川氏綱 三好義興
1564年 安宅冬康 三好長慶
と相次いで主要人物が馬鹿みたいな勢いで死んでいき有力者が誰もいなくなっちゃう。
これで畿内は力の空白が生まれたんだな。
特に父祖に劣らず器量に勝りて一度は天下の乱をも相鎮めた人なりと
賞賛された長慶嫡男三好義興が22歳で死去したので長慶がボケ老人になったのが痛かったな。
この畠山高政と六角義賢の挟撃策に三好義興が芥川城で指揮して勝利したことで事実上、
畠山氏と六角氏が決定的に衰退することになり果て将軍を巡るシーソーゲームに終止符が打たれた。
そして三好は分裂崩壊し、大仏を燃やした天皇は激怒し疲弊しきった勢力群の外側にいる信長に上洛を促すことになる。